【以下ニュースソース引用】

意外と多い、何でも気にしてしまう人の「問題点」…現代人が陥りがちな「心労の正体」

 

現代ビジネス

〔PHOTO〕iStock

 

 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。

 

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。

 

そもそも「経営」とはなんだろうか。

 

  【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い

 

 経済思想家の斎藤幸平氏が「資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集」と推薦する13万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が日常・人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語る。

 

  ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

心労は経営でできている

 誰しも他人の言動が気になって身動きが取れなくなる瞬間がある。

 

  私の場合、大昔に読み漁った文章読本の類を今でも気にしてしまう。

 

現にいまも、いつか読んだ「同じ語尾が連続すると辟易する」「脱兎のごとくという比喩は陳腐」「……なのだ。と書いてあるとバカボンのパパかと思う」という辛口批評を恐れて何十回も推敲してしまい、執筆に予定よりも大幅な時間が必要になっている。 

 

 こうして本来の目的の実現は遠のいていく。

 

  多くの場合、「気にしすぎ」は経営の失敗で生まれている。

 

  たとえば(私を含む)多くの人に身近な例として、取引先からメールの返信がなく、不安になって返信催促メールを送ってしまう場合を見てみよう。

 

  催促したにもかかわらず先方からはいっこうに返信はない。

 

手持ち無沙汰を紛らわせようとメールのやり取りを読み直す。相手の名前をネットで検索してみる。

 

そのうち相手がSNSで「メールの返信で件名をRe.で返すのは無礼」と書き込んでいるのを見つける。

 

  すると、自分が常に返信の件名を「Re.」のままにしていたことが気になりだす(なお、Re.はReply/Responseの略ではなくRegardingの略だともいわれ、話題が続いている限りは失礼にならないどころか便利だという意見も多い)。

 

  こうなったら居ても立っても居られない。

 

  早速お詫びのメールを送信する。それでも返信はこない。

 

  どうやら嫌われてしまったらしい……。

 

こうなったら直接お詫びに出向かなければ、と、気が気でなくなる。

 

さっそく「非礼の数々を直接お詫びしに伺いたい」とメールする。

 

  突然、電話が鳴り響く。

 

例の相手からだ。

 

  すぐに電話に出て開口一番「すみませんでしたっ」と謝るが、相手はピンときていない様子。

 

「いやあ、休暇で山奥の旅館に泊まっていたもので、パソコンもスマホも触ってなくて。

 

たくさんメールが来ていたからびっくりして」などと逆に謝られたりする。

 

  ようするに自発的に最悪の状況の想像をして、自分から心労を抱きかかえにいく状況に陥っていたわけだ。

 

我々は気が付かないうちにこうした喜劇を演じる。

 

五重の苦労:過干渉と心労の切っても切れない関係

 次に重要な仕事を部下に任せる局面を想像してみよう。

 

  ふと部下がコーヒー片手に仕事しているのが気になる。

 

緊急の仕事だと伝えたはずだがコーヒーを買いにいく余裕があるのは百歩譲ってまあいい。

 

でも、そのコーヒーをまさか契約書にこぼさないよね、などと想像が膨らみイライラが止まらなくなる。

 

  案の定、部下のコーヒーが机にこぼれる。私の人生はいつもそうだが人間が想像する良いことはなかなか実現しないのに、悪いことはすぐに実現するものだ。

 

  なんとか書類は無事だ。

 

「ちょっとっ」と思わず声が出る。

 

部下はきょとんとしている。

 

心をなんとか落ち着かせ、「……こっちで一緒に作業しようか」と提案する。

 

なんだか部下は嫌そうだ。

 

「こっちは善意なのに」と思ってもしょうがない。

 

自分が我慢すればいいんだと自分に言い聞かせる。

 

  こうして部下と一緒に作業することで少しは安心できるかと思いきや、近くで作業すると、部下が作成した文書の文字の大きさやフォントのズレ、ダサい図表などが気になってしまう。

 

コピーの枚数ひとつ取っても予備分を用意していない部下のあまりの大胆さが心配になる。

 

仕方なくあれこれ細かい指示を出す。

 

  こうして部下に対して細かく指示すると、そのたびに部下の作業を中断して集中力を途切れさせてしまう。

 

部下からすれば作業に集中できないために仕事の質とスピードが落ちる。

 

こちらもこちらで、しょっちゅう別のことに気を取られて本来の仕事が進まない。

 

  ステーキを食べつつパソコンで作業をするのが至難の業であるように(しかも満足度も低く、大惨事になること間違いなしだ)集中が分散する仕事は効率が悪くなる。

 

仕事が終わらないため結局は上司の自分が補佐に回る。今日も深夜残業だ。

 

  こちらは善意で部下の仕事をサービス残業でカバーしているのに、部下には「やたら細かいことにうるさい上司」「何も任せてくれない上司」として嫌われる喜劇的状態の出来上がりである。

 

頑張っても報われない。

 

成果の代わりに心労を積み上げているだけだ。

 

  このように対部下過干渉型の人は、なまじ周囲の行動の先を予測してしまうために、頼まれてもいない他人の心配をし、同じく頼まれてもいない先回りの手助けをして、手助けをしたことで別の行動の結果予測へと関心が移り、また別の心配から別の先回りの手助けをする……というループにはまり込む。

 

  ここに、「経営の欠如」が見て取れる。

 

  もちろん、こうしたタイプの人は「仕事が丁寧な人」であることは間違いない。

 

しかし報われないままに心労を抱えてしまうと(心労の種を見つけるやいなや自分から猛ダッシュでレシーブしにいっているのだが)やがては病んでしまうという悲劇に見舞われる。

 

重要な仕事で神経が張っているときには誰にでもそうした危険がある。

 

  最近では感受性が高すぎる人について描いた書籍が流行した(学術的には議論が続いているが、「HSP」や「繊細さん」といった言葉を耳にした方も多いだろう)。

 

そうした人たちは「高感度のセンサーを持っている」という意味で本来は特殊な才能の持ち主だ。

 

  だが心労を経営していく心構えがなければ、こうした才能はむしろ生きづらさの原因になってしまうだろう。

 

緋文字い:現実世界に最適解は存在しない

 感受性の強さを心労だけに結実させない経営のためには「生活や仕事における最終的なゴール=目的を常に意識する」必要がある。

 

  そもそも心労には「気にするから気になる」という側面がある。

 

ゴールではなく細かいプロセスに目が向いてしまっているのである。

 

  そこで、目的だけに集中して、他に気になることがあっても初手は「気のせいか」で済ます。

 

相手が怒っているのか、助けが必要なのかなど、気になることは本人に直接きいた後に心配するよう心がけるといった手があるだろう。

 

  プロセスに気をとられると目的への満足解ではなく最適解を求めすぎてしまい、それがまた心労を生み出す。

 

  しかも日常生活で我々は最適解など求めていないし、そもそも最適解を求めるとかえって馬鹿なことになる。

 

最適解など現実には存在しないと割り切る方が合理的だ。

 

  試しに今日のランチにおける最適解を求めてみよう。

 

  まずは予算制約を考える。

 

今、財布には五千円入っているとする。

 

しかしこの五千円をそのまま予算制約にはできない。

 

この五千円であと一週間ランチを食べる必要があるからだ。

 

いや土日は自炊するためランチ代が必要ない。

 

となると千円が予算制約か。

 

しかし今日のうちに五千円全額を使って、あとは絶食した方が満足できるようなランチもありうる。

 

いや、待てよ、クレジットカードを使えば……と、予算制約ひとつ決まらない。

 

  仮に予算制約が決まったとしても、次に世界中に存在するすべての飲食店をピックアップする必要がある。

 

とはいえ店に移動するための交通費や労力を考えると、ほとんどの店は考慮対象外だ。

 

ふう、店を絞れそうだ。

 

いや違う。

 

もし巨額の交通費と途方もない労力を払って余りあるほどの満足度(効用)を得られる店があった場合、そこでランチを取るのが正解になる。

 

……いや、それでは予算制約を決めた意味がない。

 

  さらに満足度にも、料理の美味しさや店内の雰囲気などその日その場で得られるものと、経験価値や健康リスクなど将来にわたって正負それぞれに働くものがある。

 

  このように厳密に/ストイックに食事の最適解を探していたら、我々はランチを食べることはできない。

 

飢え死にするまで計算を続ける生ける♯屍{しかばね}になってしまう。

 

  こうした「最適解計算ランチ難民ゾンビ型の人」にならないためにも、日常生活や仕事において最適解を求める意味はないと理解しておく必要がある。

 

その上で、ある程度の計画ができた段階で、まずは実行してみて結果を踏まえてよりよい解を探索すればよいだろう。

 

  何か気になることがあっても、周囲が最適な行動をとっていないように思えたとしても「そもそものゴールに到達できるのならば別にいい」と吹っ切ってしまうのである。

 

そして、「ゴールに到達できない可能性がある場合だけ、自分から何かアクションを起こせばいい」とあらかじめ決めておけば、意識すべき対象が絞られ、気も楽になり成果も出やすくなるだろう。

 

耳栓と平和:心労回避のための刺激制限環境の構築

写真:現代ビジネス

 

 ここまで心労をめぐる人間系の経営を中心にみてきた。

 

  しかし心労の原因には非人間系のものも存在する。たとえば感受性が豊かな人は、音、光、匂い、味、触感といった五感のセンサーも優れすぎているとされる。

 

  そのためそうした人たちは、一時間に一回ほどマンションの外を通る車の移動音で起きてしまったり、カーテンの隙間から漏れるわずかな月光が気になって眠れなくなったりする。

 

そのうちに「このまま眠れないのでは」と頭が冴えてきて本当に眠れなくなる。

 

  現代の仕事は頭と神経は疲れるのに身体は疲れないものが多い。

 

そのためなおさら眠気が起きない。

 

早朝になって、今から寝て仕事に遅刻したらまずい、と、一睡もせず始発で職場や学校に向かったりすることも頻繁である。

 

  ときにはこうした刺激に我慢できなくなり、外を走る車や月に吠えたくなるが、ご近所で「狼人間か、それとも萩原朔太郎か」と噂されたら困るな、と思いとどまるのがオチだ。

 

  音、光、匂い、味、触感といった刺激の原因に対して気をもんでも今度はそれが人間系由来の心労に発展するだけである。

 

そのため非人間系の心労に対しては「刺激が抑えられる環境を創造する」という解決方法をとる必要がある。

 

  かくいう私も(このことを誰も信じてくれないことが一番の心労の種なのだが)繊細さんタイプの人間であり、就寝時は耳栓とアイマスクを着用した上で、自分で自分をふわふわタオルケットにグルグル巻きにするという「赤ん坊おくるみ中年スタイル」を取っている。

 

  その上ですべての窓に遮光シートを張り、遮光カーテンを二重で使用して意図的に暗室を作り出すという、さながら渋谷マンション内違法植物栽培所状態だ。

 

こうした「赤ん坊おくるみ違法植物ダメ絶対暗室創造的な方法」は匂いや味に対しても利用できる。

 

  たとえば電車などの密室ではマスクを着用したり、お気に入りの匂いがついたハンカチ等を持ち歩いたり、口直し用のガムを用意しておくなどである。

 

  もちろんこれらの例はあまりに陳腐かもしれない。

 

だが「刺激を制限する環境という価値を創造する」という視点を持ってさえいれば、読者各位がさまざまな対策を自力で考えることができるだろう。

 

  普段から心労を感じている人はときには自分の心を閉ざすという疑似的な解決策に向かってしまうことがあるという。

 

だが自分の感覚に気が付かないふりをするのは、幸せな感覚もろともシャットダウンする行為になりかねない。

 

  仕事も組織も人生の目的にはなりえない。

 

人間の幸せこそがそれらの目的なのだということを忘れてはいけないだろう。

 

  だからこそ、心労を経営するという視点はますます重要になってきている。

 

 ----------

 

 参考文献

 

 Aron, E. N., & Aron, A.(1997). Sensory-processing sensitivity and its relation to introversion and emotionality. Journal of Personality and Social Psychology, 73(2), 345-368. 

 

飯村周平『HSPブームの功罪を問う』、岩波書店、二〇二三年。

 

 水野由香里『レジリエンスと経営戦略:レジリエンス研究の系譜と経営学的意義』、白桃書房、二〇一九年。

 

 Simon, H. A.(1947)(1997). Administrative behavior: A study of decision-making processes in administrative organizations(4th). 

 

New York, NY: The Free Press. 

 

邦訳:ハーバート・A・サイモン『新版 経営行動:経営組織における意思決定過程の研究』、二村敏子・桑田耕太郎・高尾義明・西脇暢子・高柳美香 訳、ダイヤモンド社、二〇〇九年。 

 

武田友紀『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』、飛鳥新社、二〇一八年。

 

 ----------

 

  つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

 

岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)

 

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