【以下ニュースソース引用】
週に一度の休みの日 家族で囲む南インドお母さんの味
インド食器輸入業
インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡 …
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。
日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。
インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる異国食文化を紹介します。
今回は、東京都板橋区のときわ台でインド料理店を営む南インド出身夫妻の自宅を訪ねました。
都心のマンション ドアを開けるとインドへいざなう香り
東京都中央区佃。整然と区画整理された街には高層マンションが立ち並ぶ。
その一角に、本日お邪魔するビマラさん一家の住む公営住宅がある。
ドアを開けると、中から香りのする煙がむわんと漂ってきた。
インドの、特にビマラさんたちの出身地である南インドでは毎朝香を焚(た)き、香炉に入れて家の神棚から玄関まわり、また商店の金庫などを燻(いぶ)すように入念に煙をかける習慣がある。
それは単なる香りづけではなく、煙には浄化作用があるとされているのだ。
インドらしい香の香りを胸いっぱい吸い込んで、私の気分は一気に南インドへといざなわれた。
板橋区のときわ台でインド料理店「ビマラ・インドダイニング」を夫のコティさんとともに経営しているビマラさん。
毎晩遅くまで営業している上に、通勤時間が片道1時間ほどかかる。
さらに家計を助けるため、ビマラさんは毎朝自宅近くのファミレスに早朝パートにも出ている。
コティさんも仕込みのため早くから店に向かうから、普段は家ではごく簡単なものしか作れず、高校生と小学生の二人の息子たちの食事はもっぱら店で作ったものを自宅に持ち帰って食べさせているという。
「店が定休日の月曜だけは、ウチで自分たちのクニの料理を作って食べるようにしています」
日々の料理仕事に加え、休みの日も自宅の台所に立つ。
大変ですね、などとねぎらうと「料理が私のストレス解消なんです(笑)」とビマラさんは屈託がない。
根っからの料理好きなのだ。
事前に伝えていたとおり、調理は到着と同時に開始してもらった。
「なるべく普段食べているものを」とお願いして、この日まず作ってくれたのはサンバルという南インドの定番の汁物料理。
乾燥したトヴァラン・パルップ(ひき割りにしたキマメ)を、水で戻し圧力鍋で煮込んでいく。
圧力鍋はもちろんインド製。
「煮えるまで6ホイッスル」と、音が鳴るタイプのインド製圧力鍋はビマラ家でも必需品のようだ。
煮えるのを待つ間も、ビマラさんは常に手は動かしている。
続いて酸味を効かせたラッサムというスープ作り。
ビマラさんの出身地、南インドのタミル・ナードゥ州では前半にサンバルとライスとで食べすすめ、後半になったらラッサムをかけてしめくくる、というのが一般的な食べ方だ。
「ラッサムに入れる野菜は、刃物より手を使った方が美味しくなるんですよ」
そういうと、ボウルの中でコリアンダーの葉を手で千切り、さらにタマリンドや丸のままのトマトを手でつぶし入れていく。
取材した3月はまだ時期が早かったが、夏ともなればベランダで栽培しているナスやヘチマ、トマトが一斉に実るという。
夫のコティさんがスマホでじまんの家庭菜園でとれた野菜を見せてくれた。
基本的な味付けには、自宅で配合したスパイスを使う。
既製品もたくさん出回っているが、自家製が一番だとビマラさんはいう。
「その家の好みに応じて、ホール・スパイスをブレンドしたものです。タミル人の家庭なら必ず置いているはずですよ」
野菜料理・肉料理とわず、この自家製マサラが味のベースとなる。
それがその家の味となるのだ。
このマサラをひくのに使っているのが、インド製のミキサーである。
インド製のミキサーは日本製のそれとは違い、硬いホール・スパイスやドライ・ココナツをひくのを前提として設計されている。
だから同じように日本製を使えばすぐに壊れてしまうのだ。
ビマラ家のインド製ミキサーは、もう11年もの間ハードに使い続けているのに一度も故障したことはないという。
圧力鍋が6度目のホイッスルを鳴らすと、ビマラさんは火を止めてフタを開け、マットゥという木づちのような道具で鍋の中で煮えた豆をつぶしはじめた。
こうすることで豆の食感を残しつつ、その味を煮汁に溶かし込んでいける。
そこに別鍋で炒めたナスやニンジン、モリンガ(ドラムスティックとも称されるインド野菜)をあわせればサンバルの出来上がりとなる。
「狭い」日本の台所 創意工夫で使いやすく
インド料理には野菜が多用されるが、細かいカットもビマラさんは手慣れたものである。
包丁は日本式のものよりふた回りほど小さい、果物ナイフのような包丁を愛用している。
実はインドの台所や厨房(ちゅうぼう)仕事ではこれが一般的。日本の包丁は「大きくて使いづらい」らしい。
そうした調理道具の差よりも、日本の住宅に住むようになってまず感じた違和感が、台所の小ささだった。
「インドの台所は広いんです。なにせ家の女性たちが一日中過ごすところですからね。家を新築する時は、居間を狭くしてでも台所は広く作ってもらうぐらいです」
しかしそんな日本の「狭い」台所は、調味料、食材、食器から調理道具にいたるまできちんと整理整頓されている。
調味料や食材などは手を伸ばせば届くところにすべて置かれている。
回転式の調味料入れから慣れた手つきで取り出すビマラさんを見て、存外この「狭い」台所の方が使いやすいのかもしれないのではと私は思った。
ビマラさんが初めて来日したのは2001年、14歳の時だった。当時チェンナイで働いていた父親が新たに職を得た、「エローラ」というインド料理店のあった群馬県高崎市に一家で身を寄せたのだ。
「日本はビルがいっぱいある国だと思っていたから、(まわりが畑だらけで)ビックリしました(笑)」
その後父は独立して、東京・中野区に自らの店、「南印度ダイニング」を立ち上げる。
それにともないビマラさんも2005年以降、中野に居住。学業のかたわら店の手伝いをし、やがて結婚して二人の子供を授かった。
ちなみにビマラさん一家はキリスト教徒だが、夫のコティさんはヒンドゥー教徒である。
「夫はインドにいる頃の幼なじみで恋愛結婚でした。お見合い結婚の多いインドではちょっと珍しいかもしれませんね(笑)」
結婚後、コティさんも長年、南印度ダイニングにコックとして勤務しながら技術研鑽(けんさん)にはげみ、2022年12月にビマラさんと共に独立して「ビマラ・インドダイニング」を立ち上げる。
その間、10年間申し込み続けてようやく現在の公営住宅に入居が決まった。
そうこうしているうちに料理の準備が整った。普段はサンバルとラッサムだけで済ますことも多いのだが、この日は特別にアジを使ったミーン・ペッパーフライ(魚のコショウ入り揚げ焼き)と鶏のワルワル(炒めもの)も加わった。
ミーン・ペッパーフライとはスパイスでマリネした魚を鉄板で揚げるように焼き上げた、外側がカリッとした香ばしい一品。
またワルワルとはホロホロになったジューシーな鶏肉をスパイスと油で包み込んだ、風味豊かな一品。
どちらも白いご飯を強力にすすませるアイテムだ。
ちなみにビマラさんが子供のころは、肉や魚が食卓に上るのは一週間に1~2度だったという。
それだけ野菜にくらべて肉が高かったからだが、日本ではその差があまりない。
「日本に来て肉や魚を食べる回数は増えました」とビマラさんはいう。
来日して20年、さまざまな新しい食との出会いがあった。
「将来の夢はサッカー選手」という、地元の公立小学校に通う次男のジェリン君は給食で出るカレーが大好きだ。
ビマラさん自身、日本に来てはじめて食べたファミレスのハンバーグの味が忘れられないという。
日本は世界中のあらゆる食が楽しめる国だとも。
それでも、いや、だからこそ、週に一度の休みの日にはふるさとの料理を作り、家族でワイワイ食べる。
異郷に定住し、さまざまな新しい味との出会いや発見、影響を受けながらも、故郷の家庭の味を大切にしようとするお母さんの姿がそこにはあった。
食べ歩くインド 増補改訂版
2020年に刊行された小林さんの著作『食べ歩くインド』(旅行人)。2024年4月、『北・東編』と『西・南編』を合本し、新たな情報も加えた『食べ歩くインド 増補改訂版』(阿佐ヶ谷書院)が発売に。
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