【以下ニュースソース引用】

友だちほぼゼロから陸上自衛隊の精神科医になったワケ【精神科医・益田裕介氏インタビュー(1)】

配信

 

ダイヤモンド・オンライン

早稲田メンタルクリニック院長・益田裕介氏(「精神科医がこころの病気を解説するCh」より)

 

 YouTubeチャンネル「精神科医がこころの病気を解説するCh」で、メンタルの病気について発信し続けている、早稲田メンタルクリニック院長の益田裕介氏。

 

本記事では、『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(キム・ダスル著、岡崎暢子訳)の発売を記念して、こころの悩みやその解決方法について精神科医・益田裕介氏に話を聞いていく。

 

 ● バブル崩壊後の暗い世の中に影響を受けた幼少期

 

  ――はじめに、益田先生が精神科医を目指された経緯を教えてください

 

 益田裕介(以下、益田) 小さい頃は親の仕事の都合で2年ごとに転校していました。

 

バブル経済がはじけた後は、世の中がどんどん暗くなっていったのを覚えています。

 

僕自身もあまり明るくはない感じの子どもでした。

 

2年ごとに転校するから友達ができたりできなかったり、とにかくぐちゃぐちゃしていました。

 

  ――どんな世代だったのでしょうか?

 

 益田 「キレる17歳」と言われた世代の、少し下くらいなんです。

 

『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年放映)などが流行っている時期で、インターネットで考察サイトなどを見ていました。

 

同時期に心理学や精神医学もちょっとしたブームになってもおり、そんな影響もあってフロイトや精神分析、哲学などが好きになりました。

 

でも、学校の成績はあまり良くなかったから、医者になるとは思っていませんでした。

 

  ――高校時代はどんな生活でしたか?

 

 益田 高校時代も今でいう陰キャで、友達もほとんどいないし、いてもボソボソぐらいしかしゃべらないような生活でした。

 

でも、漫画や本を常に4冊ぐらい持ち歩いて読んでいました。

 

  ――当時読んでいた本で印象に残っているものはありますか?

 

 益田 『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦・作)なんかは、表紙を触るだけで内容が分かるくらいになっていました。

 

その頃は物がすり減るまで読み倒すというか、同じ本をずっと読み続けるみたいなことをしていましたね。

 

本だと、小説よりも倫理の用語集や教科書などが印象に残っています。

 

 ● 浪人時代の寮監督に憧れ防衛医大へ

 

  ――そこから医学部へ進まれたのはなぜでしょうか?

 

 益田 高校時代の最後には少し勉強もしていたのです。

 

そしたらなんとなく成績も伸びて。

 

今考えると、マニアックな本をたくさん読んでいたことも活きたのかもしれません。

 

  ――防衛医大を受験されたのはどのような経緯からですか?

 

 益田 成績が伸びたとはいえ簡単に医学部に受かるはずもなく、1年間浪人生活を送りました。

 

浪人中は予備校に通いながら寮生活をしていたのです。

 

それで、そこの寮監督が元自衛官の方で、とても良い人だったんです。

 

それが楽しくて、友達もできるから寮生活もできる防衛医大を受験することに決めました。

 

  ――防衛医大ではどのような学生だったのでしょうか

 

 益田 防衛医大では入学すると、6年間寮生活を送るんです。

 

でも、そしたら全然向いてなかった。

 

規則は多いし、先輩に気も使わなきゃいけないし。

 

予備校のノリで入ったら全然違って、6年間とても苦労しました。

 

でも、みんなよくしてくれるし強制的に友達はできました。

 

だから、なじめないというよりは劣等生という感じでした。

 

  ――当時読んでいた本で印象に残っているものはありますか?

 

 益田 その頃、「複雑系」と呼ばれるジャンルが流行っていたので読んでいました。

 

複雑系とは、科学哲学などといったジャンルです。

 

あとは普通に、村上春樹とか。

 

それと、文学とは何かみたいな解説や批評、歴史を読むのが好きでした。

 

  ――防衛医大への入学時には精神医学を学ぼうと決めていたのでしょうか

 

 益田 いえ、最初は自衛官っぽく、救急や外科、総合臨床などを考えていました。

 

ただ、自衛隊も官僚っぽい組織ではあるので、上下関係が厳しかったりということがありました。

 

絶対に医師になりたいと思って入学したわけでもなかったので、困りました。

 

  ――そこから精神科医に進路を決められたのはなぜでしょうか

 

 益田 チームで仕事をする外科とかはあまり向いてなくて。

 

上下関係などもあまり厳しすぎないところだと、やはり精神科だなと思いました。

 

もともと好きだったのもあります。

 

  ――自衛隊内部に精神科があるというのが意外でした

 

 益田 自衛隊は所属している人のボリュームゾーンが20代から50代の男性ということもあり、整形外科や精神科の患者さんが多いのです。

 

逆に内科の患者さんは少ない。

 

それで防衛医大を卒業すると同時に陸上自衛隊の精神科医として7年間働きました。

 

 ● 「カウンセリングができる精神科医になりたかった」

 

  ――その後、自衛隊を退職したのはどのような理由からなのでしょうか

 

 益田 精神分析を勉強しようと思ったことが大きいです。

 

医者って、サブスペシャリティを持つ人が多いんです。

 

例えば、精神科医の中でも精神科の小児や発達障害、薬物療法などいろいろな分野があります。

 

その中で、以前から興味があった精神分析を学びたいと思い勉強会などに出ていました。

 

臨床しながら、カウンセリングができる精神科医になりたかったんです。

 

ちょうど地方転勤の話もでていたので、精神分析の勉強しようかなと思って退職を決めました。

 

  ――退職後はそのまま開業されたのでしょうか?

 

 益田 いえ。そのあとは、都内の精神科病院で2年ほど働いていました。

 

でも、外来で50分のカウンセリングをやるのは現実的に難しくて。

 

僕が医者になるころには薬物療法が精神科の中心になっていたのです。

 

そこでもう開業しちゃおうということになりました。

 

  ――学生が多い早稲田エリアで開業したのはなぜなのでしょうか

 

 益田 今でも教わってる先生からの助言もあり、患者さん側も勉強や探求が好きな人が多いエリアがいいのではないかと考えました。

 

早稲田エリアにクリニックが無かったこともあり、早稲田の地で開業することにしたのです。

 

  (取材・構成 書籍編集局 工藤佳子)

 

益田裕介

 

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