【以下ニュースソース引用】

65歳以降も学び続け元気な人と学ばない人の差、記憶力の衰えでなく好奇心の衰えこそが大問題

配信

 

東洋経済オンライン

シニアにとって勉強の妨げになりうるのは、記憶力よりも「好奇心の低下」です(写真:Fast&Slow/PIXTA)

 

日本で年金を受け取れるようになる年齢は原則として65歳。

 

ここから事実上の「老後」が始まると言っても過言ではないでしょう。

 

シニアになると身体のさまざまな部分が衰えてきますが、知的能力が低下して新しいことを学べなくなるかというと決してそんなこともありません。

 

 「シニアにとって勉強の妨げになりうるのは、記憶力よりも好奇心の低下です」 こう話すのは、経済学者として日本経済を観測し続け、大ベストセラー『「超」勉強法』をはじめ、独自の勉強法を編み出してきた経済学者の野口悠紀雄氏。

 

「人生100年時代の勉強法」を伝授した『83歳、いま何より勉強が楽しい』より一部抜粋、再構成してお届けします。

 

■好奇心があるから研究する

 

  好奇心こそ、さまざまな知的作業の源泉です。

 

2021年のノーベル物理学賞受賞者の真鍋淑郎博士も、それを強調していました。

 

まったく賛成です。

 

  私がとくに強調したいのは、好奇心があるから仕事をし、そして仕事をするから好奇心が生まれるということです。一日中テレビを見ていては、好奇心は湧かないでしょう。

 

  そして、書いたものを読んで貰って評価されることほど、嬉しいことはありません。

 

私は、この中毒症状になっているのではないかと、最近思っています。

 

何を取り上げられてもよいから、書く仕事を取り上げないでほしいと、心の底から願っています。

 

 好奇心は勉強の最大の原動力です。知識が増えると、好奇心が高まり、さらに勉強したくなります。

 

  「知りたい」という欲求は、人間の本能です。

 

なぜなら、人間は力ではなく、知的能力によって他のあらゆる動物よりも優れているからです。

 

  ところで、人間は生まれたときから食物連鎖の頂点に立てるわけではありません。

 

生まれたときの人間は、他の動物とは異なり、能力がほとんどありません。

 

肉体的能力も低く、知的能力も非常に低いのです。

 

 そのまま一人で森の中に放置されれば、他の動物の餌食になるか、または死亡します。

 

肉体的能力は時間と共に向上しますが、知的能力の多くは学習によって得られます。

 

人間だけが勉強によって進歩します。このことから、勉強は人間を特別な存在にしている要因であることが分かります。

 

  人間は人生の多くを勉強に費やしています。

 

大学まで進学する場合を考えると、0歳から22歳までが学習期間、22歳から64歳までが労働期間、そして65歳以降が引退後の期間となります。

 

人間は生涯の4分の1を学習に使っているのです。

 

大学院まで進むと、学習期間は3分の1にも延びます。

 

このような長い期間を学習に費やす生物は人間の他にはいません。

 

 好奇心があると知識が増えるというのは、当然です。

 

私は、この逆命題も真だと思っています。

 

つまり、知識が増えると好奇心も強くなるのです。

 

興味のもとになるのが知識なのです。

 

  例えば、飛行機の窓から外の景色を眺めるとしましょう。

 

その風景がどこの土地なのか知っていれば、「あの町は上から見るとこうなのか」と興味が湧きます。

 

一方、知らなければ特に関心を払わず、記憶にも残らない。

 

人は興味があるから勉強する気になりますが、勉強して知識を得ると、それによって興味を掻き立てられて、さらにまた学びたくなるのです。

 

■知識が蓄積されると好奇心が強まる

 

  公園を歩いているとき、樹木の名前を知っていれば、より注意深く観察するようになります。

 

鳥や昆虫の名前を知っていると、もっと詳しく観察したくなるのです。

 

そして、知識が深まるほど好奇心も増します。知識と好奇心は互いに強化し合います。

 

  これは、さまざまな場面で経験します。

 

夜空を眺めていても、星座を知っているか知らないかで、その感じ方は大きく異なります。

 

星座を知らずに漠然と眺めているだけでは、星空の美しさを感じることは難しいでしょう。

 

 南半球を旅行したにもかかわらず、南十字星を見ていないという人は多いのです。

 

何という貴重な機会を無駄にしていることでしょう。

 

仕事で南アフリカやオーストラリアに何年も駐在していた人でさえ、南十字星を見たことがないと言います。

 

  私にとって、それは信じられないことです。

 

南十字星のあたりの星空を双眼鏡で見ると、息を呑むほど美しいのです。

 

南十字星はオーストラリア南部まで行けば一年中見ることができますが、日本からは見ることができません。

 

 歴史の学習も同様です。

 

外国の町や日本の地方の町を訪れると、興味が湧き、その地の歴史を調べたくなります。

 

そして、歴史を知ることで、旅行がさらに楽しくなります。

 

  アイルランドの歴史を知っていると、アメリカ映画の理解も深まります。

 

アメリカの映画業界にはアイリッシュ・アメリカンが多いからです。

 

『風と共に去りぬ』、『黒水仙』、『静かなる男』、『ミリオンダラー・ベイビー』などは、アイルランドの歴史を知らなければ理解できないでしょう。

 

 バレエも同じで、踊っているバレリーナが誰なのか知っているか否かで、観る楽しさは大きく変わります。

 

数年前に制作されたDVDで、今では世界的なバレリーナがグループの一員として踊っているのを見つけたりすると、非常に楽しいものです。

 

 ■「無知であることのコスト」を痛感した私の経験

 

  私自身、知識がないために、貴重なチャンスを有効に活用せず無駄にした経験もあります。

 

今でも後悔しているのは、タキシラ遺跡を訪れた時のことです。

 

 パキスタンの首都イスラマバードで講演する機会があり、その際に訪れたのですが、タキシラ遺跡がガンダーラ遺跡の一部であることを知らず、ただぼんやりと見てしまいました。

 

  日本に帰った後で、これがガンダーラ遺跡だったことを知り、地団太を踏みました。

 

ガンダーラに行けることなど、もう二度とありえません。

 

ゲリラが出没する地域に、銃を持った護衛つきで、イスラマバードから一日かけて行ったのですから。

 

  「豚に真珠」そのもの。「野口悠紀雄にガンダーラ遺跡」と自嘲したくなります。

 

絵画においても同様です。フィレンツェのウフィツ美術館やパリのルーブル美術館には何度も訪れたのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品については、「受胎告知」と「モナリザ」にしか注意が向いていませんでした。

 

 その結果、「東方三博士の来訪」、「岩窟の聖母」、「キリストの洗礼」などを見逃してしまったのです。

 

美術館を訪れた時には、これらがいかに偉大な作品であるかを知らなかったからです。

 

「ルーブルと言えばモナリザだけ」とは、恥ずかしい限りです。

 

  学ぶのに遅すぎるということはありませんが、「もっと知識を持っていれば」と後悔することはたくさんあります。

 

それが取り返せないこともあります。無知であることのコストは、想像以上に大きいのです。

 

 私は昔から経済について勉強してきました。しかし、勉強すればするほど、日本の賃金はなぜ上がらないのか、一方でアメリカや韓国はなぜ成長率が高いのか、と謎が深まっていきます。

 

その謎が好奇心を刺激して、勉強への意欲は高まります。

 

  人間は本来、年齢とともに知識が積み重なり、それに伴ってより高度な知識や関連分野の知識への欲求が強くなっていくはずです。

 

  興味と知識は密接につながっています。

 

興味を失うと勉強しなくなり、勉強せずに知識が古くなったり忘れたりすると、さらに興味が失われていく。

 

この悪循環こそが勉強の最大の敵です。

 

もしこのサイクルが止まっているのなら、いますぐ再循環させなくてはなりません。

 

 「興味が湧かない」と感じるならば、それは「学び始める」チャンス。

 

学ぶから、興味が湧く。学びはいつでも「起点」になるのです。

 

 ■コンピュータとの長い付き合い

 

  私はPCやスマートフォンをかなり使っていますが、それは、大型コンピュータの時に散々苦労させられたからだと思います。

 

  最初に大型コンピュータを使ったのは、大学3年生のとき(昭和36年:1961年)。

 

夏休みの工場実習で三菱造船(現・三菱重工)長崎造船所に2週間くらい滞在。

 

IBMのコンピュータを使いました。多分、日本で初めて使えた大型コンピュータの一つだと思います。

 

「コンパイラ」という装置で穿孔テープを作り、それをコンピュータに読み込ませていました。

 

ニュートン法で方程式の解を求めるプログラムを通すことに成功。

 

 大学4年の時には、日本が最初に作った大型コンピュータTACの中に入りました。

 

「中に入った」というのは、東大総合試験所の大きな部屋が、まるごと一つのコンピュータだったからです。棚に真空管がずらっと並んでいました。

 

  1970年代の初め、アメリカ留学中、学生の身分でコンピュータを使うのは大変なことでした。

 

申し込んで待たなければならないからです。

 

その後大学で職を得てからはコンピュータを使える身分になったのですが、大量のプリントアウトに悩まされました。

 

 1970年代の初めに登場した小さな卓上関数電卓HP35は、個人が使える世界で初めてのプログラム内蔵型コンピュータで、それまで大型コンピュータの使用で順番待ちをすることに悩まされ続けてきた身としては、自分だけが使えるコンピュータの登場に感激しました。

 

その利用に夢中になり、これで解ける問題はないかと探し回ったくらいです。

 

その後、コモドールのPCが登場。早速購入して、ゲームを作りました。

 

 ■無知から新しいものは生まれない

 

 知識を持つことは、実用的な目的にも役に立ちます。

 

これは当たり前のことです。

 

  知識が新しい発見を促します。

 

科学上の発見は、それまでの知識の上に立ってなされることが多いのです。

 

知識があるからこそ、新しい発見があります。

 

  ビジネスモデルの場合も同じです。

 

企業が直面している問題の解決のために、過去の経験のビジネスモデルが役に立ちます。

 

そうした事例を知っているからこそ、発見ができます

 

無知の状態から新しいものが生まれることはありません。

 

 知識を得るために必要とされるコストが低下したので、知識を得ようとすれば、簡単に手に入れられるようになりました。

 

ただし、知識が重要な役割を果たしていることに変わりはありません。

 

  知識を多く持つ人ほど、多くの知識を欲しています。

 

その意味において、知識を多く持つことが重要であることに変わりはありません。

 

「望めば簡単に手に入るようになった」のだから、知識を持っていることの重要性は増えたと言えるでしょう。

 

知識そのものが直接的な意味で役立つわけではありませんが、知識が触発する発見が重要なのです。

 

野口 悠紀雄 :一橋大学名誉教授

 

記事に関する報告

 

X(旧Twitter)でシェア

【関連記事】

こんな記事も読まれています

  • 老後「死ぬほどヒマな人」「毎日楽しい人」の決定的な違い

    ダイヤモンド・オンライン

  • 年齢よりも「若く見える人」「老けて見える人」は何が違うのか?「老化の個人差」を生み出すもの

    現代ビジネス

  • 専業主婦から「アンダークラス転落」への危険経路 貧困に陥りやすい女性の構造的な原因

    東洋経済オンライン

  • 定年後、なにをやったらいいかわからず呆然…退屈すぎる老後を乗り切るための「とっておきの秘策」

    現代ビジネス

  • 日本で増加する「生涯未婚」の背景にあるのは?親のエゴがまかり通ってしまう現代の結婚事情

    webマガジン mi-mollet

  • 高齢者は「焼き魚よりも煮魚」「煮魚よりも刺身」が体にいい…医師が「避けなさい」と説く調理法の種類

    プレジデントオンライン

  • 〈那須・焼かれた2遺体〉「いつかこうなると思った」もうひとつの遺体は日頃からトラブル相手を罵っていた妻だった…逮捕された刺青男は「アニキ」と「共犯」について供述を開始

    集英社オンライン

  • いつか死んでいくすべての人が避けられない大問題…私たちが「この世」からいなくなるとはどういうことか

    現代ビジネス