【以下ニュースソース引用】

「子どもから大人まで異様に増え続ける発達障害」と「日本社会のヤバすぎる特性」...正常な人が「異常」扱いされるのは日本だけ

配信

 

現代ビジネス

米田倫康氏(左)と和田秀樹氏(右)

 

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 2020年の国内の精神科患者は、入院と通院を合わせて614.8万人。日本人の20人に1人が精神科で治療を受けている計算だ。

 

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一般的な精神疾患である「うつ病」に加え、近年は「発達障害」と診断される人も急増している。

 

このような異常事態に警鐘を鳴らしているのが、『精神医療ビジネスの闇』(北新宿出版)の著者であり、20年以上にわたり精神医療現場での人権侵害問題に取り組む米田倫康氏だ。

 

 米田氏は「患者が増えていることに伴い、診療の質が低い精神科クリニックも急増している」と指摘する。

 

 一方の精神科医・和田秀樹氏は「発達障害者を異端扱いし、社会から除け者にしている現状では、過剰診断は危険だ」と語る。 日本の精神医療の問題点をめぐり、米田氏と和田氏との対談を全3回にわたり、お届けする。

 

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 前編『「大多数の精神科医は投薬の専門家に過ぎず、精神療法は独学」...和田秀樹氏も驚愕した「日本の心療内科」の「ヤバすぎる実態」』に続き、今回は日本特有の発達障害事情について対談する。

発達障害の過剰診断は間違いない

 米田 前回は、主にうつ病のお話だったんですが、精神科の診療領域では、発達障害も大きな柱になっています。

 

そして若い人や子供が精神科に通っているというお話も出ていましたが、いまは発達障害と診断される子供が急増しています。

 

  全国的に発達障害の診断は急増しているのですが、都道府県で唯一発達障害と診断・判定された児童生徒の実数と割合を毎年把握している長野県の調査によると、その割合は6.82%となっています。

 

特にASD(自閉症スペクトラム障害)の急増が目立ち、調査開始の平成15年度(2003年度)には0.13%だったのが、令和5年度(2023年度)では3.23%です。

 

国際的な基準で0.65~1%と想定されていたことを考慮すると異常な数字です。

 

  和田 発達障害がメディアで大きく問題になり始めたときは、通常学級の3%ぐらいと言われていました。

 

それが今だともう8.8%という調査結果になっているわけで、過剰診断なのは間違いない。

 

  加えて、発達障害なるものを本当に直す必要があるのかという問題もあります。

 

もちろんね、コンサータというADHD治療薬を使って落ち着かせないとどうしようもないぐらいのレベルの子はいないわけじゃない。

 

だけど、大抵の子は多少落ち着きがないとか、他人の気持ちが多少わからないというレベルなんです。

 

  それを病気とみなしていいのかなとは思いますよ。

 

子供の頃の私を振り返ると、他人の気持ちなんてまったくわからない、とんでもないクズガキで、いまだったら明らかに発達障害に当てはまる。

 

でも、そういう性質は個性でしょう。

 

発達障害だけれど精神科の医者になれたし、国内でいちおう定型的なトレーニングを受け、アメリカでも3年勉強できたおかげで他人の気持ちは普通にはわかるようになったわけです。

 

医者以外のいろいろな仕事ができているのも、発達障害のおかげだと思っていますよ。


学校や医師の指示に易々と従ってしまう同調圧力

 和田 私の母親は、「正常」でないといけないという発想をさらさら持ち合わせていない人だったから、われわれ兄弟は恵まれていたと思う。

 

母は、私が変わり者だってことをよく知っていて、みんなと一緒であるべきだとは考えない。

 

ことあるごとに 「お前は勤め人にはなれないから、とにかく医者でも弁護士でも、なにか資格を取らないとダメよ」と言われて育ってきました。

 

  私の弟もそう。

 

彼は幼稚園の時に大病をしたせいで、ちょっと知的障害的な時期があって、小学校2年生の時に、当時の特殊学級に行けと言われたんです。

 

しかし母親は、そんなはずないと断然として拒否しました。

 

  米田 そういうご家庭は、少数派だと思います。

 

  「早いうちに親が子供の異変に気づいて、早期療育をしてあげないと社会性が身につかない」と言われると、もう誰もが従ってしまう。

 

その同調圧力はすごいですよ。

 

そうしないのは親の虐待だとかエゴだと決め付けられてしまうんです。

 

子供に発達障害があるのなら、早くなんとかしてあげるのが親の責任じゃないかと責められます。

 

実際には発達障害を客観的に判別する手法など存在せず、専門家の診立てが本当に正しいのかどうか誰も保証できないにもかかわらず。

 

  和田 私もそれは感じたことがあります。

 

私の娘は大学の付属の小学校に通っていたのですが、クラスで仲間外れにされました。

 

私の感覚としては、合わない学校に無理して居続ける必要ないから、「それならそれでいいじゃん、中学受験でもさせようよ」と考えたんですが、私の妻は娘が仲間外れにされているという事態に対してめちゃくちゃビビってたんです。

 

  私は仲間外れにされた経験なんてしょっちゅうあるから、そんなことではまったくビビらないんだけど、普通の人の感覚は、そうじゃないんですよ。

 

「お宅のお子さんはちょっと落ち着きがなくて、他人の心がわからないからクラスで浮いている」なんて言われたら、どれだけの親が逆らえるか。

 

  ウチの子を、特別支援学級じゃなくてみんなと同じ普通級に置いてくれよと思えるような親のほうが、少ないんじゃないか。

 

つまり、自分の子供が変だと言われたら、それを素直に受け入れる親が多いんじゃないかという印象を僕は持ってる。

 

いまのダイバーシティの考え方でいけば、何が悪いんだろうと思うんだけどね。

 

「発達障害=個性」にならない日本社会

 米田 発達障害にしてもうつ病にしても、メディアを巻き込んだキャンペーンになってしまうと、それに反対する人もおらず、みんな同じ論調になってしまうんですよ。

 

  和田 米田さんも同窓だからわかると思いますが、灘高は変なヤツが多い学校です。

 

あそこに集まるような天才肌の人たちってたしかに共感力が低いから、発達障害のレッテルを貼られかねないわけですけど、普通の国だったら、そいつらを天才予備軍として大事にするんですよ。

 

  これに関しては、発達心理学者で英国のケンブリッジ大のサイモン・バロン=コーエン教授がいいことを言っています。

 

彼は、人間が動物でない形で進化した要因が、まず、共感能力にあるとする。

 

これは、他人の気持ちがわかる能力のこと。

 

  もうひとつの要因として彼が挙げているのが、システム化力で、物事の規則性を見つける能力。

 

これがあるからいろいろな発明や発見ができているわけです。

 

そしてコーエン教授によると、共感能力とシステム化力は逆相関の関係にある。

 

  いわゆる共感能力の高い人──日本で言うところの文系脳とか国語脳みたいなもの──と、システム化力──日本で言う理系脳みたいなもの──が逆相関にあるから、共感能力が非常に弱くてシステム化力だけが高いやつは、 日本では発達障害として弾かれてしまう。

 

ところが、海外ではそういうのを受け入れるから、スティーブ・ジョブズみたいな人が世に出てくるっていう考え方をコーエン教授はしてるわけだよ。

 

  ちょっと落ち着きがないだの、ちょっと片付けられないだの、ちょっと人の気持ちがわからないだの、そういう人たちは別の特性や長所も持っているのに、そこを個性と見ないで変なヤツとして排除する。

 

それはもともと日本という国の特性でもあって、落ち着きのないヤツよりは、じっと座って授業を聞いていられるヤツの方が偉くて、みんなと合わせられるやつが良い子とされる文化だから。

 

  人の気持ちがわからない天才肌よりも、人の気持ちがわかるちゃんとした人間のほうがいいわけです。

 

他の国だったら、「いや、変わり者でもいいじゃん」って受け入れられやすいのに、日本ではそこを排除する文化に発達障害の診断がお墨付きを与えている。

 

変わってる人たちに対して日本は不寛容だから、病気だってことにするのは都合がいい。

 

そこが日本の場合、発達障害を抱える人たちの不幸でしょう。

 

  米田 異分子を排除したがる力が強い日本社会の特性とマッチしてしまったのは、本当に不幸だと思うんですよね。

 

要するに、集団教育からあふれる子というのは、管理する側にとっては邪魔なわけですよね。

 

  そこに対して発達障害というレッテルを貼って、支援や医療という形で「通常」の集団から遠ざける。

 

酷い場合には投薬によって落ち着かせて、矯正してそのグループに入れるということを強いる。

 

その当人が選択してそれを選ぶのではなく、周りが強制するんですよ。

 

服薬してでもいいから普通になってみんなと一緒に勉強しなさいって。

多くの社会人に発達障害の診断名は必要ない

 米田 子どもだけでなく成人のケースでも同様で、間違いなく過剰診断だらけです。

 

大人の発達障害の診断の話を聞いていて不思議だなと思うのは、 診断を受けたその人は、それまで社会生活を営んできた人なんですね。

 

  よくあるケースとしては、しっかりした会社で幹部としてお勤めしていた人が、心身の不調を抱えたのでクリニックに行ったら、「あなたは大人の発達障害ですよ」と言われて、「あ、そうだったのか!」となる。

 

しかし、本来の診断基準からすると、社会性やコミュニケーション能力が破壊的ぐらいまでのレベルでないと、発達障害としての診断はできないんですよ。

 

  もちろん、社会性やコミュニケーション能力について危うい傾向がある人はたくさんいますよ。

 

しかし、それまで曲がりなりにも社会生活を営んできた実績がある以上は、いちいちそこに診断名をつける必要はありません。

 

なのに、いったんそれがつくと、自己暗示がかかる。自分は発達障害だからということを言い訳にして、身の回りのトラブルの免罪符にしてしまいがちです。

 


  和田 自閉症スペクトラムやADHDなどの発達障害に関して、世間のコンセンサスとして「それも個性だ」と認めてくれてるんだったら、多少の過剰診断もいいとは思います。

 

この人はなんかちょっと落ち着きないけど好奇心旺盛だとか、ものを片付けられないけど割といろんなことに興味を持ってる人だとか、 この人はとても変わり者だけど集中力抜群だとか、そういう個性として認識してくれているんであればね。

 

  ところが、今の社会的認知は、「ダメなやつは、矯正しないといけない」「薬で治療しないといけない」という、ダメなやつというレッテル張りになってしまっている。

 

だから、過剰診断に害がある以上、現状のやり方はまずいんじゃないかと思いますよ。

 

  米田 初歩的なところに大きな問題があって、発達障害の「障害」という言葉。

 

これは英語の元の言葉ではディスオーダー(disorder)なんですが、「障害」と翻訳したのがいけなかった。

 

日本語の「障害」には、「この人は生まれつき器質上の問題がある、あるいはもう一生治らない」というイメージがつきまといます。

 

  そのため、いったん発達障害という診断をつけられたら、もうこの人は普通じゃないんだから普通と違うレールでないといけないとか、排除しないといけないというイメージができてしまったのも不幸のひとつと感じます。

 

  構成・文/野中ツトム(清談社)  後編『「海外の新しい科学的発見をも無視する日本の医学界」...改革を阻み続ける、多すぎる「日本の病理」』では、発達障害が「正常」にならない日本社会の背景について、語っていく。

 

週刊現代(講談社)

 

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