【以下ニュースソース引用】
周りに合わせる必要はない...「発達障害」「自閉症」に悩む自分を大きく変えた「ある体験」
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医学系出版の大手・医学書院。
そんな名門から、医学書とも人文書ともつかない“異端のシリーズ”が刊行されていることをご存じだろうか。
【写真】「ケア」をめぐる話が、思いもよらぬ「過激な結論」にたどり着いたワケ
そのシリーズの名は〈ケアをひらく〉。
2000年の創刊以来、ジャンルの垣根を打ち壊す刺激的なラインナップを連発し、話題を呼んできた。2019年にはシリーズ全体が毎日出版文化賞を受賞している。
2024年3月、そんな「伝説」のシリーズをたったひとりで手がけてきた編集者、白石正明氏。
その退職にあわせて、〈ケアをひらく〉の軌跡を振り返るイベントが、東京・下北沢の「本屋B&B」で3週連続で開催された。
本連載では、その模様をダイジェストでお届けする。
今回は、『みんな水の中』の著者・横道誠氏と白石氏が登壇した最終回である。
(構成:高松夕佳)
〈ケアをひらく〉の歩んだ道
横道 大盛況ですねえ。私が本屋B&Bのイベントに登壇するのは今回で8、9回目なんですが、こんなに人が集まっているの、初めて見ました。
白石 出過ぎですよ、横道さん(笑)。
横道 白石さんの引退イベントというと、僕の中では昨年2023年6月にふたりでやったオンラインイベント「当事者、当事者研究、当事者批評~『シリーズ ケアをひらく』のめくるめく世界」が最初です。
3月に医学書院を退職されると聞いていたので、一種のお別れ会のつもりでした。
あのときは私が録画に失敗して、後半が配信できなかったのですが。
白石 あれ面白かったですよね。
特に〈ケアをひらく〉シリーズの全冊について語った前半部分がすばらしかったのですが、そこが録画されていない(笑)。
でも、あそこが配信されなかったおかげで今回、「精神看護」(2024年3月号)の特集企画(「特集 白石正明さん(編集担当)が主観で解説する シリーズ〈ケアをひらく〉全43冊」)ができたんです。
横道 この特集、大変だったのではないですか。
白石 僕は本をめくりながら合わせて十数時間ほどしゃべっただけですが、正月返上で文字起こしした編集部は大変だったと思います。
でも僕の記憶もいい加減で、そうだと思っていたことがだいぶ違っていましたね。
たとえば岡田美智男さんの『弱いロボット』立案のきっかけが、「現代思想」のロボット特集だったと思っていたら、実際にはメルロ=ポンティ特集だったとか。
横道 「ロ」しか合ってませんよ!
白石 そうそう。
僕の記憶の中では、ロボットに関する素晴らしい論考が並ぶ中で、岡田さんだけがしょぼい(笑)ことを言っている、という思い違いがされていた。
そういうこともありましたが、だいたいは覚えていましたね。
横道 〈ケアをひらく〉の他にも何冊も手がけられているんですね。
白石 実は僕が作った本の中で一番売れているのが、『ユマニチュード入門』(本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ著)なんです。
この本はそれだけではありませんが、やっぱり売れるのは実務書です。
横道 私もそういう本作りたいです。
ヨコミチュードとか。
白石 ヨコミチュード!? (笑)。
あとは、2009年に精神看護の教科書を全面的に作り変えました(『新看護学15 精神看護』)。
「べてるの家」を教科書に初めて登場させてもらったりで楽しかった。
心の問題に迫る「対話」と「逆説」
横道 読者的には、この本はなぜ〈ケアをひらく〉シリーズに入っていないんだろうと思う本もあるのですが、どういう視点で分けているんですか?
オープンダイアローグに関する本(『オープンダイアローグとは何か』『開かれた対話と未来』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』)とか。
白石 オープンダイアローグはやっぱり技術として売りたい、と思ったんです。
思想を語ることはいくらでもできるけれど、もっと具体的に役立つことを強調したかった。
今、斎藤環さんによる4冊目を作っています。仮タイトルは『イルカと否定神学』。
イルカというのは、グレゴリー・ベイトソンの学習理論の実験から来ていて、否定神学はラカンです。
そのふたりを使って、オープンダイアローグの先進性を語る。斎藤さんの難解な部分を一気にまとめるような本です。
これでまた精神分析方面からは嫌われてしまいそうですが。
横道 斎藤さんはもともとラカン派として登場した人ですが、オープンダイアローグに出会って、ラカンの臨床はダメだと反ラカンになっていったんですよね。
白石 今度の本でも、話すだけでなぜよくなるのかというオープンダイアローグの大いなる謎について、かなりストレートに書いている。
話すことがなぜ回復に寄与するのか。これは本当に謎ですよね。
横道さんは自助グループをたくさんやっていらっしゃいますが、そのメカニズムをどんなふうに認識されていますか?
横道 野口裕二さんが『物語としてのケア』で書かれていたように、社会に存在するあらゆるものは言語を通して頭の中で作り上げたものであって実在などしないという、「社会構成主義」のことを考えたりはしますね。
私たちは普段、自分なりの考え方・感じ方で人生を整理しているけれど、それはあくまで自分なりの整理であって、ニーチェのいうパースペクティヴィスムス(遠近法主義)でしかない。
別の視点に立てば違った世界が広がっている。
オルタナティブによって回復が起こるという発想は、すごくわかる気がします。
白石 斎藤環さんが『イルカと否定神学』で説くのも、その点です。
いま思想的には実在論のほうに傾いていますが、人の心の問題は、基本的に逆説モードの中にしか存在しない。
だから社会構成主義や否定神学的な発想がすごく重要なのだと、力を込めて書いています。
面白い本です。
つながるケアと文学
横道 この「精神看護」の特集では、4月以降に出る柴崎友香さんと赤坂真理さんの近刊についても触れられています。
いずれも第一線で活躍されている作家ですね。
実は数年前から、このふたりが私のTwitter(現・X)に「いいね」を押すようになって、なんだろう? と不思議に思っていたのですが、白石さんつながりだったのか、と合点がいきました。
白石 おふたりも横道さんに興味津々です。
赤坂真理さんなど、横道さんの『みんな水の中』を読んで、「こんなふうに自由に書けたらいいな」とおっしゃっていましたよ。
あの本には詩と論文と小説が収録されています。
1冊を通して物語を紡いでいくことには飽き飽きしてきたけれど、横道さんのようなやり方ができるなら面白い、と。
横道 文学研究者として、「御文学様」みたいなものに抵抗したい気持ちがあるんですよね。
文学はもちろん好きですが、専門家としてはつい、様々な経緯があって、いま文学はこうなっているんだよな、という制度化問題を考えてしまう。
「源氏物語」にしても、今では非常に高級なものと捉えられていますが、明治時代には、不倫やエロだらけ、風俗紊乱の最悪な文学と言われていた。
時代によってそこまで違ってくるのです。
白石 確かに。歌舞伎も、語源は「かぶく=傾く」、つまり正道ではない方にいくという意味合いだったのが、今ではいかにも正道と捉えられ、正しい家柄の人が受け継ぐイメージになっている。
不思議ですね。
横道 そうなんですよ。
今の文学作品に面白味を感じないことが多いんです。
文学の歴史をひもとくと、歴史物や他ジャンルと混交していたような表現が、時代を経て「文学」になっていったという経緯がある。
今、王様のように君臨している小説は、いわば「新興成金」。
19世紀ごろから一気に隆盛し、大掛かりな実験は20世紀前半でほぼ終わっているにもかかわらず、王様の座に居座り続けた結果、古典芸能に近しいものになってしまっている。
そう感じていた折、数百年前に「文学」とされていたものを読んで、感動したんです。
以来、そういうエッセンスを自分の本に取り入れていきたいと思うようになりました。
シリーズ〈ケアをひらく〉は、文学の王道の人たちを取り込んで、今後さらに盛り上がっていきそうです。
白石さんの退職と同時に終わるのではなく、新たな分岐点を迎えるということですね。
接続詞は予定調和をつくる
白石 文学はやっぱり面白いんですよ。
〈ケアをひらく〉をやっていて思うのは、ケアの話は、いくら「説明」されても響かないということです。
だからこそケアの本は「体験」がベースになる。
そういう視点で見ると、文学のほうがはるかにすごい体験をさせてくれる本が多いなと。
横道 それはいつごろから感じられていたのですか?
白石 川口有美子さんの『逝かない身体』で、接続詞を取って以来ですね。
あの本を編集している最中に、「原稿から接続詞を取ったら文学になった」というすごい発見がありまして。
横道 私は子どものころ、感想文を提出するたびに「接続詞をつけましょう」と先生から怒られていましたけど。
「しかし」とか「だから」をつけるように、と。
白石 文章が内在的につながっているのなら、接続詞はいらないんですよ。
なくてもわかるのに「しかし」と入れると、読者が引いてしまう。
むしろそこを空白にしておけば、読者は自分から入ってきてくれる。
横道 接続詞は予定調和を作りますからね。
ベタな流れを作っていくというか。
白石 文意を狭めて、一貫性を持たせようとする。
試験では採点しやすいのでしょうけれど、こちらは商売ですから。
一貫性になんて誰も金を払いません(笑)。
読者が入ってみたいと思うような隙間を作らなければ。
人の力を借りて生きる
横道 この20年で、医学書院に限らず〈ケアをひらく〉っぽい本は、すごく増えましたよね。
僕は『みんな水の中』が出た2020年5月以降の3年間で20冊ほど著書・編著・共著を出しているのですが……。
白石 1人で何やっているんですか(笑)。
横道 タッグを組んだ編集者は、多くの場合、「〈ケアをひらく〉みたいな本を出したい」と思っている人たちだったのではないかと感じます。
白石 横道さんに頼めばすぐに書いてくれるだろう、と思うのでしょうね。
さっき話に出た「精神看護」に、横道さんの「べてるの家訪問記」があるんですが、午前に依頼して午後できた、みたいなスピードだったらしいじゃないですか。
横道 短いエッセイや書評などでしたら、私は「即日納品」を原則としています。
白石 こんな人いないでしょう(笑)。推敲はしているのですか。
横道 いやそれは……編集者がしてくれるじゃないですか。
編集者や構成担当者が「ここはちょっと」と言ってくれたら、だいたいの場合は「まあ、そうですね」と言って直す。
白石 なるほど、人の力を借りて。確かに人任せなところ、ありますよね。
横道 白石さんのいう、自分だけで完結しない「グループの力」です(笑)。
それがないとなかなか難しくて。家事の面でも、私の生活はホームヘルパーがいなかったら破綻していると思います。
白石 少年時代からそういう感じだったのですか?
横道 いつも寝転がっていましたね。感覚統合ができないので、背筋をちゃんと伸ばしていられないのです。
いつも体が不安定で、何かを触っている子どもでした。
いま思えば、典型的な自閉症です。
白石 「締め付け機があれば使いたい」というタイプでしたか?
横道 テンプル・グランディンが開発した「ハグマシーン」ですね。
確かに、母親のドレッサーに入ってぎゅぎゅう詰めになっているのは気持ちがよかったです。
3歳ごろ、段ボールの中に入っていたら、「誠がいない!」と大騒ぎになり、事故にあったのではないかと警察まで呼んで探し回ったこともあったようです。
白石 僕の知っている女性で、普段は一体のものとして認識できない自分の体が、出産のときだけひとつになるという人がいます。
誰もが自分の体はひとつのものだと思っているとされていますが、必ずしもそうじゃない。
そういう人の知覚や感覚は、僕らとはまったく違う。
それなのにその人の解釈がおかしいと言われてしまう。
知覚という受容器の違いが脳の解釈の問題にされてしまう感じが、僕は嫌なんです。
精神科医に多いような気がしますね。
横道 病理的な説明をするということですよね。多数派じゃないから異常ということにしている。
白石 だから〈ケアをひらく〉シリーズを手がけることで、そのように普通と思われていることが実は全然普通じゃないとわかってくるのは、気持ちがいいです。
〈ケアをひらく〉に感動したワケ
横道 私自身は、40歳のときに仕事に行けなくなって休職し、検査をしたところ発達障害とわかった。
休職中に18年がかりで取りくんできた博論を完成させたのですが、自分が次に何をしたいかを考えたとき、好きだったはずの文学や芸術、思想に興味が湧かなかった。
自分が発達障害の診断を受けたことで、そちらが最大の関心事になっていたからです。
そこから医学や福祉の本を読み始め、〈ケアをひらく〉に出会った。あのときの感動は大きかったですね。
白石 感動というのは?
横道 文学に向かう人というのは基本的に、世の中にありがちな説明や体制、考え方に納得できない人です。
でも実際に文学をやり始めると、そこには制度の問題があり、純粋な文学など存在しないことがわかる。
そのことに悶々としていたとき〈ケアをひらく〉シリーズを読んだら、そこには「文学」があったんですよ。
白石 ああ! 感動の意味が、今わかりました。
シリーズ〈ケアをひらく〉20周年の年に、オンラインの読書会イベントをやることになり、登壇者を募集したら、「すべて読みました。感動しました」と書類に書いてきた人がいて。
来てもらったら、ひとりだけ画面の映り方が違っていた。
仰角で、どアップ。
それが横道さんでした。
この人はホンモノだと(笑)。
その後、メールでいただいた原稿を読んだら、『みんな水の中』の第二部の元になった論文だった。
お返事するのに1ヶ月ほどかかってしまったのですが。
横道 「いま忙しいので」と言われたので、断られたのだろうと思っていました。
本依頼を受けてから原稿完成までは2、3ヶ月でしたけどね(笑)。
白石 その一方で、色が大変でした。
同じ青でも違うんですね。
金子光晴訳の『イリュミナシオン ランボオ詩集』の色にしてくれ、とか表紙の色にめちゃうるさくて。
そのうち面倒くさくなって、「これと同じにしないと著者がうるさいんです」と、デザイナーの松田行正さんに『ランボオ詩集』を持っていきましたよ(笑)。
横道 やっぱり、こだわりがあるんですよ。
青と言ってもいろんなグラデーションがあるじゃないですか。
青だったらなんでもいいだろうというずさんさが嫌というか。
そこにポエジーはあるか
白石 横道さんはシリーズ〈ケアをひらく〉ではどれが一番好きですか?
横道 一番は自分の本ですが(笑)、二番はいっぱいありますよ。
頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』や、熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』は大好きです。
また、綾屋紗月さんの『発達障害当事者研究』や郡司ペギオ幸夫さんの『やってくる』は、直接的に『みんな水の中』に先行する作品だと思います。
白石 なるほど。
『リハビリの夜』も『発達障害当事者研究』も、理論以上に体感を書いている本ですよね。
横道 立岩真也さんの『ALS 不動の身体、息する機械』も好きです。
熊谷さんの本もそうですが、あれは学術書のふりをした詩集なんですよね。
詩を語りたい思い、ポエジーが全身にほとばしっていて、でもそれをそのまま出すと恥ずかしいから、学術的に難しい文章にしているだけというか。
それは私の本とまったく一緒です。
白石 鋭いですね。
立岩さんは本当に詩人なんですよ。
カッコいい/カッコ悪いの基準が非常に明確でこだわりが強いのに、それを表に出すのは恥ずかしいからクールに遠ざけようとしているけれど、結局、そこらじゅうにこぼれてしまっている。
昨年、残念ながら早逝してしまいましたが、そこが魅力の人でした。
横道 論理的な言葉が詩になっていのが立岩さんの文章ですが、ときどき単なる詩になっていますよね。
論理的に意味がわからない。
白石 そうかもしれません(笑)。
その他に、ポエジーを感じる人はいますか。
横道 ポエジーを感じる人を白石さんが選んでいるんじゃないかと思うくらい、〈ケアをひらく〉にラインナップされている人には、ポエジーがあると思います。
読解域問題とチャンネル問題
白石 僕の読解域が狭いせいかもしれません。
自然な日本語じゃないと読めないんですよ。
横道さんはどうですか。
横道 狭いと思います。
チャンネルがあれば読めるのですが。
大江健三郎の文章は悪文と言われますが、彼にも自閉傾向があるからでしょう、私にとってはすごくわかりやすい。
私の文章も、人によって評価がまったく違います。
非常にわかりやすいという人と、こんなに凝り固まった文章は読んだことがないという人がいる。
チャンネルの問題だと思います。
白石 僕にはわかりやすいですよ。
酒を飲んでいても読めるくらいです。
どんどん本を出して送ってくれるから、バーっと読むんだけど、それでもちゃんと読めるからすごい。
文と文のつながりに必然性がしっかりとあって、リズムが自然。
無駄な言葉もありません。
横道 それは村上春樹から学んだことです。
彼の文章は誰でも読めるくらいわかりやすいけれど、読後、意味がわからない。
何この話、と。
白石 最高じゃないですか。
横道 そういう難しさはいいですよね。
でも一字一字が難しくて読み進められないというのはやはり違うし、魅力を感じません。
伝統的な日本の知識人にはそういう著作がたくさんあって、それで読者を選別してきたという側面もあると思います。
白石 権威主義の表れなのでしょうが、もはやそういう時代ではありませんね。
「僕は基本、他人事です」
横道 かたや白石さんのお仕事は、世の中に流通している言葉ではない、「自分の言葉で話している」という点が共通していると思います。
白石さん自身の言葉も、そのへんの書き手よりも独自性が際立っている。
スーパー編集者と言われる所以だと思います。
私のような発達障害者は、何かとうまくいかない場面が多いし、依存傾向もあるので、自分をガイドしてくれる人、指針になってくれる人を探しがちです。
私は大江健三郎も発達障害の傾向が強い作家だと思っているのですが、彼の場合はフランス文学者の渡辺一夫にゾッコンでした。
ヒューマニズムを重視し、感受性のバランスがとれた渡辺は、バランサーとして最適だったのだと思います。
私にも若い頃から、尊敬を感じる人、この人のようになりたいと指針にしていた人が何人かいたのですが、かれらが種々の経緯からいなくなっていたところに、白石さんの仕事に出会ったのです。
白石さんが恐縮すると思って、いま初めて話すのですが。
白石 いや、びっくりしました。
そうですか……ありがとうございます。
でもそんなふうに「尊敬します」「憧れています」とサラッと言えてしまうのが横道さんの美点で、だからこそ人が寄ってくるのだと思います。
褒め合っていますけれども(笑)。
僕は基本、他人事なんです。
どんなテーマも他人事として扱っているし、他人に対しても自分自身に対しても他人事感がある。
それは良くないことだと悩んだ時期もありましたが、もうこの歳になると変わろうと思っても変われないので。
横道 コミットすればするほど、どうしても下世話になっていきますからね。
白石 僕の最近のテーマは「他人の快楽を邪魔しない」なんです。
電車の中でイヤホンから音楽が漏れているのとか、気持ちよさそうでいいなあと思うようにしてる。
他人の快楽が自分の不快さに直結しちゃうというのは、考えてみたら変じゃないですか。
むしろ「イイネッ!」って一緒に乗ってあげるくらいがいい(笑)。
本来、他人と自分は関係がないのだから、「他人」対「自分」という問いの外に立つ。
他人と自分を結びつける設定自体を変えてしまえば、自ずと風通しは良くなる。
僕はそれをずっとやっている気がします。
原因よりも、いま目の前に起きていることを
横道 私はあけすけに物を書くと言われますが、それは頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』から学んだことなんです。
熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』もそうですが、ここまで書くのか、と驚きました。
同じ下ネタでも、セックスの話はどこかカッコいい、高尚なものとされやすい一方で、誰もが毎日何度もしている排泄の話は、汚いこと、隠したいこととされている。
その排泄を真正面から書いている頭木さんにすごく感動したし、尊敬を抱いたのです。
熊谷さんもオンライン講演で、何回かに1回は排泄に失敗すると話されていて、感動しました。
実は私もそうなんですよ。
ADHDがあるから、なかなか決まったところにできず、汚しやすい。
白石 そういうことって、当事者はみんな知っているのに、医者は知らないじゃないですか。
排泄の話は聞きもしないし、聞いても関係がないと思っている。
「排泄に失敗する」という経験は多くの病気の患者がしていること。
その点、専門の範囲内で原因にさかのぼる話しかできない医者と違い、当事者同士なら疾患は違ってもつながれるし、ノウハウも共有できる。
そうした「楽」を目指したつながり方には、大きなクリエイティビティを感じます。
横道 鈴木大介さんの『「脳コワさん」支援ガイド』は、まさにその方向で書かれた本ですよね。
病状・症状が違っていても、同じ対策が使えることがあるという。
白石 そう。原因はどうでもいい。
原因よりも、今目の前に起きている結果への対処法から入ることのほうに、面白さがある。
〈ケアをひらく〉が目指したもの
白石 その意味で、國分功一郎さんの『中動態の世界』以来、「中動態」という言葉がケアの分野に入ってきたことは、非常に大きかったと思います。
これまで、何かをやってまずいことが起こったとき、その責任はやった人、意志した人にあるという回路しかなかったせいで、依存症の人などは立つ瀬がなくなっていた。
意志とは関係なく何かが起きるとか、今の状態があるのだと公然と語られるようになったのは、やはり「中動態」という言葉が認知されて以降だと感じます。
医学でもケアでも、「意志」に還元して相手の行動を理解しようとする人が多いのは不思議です。
たとえば認知症の人が暴れているとき、「なぜわざとそういうことをするんだ」って怒っても仕方がないですよね。
それと同じことです。
ケアの世界から「意志」を除外すれば、もっと風通しが良くなると思うのですが。
何事も「こういう理由でこうなった」という因果論的文脈に吸収してしまう考え方にも、貧しさを感じます。
「べてるの家」の特長は、「なぜ」を一切問わないことです。
当事者研究も、「こういう状態になっている」ことには注目しますが、それがどんな原因から起こっているかには関心を払わない。
ただ「状態がどう動いているか」を、他人事のように研究するだけです。
因果論から離れられることは、少なくともケアの世界にとっては非常に重要なことであり、その契機を「中動態」という切り口が作ったのではないかと感じています。
横道 私が本を書くようになったのも、当事者として仲間をどうにかしたいからです。
自分がそうだから気持ちがよくわかるんですが、発達障害者は、追い詰められると何かを極端に感じてしまって攻撃的になりがちです。
その矛先がSNSに向かうと、非常に過激な言動を繰り返したりする。
でもそっちに行くと絶対に救われない。私の行動の根っこには、常にそういう仲間のことを突き放すことなく、より救われる道を探っていきたいという気持ちがあります。
私の本は、当事者よりも支援者やご家族に読まれることが多いのですが、ときどき「横道さんの本のおかげで自分が何者かわかった」とか「何をやっていくべきか方向性が定まった」という人が現れると、本当に感動します。
白石 僕は小学校のころ吃音があって、国語の時間の朗読ができませんでした。
声に出して読むよう指名されると、そのときだけ自分が別の世界に落ちていくような感じが強くあった。
その感じは30歳ごろまで続きました。
だから何かが不自由な人への感受性があるのかもしれません。
自分自身を含め、世の中には自己否定感を内在させている人が多いと感じます。
医療現場だけでなく日常でも、無意味に自己否定感を押し付けられている人を見ると、なんとかしてあげたくなります。
横道 私は自閉症のせいで友達はできないし、運動も苦手、不器用でよく怒られていたので、子どものころから自己否定感が強かったですね。
納得はできないながら、周囲の人っぽくならないと生きていけないと思って頑張っていたけれど、結局行き詰まってしまった。
仕事に行けなくなり、診断を受けたことで、自分なりに医療やケア、心理学を勉強し、人生の棚卸しができたのは大きかったです。
10年前の私を知る人が、いまの私を見たら全くの別人だと驚くでしょう。それほど変わりましたから。
私は発達障害の診断を受けるまでは、ほとんどの人が自分と似ていない中、稀に自分にそっくりな人を見つけると、なぜこの人は自分と似ているんだろう、友達になりたい、と非常に心を奪われていたんです。
でも、自助グループを始めてからは、まったく思わなくなりました。
自助グループには、自分の分身のような人だらけですから。
自助グループというのは同じ悩みを持つ人たちの集まりです。
それはつまり、自分のもっとも中心にある部分がつながっているということであり、自分の分身がいっぱいいる感じなんです。
白石 シリーズ〈ケアをひらく〉には、自助グループ的なところもあると思います。
頭木弘樹さんが書いた『食べることと出すこと』に触発されて、横道さんが『みんな水の中』を書き、それを読んだ赤坂真理さんが羨ましがる。
誰かが最初の一歩を踏み出すと、みんなが後に続く、といったつながりが意図せず生まれているし、このシリーズ自体がそういう場になってきているとしたら嬉しいです。
(2024. 2. 29/下北沢・本屋B&B)
白石 正明/横道 誠
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