【以下ニュースソース引用】
食に関心が薄いからこそ、あらゆる工夫を凝らす〈294〉
文筆家
長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル …
写真家
現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet …
〈住人プロフィール〉
36歳(会社員・女性)
賃貸マンション・1DK・都営新宿線 森下駅・江東区
入居8カ月・築年数8カ月・ひとり暮らし
婦人科系の病気で1週間入院した。病院食が「信じられないくらいまずかったんです」と、彼女は語りだす。
「手術前は絶食します。術後に流動食をやっと食べられると思ったら、当然なんですが味がない。術後だけかなと思ったら、普通食に戻ってもカレーに大根が浮いているだけとか、その病院特有だと思いますが最後までひどかった」
彼女自身は、昔から仕事やなにかに集中していると食事が二の次になるタイプだという。料理にも、料理道具や器にもあまり興味がない。
だが退院したとき、しみじみ実感したらしい。
「自分でごはんを作れば好きな味にできる。料理ができるって幸せなことなんだな」
それが1年半前のことだ。
以来、ガラリと食生活が変わった。
食に関心がないのは、本質的には今も変わらない。
ひとり暮らしにしてはかなり広めの台所に、器はシンク下の低い引き出しひとつ。
必要最小限である。
だからこそストレスなく続けられる方法、栄養のあるおいしいものを作るさまざまな工夫を重ねている。
忙しかったり、疲れたりしていても、さっと体に良い物を作れるようなアイデアが冷蔵庫やキャビネットにつまっている。
もう体を壊したくない。
「簡単なものしか作れません」と繰り返すが、話を聞くほどにそのへんの料理が好きな人よりずっと、バランスや彩りの良い食を作っている。
「野菜とタンパク質は必ず取るようにしています。お味噌(みそ)汁は3食必ず。野菜、海藻もそこでとれるので便利なんです。タンパク質はお肉に偏らず、魚や豆からも」
週5日のテレワーク中は、昼食作りに時間をかけられない。
忙しいときは液体味噌と乾燥野菜と乾燥わかめを汁椀(わん)に入れ、熱湯を注ぐこともある。
病気前の、忙しいから「食べない」「適当にすます」という選択ではなく、忙しくても「ちゃんと食べるにはどうしたらいいか」を考えるようになった。
サラダチキンは、鶏むね肉を塩・砂糖・オリーブオイルのタレに漬け込み、1時間炊飯器で加温するだけ。
タンパク質が足りない日は、チョコレート味のプロテインをおやつ代わりに飲む。
栄養素は、スマホのアプリに食事日記をつけてチェックしている。
「お酒を1杯飲まないと仕事が終わらないので(笑)」と、終業したらまずはビールかワインを。
それから玄米、味噌汁、おかずの夕食を用意する。
人と食事をするときは酒をとことん楽しむが、家では1杯で満足できるようになった。
「友達がせいろを使った料理をインスタにあげているのを見て、最近まねして買ったらすごく楽で! かぼちゃなど温野菜にすると甘みが増しておいしいですし、サーモン、きのこ、何を蒸しても旨味(うまみ)が増す。ドレッシングをかけて、せいろ1個でいろんな味を楽しんでいます」
朝はヨーグルト、ベビーリーフ、ミニトマト、フルーツ、自家製サラダチキン、目玉焼きがルーティンだ。
「朝の最低限の栄養はこれで取れるので、いろいろ考えずにすんで楽。もともと毎日同じものでもいい。効率よく栄養価の高い食事にするしくみを考えるのは好きなんですよね」
1年半後の今は、アレルギー、生理痛、疲れやすさのすべてがなくなった。
じつは、変えたのは食だけではない。
この間(かん)に離婚をして、住まいも人生も変わった。
一緒に暮らしていた頃、疲れやすくいつもどこか少し体調の悪い彼女に、「人より生きるのが難しいよね」と淡々と言う彼とは2023年6月に別居。
離婚の事務処理がすんだのが9月である。
闇の中のケーキ作り
四つ下の元同僚と結婚してすぐ、コロナ禍に突入した。
ささいなコロナに対する考え方の相違が、今思えば発端だった。
「彼の会社は若い人中心で、彼も年下なので周囲に独身者が多く、割に気にせず飲み歩いていたんですね。ところが私の会社は、小さなお子さんがいる人が多かった。私も責任ある役職についていたので、感染してはいけないと気をつけていた。だから出歩く彼のことが信じられなかった……」
どちらが正しいと言いづらい倫理観のズレは少しずつ、けれど明確に広がっていった。
そんなさなかに入院。
人事の職に就く彼女は、入院前は1日9人の面接をこなすこともざらで、食事は「カロリーメイトとチョコレートと納豆ご飯でくいつないでいました」。
残業をして夜遅く帰る生活が、退院後は前述のように一転。食生活を正すなかで、「彼とのコミュニケーションをサボっていた」と、おおいに反省した。
「毎月第1土曜日はふたりでしゃべる場をつくろう」
彼女の発案に彼も同意したが、それ以外の日は飲み歩いて、ゆっくり向き合うことはない。
第1土曜に食事をしても、楽しくない。
長い夫婦生活ではこういう倦怠(けんたい)期があるのかも、とも思った。だが、あるとき話の流れで彼がつぶやいた。
「結婚の意思決定が良くなかった」
プロポーズは彼女からだった。
今、それを言うかと傷ついた。
外に女性の存在を知るできごとも重なり、彼に誘われて旅行をしても「話すことがもう何もなくて、楽しくなかった」。
しかし、別居に踏み切ったとはいえ、すぐ離婚を決められたわけではない。
「上京して10年。そのうち5年彼と一緒だったので、決断は簡単ではありませんでした。正解がわからず、先が見えない暗闇にいるみたいだった。毎日悶々(もんもん)として、病み上がりだし、コロナで外出もできずで、やみくもにお菓子を作っていましたね。チーズケーキ、シフォンケーキ、マフィン。料理本に書いてある通りに作ればできあがる。作っているときは悩みを一瞬忘れられますから」
どんなに悩んでも、「彼の子どもを欲しいと思えない」。
そう悟ったとき結論が出た。
もう頑張れないと言うと、彼は「わかった」。
欲しい家財道具は全て譲ってくれた。
慰謝料も彼なりに誠意を示した。
離婚して半年の今、思う。
「もっと最初のズレのときに話していればよかったかもしれないし、私も忙しさにかまけて、彼との時間を大切にしなかったので、全部彼に非があるとは思いません。以前の私はつねに“おはよう”“お休み”といえる相手がそばにいて欲しい、誰かに頼りたいタイプ。でも離婚して、食や生活を整えて、なんとか自分の稼ぎで食べている。健康にさえ気をつけていればどうにかなると知った。ひとりでもやっていけると気づけたこの決断に、今は満足しています」
残業をせずに成果を上げる
もうひとつ学んだことがある。
無理はしない、頑張りすぎないことだ。
「残業をしないと決めました。ちょっと気になる仕事は、誰に言われなくても率先してやっていたのですが、全部捨てました。意外にやらなくても結果ってたいして変わらないんですよね。だから、残業をせずに、限られた時間できちんと成果を出すという方向にシフトしました」
人付き合いも無理をしない。
「むやみやたらにだれとでも遊びに行くのではなく、すごく仲のいい少数の人とたまに遊ぶ。それで十分満たされるんですよね」
朝、前述の定番メニューを7時半に食べ終えると、仕事前にウォーキングを30分するようになった。もっと体力をつけて、疲れにくくなった体を維持するためだ。
「食べること、運動、働きすぎないことで、少しずつ“人間”に戻っていった感じです」
料理から始まってウォーキングも日課になり、体はもちろん「精神もぐっとたくましくなった」らしい。
なぜなら「離婚を決断するまでの辛かった日々を思えば、どんなトラブルもいつかは終わる。死ぬまでは続かないわと思える。だから私、ちょっとやそっとのことでは動じなくなりました。なんとかなるさって」
ごはんを食べないのは、自分を大事にしていないことと同じ。
そんなシンプルなことに気づくのに長い時間がかかった彼女の、「人が変わるのって簡単なんですね」という言葉が印象に残った。
食を整えることで、働き方や人生観まで変わった人だからこそ。
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