【以下ニュースソース引用】
自分の居場所を見つけるには、自分の中の「狂」を見つけること
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『あの日、選ばれなかった君へ』の阿部広太郎さんと、『私の居場所が見つからない。』の川代紗生さん
『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』が、若いビジネスパーソンや学生の間で静かな話題となっている。
競争に疲れた心を癒してくれる本と反響を呼んでいる。2度目の増刷を記念して、著者の阿部広太郎さんの対談を企画した。
お相手は『私の居場所が見つからない。』が若い女性の生きづらさを表現していると話題になっている川代紗生さん。
2つの作品から浮かび上がるキーワードは、「人生の選択」「挫折と後悔」「自分の居場所」「承認欲求」「自己肯定感」など、どこか通じるものがある。予想通り、“同志”の対談は大いに盛り上がった。
(構成/亀井史夫 撮影/小島真也)
● 「みんな頑張らせてもらえる場所を探している」
(川代) 川代紗生(以下、川代) 『あの日、選ばれなかった君へ』『私の居場所が見つからない。』どちらの作品にも「居場所」がすごく大事なワードとしてありましたよね。
改めて考えてたんですけど、居場所って何を求めているんだろうと、最近になって、私も含め、みんな居場所が欲しいという人は、頑張らせてもらえる場所を探してるのかなという気がして。
そこもちょっと阿部さんの学生時代と重なるなと思ったんですけど、私は本気で頑張ったことがないというのがすごくコンプレックスだったんですね、受験するまで。部活やっても続かないし、習い事とかも、バレエとかピアノとかみんなやってるけど、何も自分は続かなくて、結局、本気で何かにのめり込んで何かを達成するみたいなことを一度もやったことがなくて、ほかの人に対してすごく恥ずかしい気持ちがめちゃくちゃ強かったんですね。
それで、実際に自分の居場所を見つけたと思った最初の種というか、きっかけというのは、私は受験勉強かなと思って。受験をしたときに、これ以上ないってぐらい頑張ったんです。
本当に阿部さん書かれてたみたいな参考書買いまくるとかも一緒だったんですけど(笑)。
で、最後の受験が終わったときに、私は早稲田だったんで大隈講堂の大隈重信像を見たときに、「終わった」という達成感よりも何より、「自分はここまで頑張れる人間だったんだ」という安心感みたいなのがすごい強くて、というのが原体験で、何かそういう本気になれるものを探してたのかなみたいにすごい思うんです。
でも、そこまで本気になれるには、やっぱりいろんな条件が必要で、それこそ仕事で頑張るとかでも、職場の人と温度感が違ったりしたら、1人だけ頑張ると熱量の違いで浮いちゃったりとか、どんだけ自分が頑張っても周りがついてきてくれないから、「ああ、もういいや」と思っちゃったりとか、「あいつ1人で何やってんだ」みたいになるのも嫌だしとかって。
何か頑張れる条件が整ってる場所をみんな探してるのかなと思って。
だから、本を書いたときとかは、全力で自分が頑張らせてもらえる場所を見つけたという感じで、それで面白いと言ってくれる読者も編集者さんもいるしみたいな喜びがすごくあって。
阿部広太郎(以下、阿部) 「頑張らせてもらえる場所」確かにそうですね。
川代 うん。居場所ってそういうことだったのかなみたいなのは、書いてしばらく経った今そう思うって感じなんですけど。
阿部 川代さんは本の中で、「狂」が必要という話をしてますよね。川代さんがつくられた「元彼が好きだったバターチキンカレー」のエピソードで、上司の方から教わった〈人を動かすのは、「狂」であり、「愛情」なのだ〉という考え方。この話は居場所づくりにもつながるなと思ってて。
僕も頼まれてもいないのに企画書を自分で作って送って、そこから一緒に仕事をする関係になったことがあるという話をすると、周りから「よくそんなことできますね」と言われるんです。
でも、自分にとっての「狂」つまり愛情とも言える強い気持ちがあって、一つの場所に留まり続けるというより、愛情だったり、本当にクレイジーな「狂」という気持ちがあると、自分にピッタリの居場所が見つかっていくのかなと思いましたね。
川代 ちょっと角度の違う質問になってしまうのですが、選択していく上でその都度その都度、「あのとき、ああしなきゃよかったな」とか、「あそこであっちの道選んどけばよかったな」みたいに思うことって、阿部さんはありますか?
阿部 うーん……レストランとかに入って、あっちのメニュー頼んどけばよかったなとかはあるんですけど(笑)。
キャリアの選択であれば、あまり過去の選択や出来事は否定はせずに、「さあ、どうしようか」とこれからの問題としていつも向き合ってますかね。
川代 例えば自分が選ばなかったほうの選択をして、うまくいってる同業の人とかって嫉妬したりすることってもうないですか。
阿部 自分の姿が自分からはなかなか見えないというか。
ちょっと違う話なんですけど、オンラインで何度も話したことがある人と対面で会ったときに、体が大きいですねと驚かれることが多くて(笑)。
自分の認識と、相手の認識にはやはりズレがありますよね。
思うに、自分がしなかった選択をしてキャリアアップしていたり、活躍されている人がいたときに、自分から見てすごい成果を得ているように見えるけど、自分自身が成果をあげられてないかというと、そういうわけでもなく、自分の選択から生まれた出会いがあり、仕事があり、そこには本当に得難い何かが必ずある。と、考えるようにしています。
川代 それってちゃんと整理できるようになったのっていつぐらいからなんですか。
若手のときって、絶対そんな綺麗に整理ってできないじゃないですか。
阿部 何か守るものが生まれたとき、ですかね。若手の頃って得ることのほうが大きいと思うんです。
あれいいな、これいいな、あんなことしたいって人に会いに行って、つっこんで関係性を広げていく……そんなキャリアだったんです。
でもある程度経験を積んできて、自分も先輩になり、チームができ、人間関係ができてきたり。
守りたいと思うつながりができたとき、何か新しいことをやろうとすると、その一方でできなくなることもあるかもしれなくて。
この状況をどう捉えるべきか……と考えを整理していきましたね。
僕もそうだと思うし、きっと川代さんもそうだと思うんですけど、自分自身とすごく会話するというか、自分の頭の中でああでもない、こうでもないって考える時間ってあると思うんですけど…
川代 あります、あります。
阿部 その過程で、誰に話すでもなく自分の中で結論めいたものを導いてますね。
● 「結論に至るまでのプロセスが大切」
(阿部) 川代 私も「もう1人の自分」みたいな感覚はめちゃくちゃあります。
何だろう……もう1人の自分がすごい心の奥に眠ってるような感覚があって、そいつをどう引っ張り出すかみたいなのをよく考えますし。
でも、折り合いのつけ方とかでいうと、やっぱり悩んでること自体を尊いものとして認めてあげるというのが自分の中では一番大きかったかなという気がして。
悩むこと自体がわりと悪とされてる期間が長かったように思うんですよね。
今の時代だともうちょっと柔らかくなってきたのかなという気はするんですけど、私が学生のときとかって本当にもう、「そんなことに時間使うなよ」みたいなのが多かったので、別にその悩む時間も必要というふうに自分で言い聞かせるというか……
阿部 そう、川代さんの本の〈どうして誰も、「悩んでもいいよ」って、言ってくれないのかなあ。〉という文章に付箋貼りました。
川代 ああ、ありがとうございます(笑)。
阿部 たったその一言で救われるというのは、まさにそうですよね。
川代 そう、そうなんですよ(笑)。
阿部 土屋太鳳さんが、ブログでファンの方から書き込みのあった「迷わなければ迷路からは出られない」という言葉を大切にされているそうなんです。
本当にそうだなと。悩んだり迷ったり、自分なりの結論に至るまでの思考回路って、紆余曲折も含めて貴重な経験で。
それを「悩んでも仕方ない」と言い切る一定の派閥があるのもわかるんですけど、悩まない人なんていないはずだとも思っていて。
川代 そうそうそうそう、そうなんですよね。
「選ばれたい」というとこから「選ばれなくてもいい」というとこまで、この最短ルートで行きたくない。
阿部 そうなんです(笑)。
川代 行けるわけないから。こうやって行って、こう行きたいし、こういうルートを通ったから納得できてるのに、最短で行ってるように周りの人は見ちゃうから。
阿部 「選ばれなくてよかった」という結論を話すためにも、めちゃめちゃ選ばれたい!という正直な気持ちからはじめたほうが僕は伝わるものがあると思っていて。
いきなり選ばれなくてもいい! なんて、いや、そんなわけないだろうと(笑)。
川代 (笑)
阿部 人は、いろいろ考えて結論を出すという喜びもあるはずだし、選ばれたいと思ってしっかり選ばれる快感もあるはずだし、『あの日、選ばれなかった君へ』でも、できるだけ正直に書きたいと思ったんですよね。
「やっぱり選ばれなくてもよかったんだよ」と言うのは、そう言えるまでのストーリーが必要で。
川代 うんうん、そうですよね。
阿部 ドラマも、映画も、結論だけ取り出して言うよりも、そこに至るまでの道のりが命だと思っているので、やっぱり選ばれないこともあるけど、そういう自分をどうやって認めていってあげるか、それこそが大事だなと思っています。
阿部 広太郎
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