【以下ニュースソース引用】
久里浜「風呂まえ酒場」、のん兵衛の長い夜 横須賀「梅の湯」かいわい
ライター・出版社経営
1962年、大阪府生まれ。出版社勤務を経て、1987年に医療系出版社として「さいろ社」を設立。山 …
旅が好きだからといって、いつも旅ばかりしているわけにはいかない。
多くの人は、人生の時間の大半を地元での地道な日常生活に費やしているはず。
私もその一人だ。
が、少し異なるのは、夕方近くにはほぼ毎日、その地域で昔から続く銭湯(一般公衆浴場)ののれんをくぐることだろうか。
この習慣は地元でも旅先でも変わらない。
昔ながらの銭湯の客は、地域の常連さんがほとんど。
近場であれ旅先であれ、知らない人たちのコミュニティーへよそ者として、しかも裸でお邪魔することは、けっこうな非日常体験であり、ひとつの旅なのだ。
東京を抜けだし、ぶらり海辺の街へ
東京から神戸へ帰る前に、神奈川・三浦半島の久里浜(横須賀市)へ行くことにした。
数日間ビルの谷間を行ったり来たりして用事だけ済ませて帰るのも味気ないから、海辺の街にでも寄っていこう。
久里浜を選んだのには別の理由もある。
私が不定期に発行しているムック『旅先銭湯』シリーズの最新号⑤は「風呂まえ食堂 湯あがり酒場」という特集。
私は銭湯と飲食店が向かい合う、または隣り合う風景が好きで、10年ほど前から特別に意識してきた。
街にはいろいろな店があるが、私にとってそれは理想の風景であり、ホットスポットであり、幸福の街角ともいえる。
そのような場所25カ所を全国から見つけ出して特集したのがこの本だ。
でも同特集ですべてを載せきれたわけではない。誌面が埋まったあとで見つけた場所もある。
そこで私は本が完成した後も、載せられなかった「幸福の街角」を訪ねることを旅の楽しみの一つにしていた。
そして、久里浜にもそんな場所があることを知ったのだった。
「創業60年、人間も替えてない」にぎわう食堂
新橋からJR横須賀線の久里浜行きに乗った。
混んでいたが横浜を過ぎると車内は少しずつ空いていく。人混みにもまれ続けた東京での数日間が少しずつ溶けていくようだ。
終点・久里浜の一つ手前の衣笠で列車を降り、ここから久里浜まで歩くことにした。
海岸まで5kmほどあるが、かつてはこのあたりまで内海が細長く入り込んでいたと何かで読んだからだった。
細長く突出した三浦半島の先端部から折り返すようにぐーっと内海が切れ込んでいたとしたら、ちょっとおもしろい(地理学科出身の私はそういう地形をおもしろいと感じてしまう)。
衣笠駅を出ると、意外にもにぎやかな街だった。
駅前通りの両側の歩道には商店が連なり、しっかりとしたアーケードがあって人通りが多い。アーケードには「三浦一族ゆかりの地、衣笠」という横断幕が掲げられている。
裏通りを10分ほど歩いたあたりで、なんとも私好みの風貌(ふうぼう)の小さな食堂が現れた。
ちょうど腹が減っていたので中に入ると、店員はかなり高齢の男性1人と同じく高齢の女性2人で、まだ12時前だというのにガテン系や学生らで満席に近かった。
カウンターが1席だけ空いていたので座り、ワンタンメンを注文した。
途中、そばにあった黒電話がジリジリ鳴るが、老店員3人は対応できないのがわかってるからかまったく動じずに仕事を続けている。
勘定時に、「黒電話懐かしいですね、この木製の現金箱も年季入ってますね」と言うと、高齢男性店員が「この箱は創業以来60年間替えてない。人間も替えてない」と言い、老店員3人で「へっへっへっへ」とうれしそうに笑い合うのだった。
そのふてぶてしさというか貫禄というか、どこか時空を超えたような錯覚を覚える不思議な繁盛店だった。
ペリー来航170周年の久里浜
おなかがふくれた私は、大昔に海だったという地域を平作川(ひらさくがわ)に沿って久里浜まで下った。
途中、興味深いエピソードの残る城跡などに寄り道しながら3時間ほどかけて歩いたのだが、その詳細はマニアックに過ぎるので省略する。
やがて久里浜駅に出た。JR駅は横須賀線の終着駅だが、人影は少なく寂しい感じ。
だがそのすぐ横の京急久里浜駅は大きな商業ビルで、正面には商店街があって予想以上に栄えていた。
歩行者専用のアーケード商店街もあり、それは最近どこの地方都市でも見られるシャッター商店街ではなく、まずまずのにぎわいを見せていた。
商店街の随所に「ペリー来航170周年」のポスターが掲示してあった。
そうか1853年だ、タイミングよく来られたような。
銭湯・梅の湯は、商店街の一筋隣の通りにあった。京急の駅前からわずか徒歩1分だ。
通りに対して斜めに建っており、玄関は通りから数メートル入るかたちの珍しい配置。
狭い密集地にあるため全体像はわかりにくいが、青トタンの入母屋(いりもや)屋根は神奈川県の伝統的な銭湯でしばしば見られ、そのローカルな姿にちょっとうれしくなる。
玄関先に白い貼り紙が貼られていて一瞬ドキッとしたが、それは営業日を1日変更しますとのお知らせだった。
わずか1日の変更告知を活字できれいにプリントしてラミネートでパウチし、わかりやすい2カ所に掲示してあることからも、ここがとてもキチンとした銭湯であることが察せられた。
そして梅の湯の向かいには「酒処相馬」という居酒屋があった。
これまた老舗のいい雰囲気が漂っている。
でもまだどちらも開いていない時間だったので、私はそのまま海まで下ることにした。
15分ほど歩くとペリー公園に出て、公園の向こうはすぐ久里浜海岸だった。
波打ち際に下りて海を眺める。
1キロ四方くらいしかないように見える小さな湾だ。
遠くには少しかすんでいるが房総半島が横たわる。
海にしては閉塞(へいそく)的な風景で、どこか瀬戸内を思わせる。
「氷なしホッピー」横須賀流
ペリー公園の近くに宿をとった。荷物を置き、風呂道具を持って駅前エリアへ戻る。
さっき歩いたとき、商店街の焼き鳥屋の店頭販売に行列ができていて気になったのだが、まだ行列が続いている。
安くてうまいに違いない。
その横手に立ち飲みコーナーがあり、ここもさっきは満員だったが、今度は少しスキマがあったのでとっさにもぐり込んでしまった。
「おまかせ3本300円」とホッピーを頼むと、金髪に染めた若い女性が「氷入れますか、なしですか?」と聞いてくる。
ホッピーを出す店は関西でも徐々に増えてきたが、必ず氷が入ってくるので、こんなふうに聞かれたのは初めてだ。
焼酎だけが入ったジョッキを差し出す女性の指先で、目の覚めるようなターコイズ色の長い付け爪がジョッキの持ち手に巻き付いたり離れたりするのが不思議な生き物のように見えた。
でも今日は風呂上がりに向かいの居酒屋へ行くのが目的のためここはサクッと切り上げる。
徒歩1分で目的地に着いた。
よし、梅の湯も相馬も営業中だ。
2軒ののれんが一目で見えるアングルからしみじみと眺める。
いやー、美しい光景だなぁ。
風呂の前に念のため少し相馬をのぞいてみると、ややっ、なんと忘年会の貸し切りだった!
とても優しそうなおかみさんが「すみません、ちょっと無理なんです」と申し訳なさそうに言う。
入り口で棒立ちの私に、楽しげにズラリと着席する客のおじさんたちから「ごめんね~、今度また来てあげてね~」とにこやかに声がかかる。
うむ~、しかしこれも年末の風物詩ではあるが。
さてどうするか、とぼんやり歩いていたら、「ひょうたん」という老舗っぽい居酒屋が目に入った。
これまた私好みの雰囲気だ。
風呂上がりはここに……と思ったところでおなかがぐ~っと鳴り、またもや吸い込まれてしまった。
とてもこぢんまりとした店で、先客がカウンターに2人、その間に座る。
80代の夫婦と、50代の息子さんとでやっているアットホームな店。
メニューを見て、「このクエン酸サワーというのは酸っぱいのですか」と聞くと、「そうね、うちはコダマサワーなんですよ」と言う。
「コダマ?」と聞くと、「これだけ種類がある」と全部出して並べてくださった。
これらで焼酎を割って飲むのがこの店の売りのようだ。「それとホッピーには氷を入れないのが横須賀のスタイルなんですよ」。
なるほど、さっきの焼き鳥屋もそれだったんだな。
梅の湯に入りに来たと言うと、おかみさんはこうおっしゃった。
「うちの店は昭和44(1969)年創業で、そのころは梅の湯さんで風呂に入ってから店を開けてました。
歴史のある銭湯で、お湯は熱いですよ」
先客のお2人も優しく朗らかで、楽しいひとときを過ごした。
さてと。
酔って風呂に入るのはマナー違反なので、酔い覚ましにしっかり水を飲み、少し歩いてシャキッとしてから梅の湯へ戻る。
熱めの梅の湯、そして湯上がりの……
中に入ると、番台には高齢のおかみさんが座っていた。
この方がなんともおだやかで優しく、とろけそうな笑顔で迎えてくださる。
遠くの銭湯へ来ると、これが一番うれしい。
それにひきかえ私ときたら……少し後ろめたさもあり、品行方正なふるまいを心がけた。
梅の湯の造りはオーソドックスだが、少し変わっているのは脱衣ロッカーがないことだ。
その場所にはステンレス棚が設置され、常連客の風呂道具がぎっしりと並んでいる。
浴室はシンプルでこぢんまり、タイルやカランなど随所が新しく更新され、ピカピカに維持されている。
湯の温度は44度を指している。
たしかに熱めだが、よく歩いた一日の終わりにこれがなんとも心地よい。
ブクブクも快調に噴出中。いやはや、小さいけど銭湯好きのツボを心得た極楽風呂だ。
上がってトマトジュースを飲みながら、やさしいおかみさんと言葉を交わしたくて、「すごく気持ちよかったです、明日も来ます」と報告し、またもや拝みたくなるような素敵な笑顔をいただいた。
これは心にじんとくる。
夜風が気持ちの良い風呂上がり。
梅の湯を出ると必然的に相馬が正面に見えるが……ややっ、客が入っていくぞ。
その人に続いてのぞいてみると、忘年会が終わって通常営業となっていた。これはうれしい。
そしてこちらのおかみさんもなんとも物腰やわらかくて丁寧。
店内も宴会後なのにきれいに整っている。
湯上がり生ビールの幸せ。
海のものが充実していそうだが、おなかがそこそこふくれていたので、あまり食べられず残念だった。
湯あがりにちょいと一杯ひっかけて、みたいな安っぽい感じではなく、次はおいしいものをしっかり注文して食べたいと感じる優良店だ。またきっと出直そう。
あちこち楽しい夜だった。久里浜よいとこだ。
戦争を乗り越え、沸かされ続ける湯
翌朝は快晴の小春日和だった。
昨日は少しかすんでいた房総半島がくっきりと見える。
海岸通りの「黒船食堂」が開くのを待って豚汁定食を食べた。
そのあと近辺を歩き回ったり駅ビルのカフェで少し仕事したりして、梅の湯が開く3時を待った。
ゆうべの心地よさがまだ肌に残っている気がする。
開店5分前くらいに行くと、5人くらいの客が前で待っていた。
そうだ、一番風呂は常連さんに譲ろう。
私はさらに15分ほど散歩してからのれんをくぐった。
番台には前日同様におかみさんがいた。ゆっくり服を脱ぎながら少し話を聞くと、梅の湯は戦前からやっているという。
戦争中、店主が徴兵されてそのまま戦死。
残された家族で銭湯を維持してきたそうだ。亡き店主の息子は当時小学生だったが、やがて成長して風呂を継ぎ、そこへ縁あって宮城県から嫁いで来たのがこのおかみさん。
夫はすでに亡くなり、現在は息子さんが跡を継いでいるとのことだった。
古くから続く銭湯は、多かれ少なかれこのような歴史を歩んでいる。
苦労して受け継がれてきたその風呂に今日もほかほかの湯が沸かされ、そこへ当たり前のように素っ裸で浸(つ)かり、体を洗い、ひげをそり、サッパリできることに、私はなんともいえぬ幸せを感じる。
湯の温度はこの日も44度を指していた。そのぬくもりは新幹線で大阪に着くまで消えなかった。
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【梅の湯】
神奈川県横須賀市久里浜4丁目10−8
電話 046-835-8070
営業時間 15:00~22:00 金曜定休