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元財務省・佐川氏をかばい続ける絶望的な司法 「上級国民」なら故意の犯罪も許されるのか 古賀茂明

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古賀茂明氏

 

 また日本の司法に絶望する人が増えそうだ。

 

 「森友学園」への国有地売却に関連し、安倍晋三元首相の夫人・昭恵氏の名前などが書かれた決裁文書が財務省の官僚によって改ざんされた。

 

国有地の管理を所管する財務省理財局の当時の局長だった佐川宣寿氏が、その立場を利用して改ざんを指示した疑いが濃厚だ。

 

この指示を受けて、現場でその実行を強制された近畿財務局職員の赤木俊夫さんは、それが原因で2018年3月に自殺に追い込まれた。

 

この事件は、当時、多くの国民に衝撃を与えた。

 

  【写真】裁判所から「謝罪があってしかるべき」と指摘されたのはこの人 

 

 何しろ、財務省という最強の役所の局長(改ざん発覚時はさらに出世して国税庁長官)という高い地位にある者が、時の首相を守るために、よりによって、国有地売却の決裁文書という非常に重要な公文書を「故意」に改ざんするよう部下に指示し、それが組織ぐるみで実行されたというのだから、普通の人が驚くのは当たり前だ。

 

しかも、その結果、改ざんに涙ながらに反対した赤木氏を死に追いやるという重大な結果をもたらした。

 

これほどまでの悪質な犯罪行為に対して、国民が強い憤りを感じたのは極めて自然なことだ。

 

安倍内閣の支持率は急落し、政権は危機を迎えたと報じられた。

 

  だが、国民の驚きと憤りとは裏腹に、佐川氏らへのペナルティは非常に軽いもので終わった。

 

明らかな公文書改ざんだから、佐川氏を含めこれに深く関わった財務省関係者は、公文書改ざんの罪で罰せられると思ったが、結局誰一人起訴されないまま闇の中に葬られてしまった。

 

  また、これほどの犯罪行為を故意に行った場合、人事院の懲戒のルールでは懲戒免職になるはずだが、財務省は佐川氏に普通に辞職を認めた後、「停職3カ月相当」という「なんちゃって処分」で終わらせた。

 

懲戒免職であれば、退職金はゼロになるが、この軽い処分のおかげで、退職金はわずか513万円減額されただけで、4500万円近くの大金が佐川氏に支払われた。

 

  こんなことで終わりにして良いのか。国民の誰もがそう思ったが、赤木氏の妻・雅子さんの思いは、その何万倍も強かったのではないか。

 

 赤木氏が死に追いやられたのは、どう考えても佐川氏始め財務官僚らの責任だが、それがどういう経緯で行われたのかという事実関係は全くわからないままだ。

 

財務省の説明では、赤木氏は、反対はしたものの、結局改ざんの中心的役割を果たし、それを苦にして精神を病み、それが原因で自殺したというようなストーリーになっている。

 

まるで、赤木氏が精神的に弱い人間だったのが悪かったかのような説明だ。

 

  しかし、普通に考えれば、鉄の規律を誇る財務省に対して、赤木氏がたった一人で上司に直訴して間違いを正そうとした行為は、非常に勇気を必要とする賞賛すべきことだった。

 

  赤木氏は「強い人間」で、公務員の鑑と呼ぶべき人物である。

 

  その赤木氏がどのような経緯で改ざんを強制されたのかは依然として闇の中というのでは、赤木氏があまりにもかわいそうだ。

 

「真相の解明は、本来は国の責任だが、それが果たされないなら、私がやるしかない」。

 

そういう気持ちで雅子さんは、止むに止まれず、国と佐川氏の双方を相手取って損害賠償責任を問う訴訟を起こした。

 

  その後、この訴訟において、佐川氏の尋問が行われる段階になると、国は突然争う姿勢を翻し、全面的に負けを認めて事件の真相究明に入らないまま敗訴(1億700万円の支払い)という道を選んだ。

 

卑怯なやり方ではないか。

 

  そこで残ったのが本件佐川氏への損害賠償請求訴訟である。

 

  だが、佐川氏への損害賠償請求には、国への請求とは違って高いハードルがある。

 

  それは、公務員が職務上他人に損害を与えた場合は、その賠償責任は国または公共団体が負うこととされており(国家賠償法第1条第1項)、公務員個人は故意・重過失の場合に国または公共団体から求償されることはあっても(同法同条第2項)、直接被害者に対して責任を負うことはない(最高裁の判例)というルールがあるからだ。

 

  このルールを何も考えず単純に当てはめると、国が1億円余りの求償権を行使して佐川氏に支払いを求めることはあり得ても、雅子さんの佐川氏への直接の請求は認められないということになってしまう。

 

 果たして、1審の大阪地裁の判決は、雅子さん敗訴だった。

 

しかも、真相を闇に葬りたいという国の意向を汲んで、その審理の過程で佐川氏への尋問などは全く行わないまま判決を出した。

 

  もちろん、雅子さんは控訴した。

 

ここで諦めては夫の俊夫さんに申し訳ないという気持ちがその背中を押したのだろう。

 

  その判決が維持されれば、佐川氏は、公文書改ざんという罪を犯して一人の善良かつ優秀な公務員を死に追いやっておきながら、公務員法上はほんのかすり傷程度の処分で退職金もほとんど満額受け取り、刑法上もお咎めなし、民事責任も問われないということになる。

 

しかも、国は、1億円余の損害を受けているのに、佐川氏にこれを一円たりとも求償請求していない。

 

その負担を国民に押し付けているのだ。

 

  そして、佐川氏は、これまで一度も公の場で、公文書改ざんを主導し赤木さんを死に追いやったことについて謝罪もせず、説明もしていない。  こんなことが許されて良いはずがない。

 

  だが、今回の控訴審では、大阪高裁が1審の判決をそのまま維持し、雅子さん側の敗訴となった。

 

なんと残酷な判決だろう。

 

  私は、今月19日にあった判決の翌日の午後、雅子さんに電話した。

 

雅子さんの声はいつもながら明るい。それは、周囲を心配させないようにという気遣いとともに、自分を鼓舞しなければ生きていけないという雅子さんの差し迫った心情から出たものだ。

 

  酷い判決でしたねと問いかけると、 「本当に酷いです」と答えながらも、 「それでも、私、生きていかなくちゃいけないんです。まだ諦めるわけにいかないですから」と健気に語ってくれた。

 

  さらに、雅子さんはこう付け加えた。 「今回、裁判長が、佐川氏に謝罪や説明の法的責任はないと言いながら、『一人の人間として誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきだ』と言ってくれたことを、一つの救いとして、年末年始を乗り越えていきたい」 

 

 裁判所が、佐川氏がとんでもなく酷い人間だという宣告をしてくれたと雅子さんは受け取ったのだ。

 

雅子さんの思いと同じなんだと思いたい、とも言った。

 

 雅子さんは、この判決で大きなショックを受けたが、すぐに、それでも頑張ろうと思い直した。

 

判決後、関係者と食事をして慰められ、また励まされている間は、自分を奮い立たせることができたという。 

 

 だが、一人で家に帰り、トイレに入った途端、張り詰めた気持ちが解け、悲しさと悔しさで涙が溢れて止まらなくなったと、その時を思い返しながら涙声で教えてくれた。

 

私もその光景を思い浮かべて、言葉に詰まった。

 

  今回の判決は、違法行為をした公務員個人には、直接の損害賠償請求はできなくても、「懲戒処分や刑事処分などで」制裁が加えられるはずだと述べたが、それが全く実現していないことへの言及はなかった。 

 

 また、国から佐川氏への求償権の行使もなされていない。

 

  つまり、本来法律が想定した公務員への制裁は空振りになっているのだ。

 

  ここでよく考えてみよう。

 

  仮に、会社に雇われた運転手が職務中に事故を起こして人を死なせてしまった場合、その遺族は、会社に対して損害賠償を請求することもできるが、運転手個人にも同様の請求ができる。

 

それは運転手に故意や重大な過失がなくても認められる。

 

  ところが、今回の判決をそのまま放置すれば、完全な故意によって犯罪行為を指示し、公文書改ざんをさせた上に、それによって一人の人間を死に追いやった公務員は、なんのお咎めもなしで、謝罪すらしなくても良いということになる。

 

 「公務員」だから、罪を犯しても特別に法律によって守られているのだ。

 

  繰り返して言おう。 「一般市民は、悪意なく単なる過失で損害を与えたら、被害者側に直接損害賠償責任を負うのに対して、公務員だけは、悪意を持って罪を犯しても損害賠償しなくて良い」というのが裁判所の考えなのだ。

 

  どう考えてもおかしいだろう。法律もそんなことを想定したとは到底思えない。

 

故意に損害を与え、特に悪質な場合で、しかも十分な懲戒処分も刑事処分もまた国による求償権の行使もなされない場合に限っては、例外的に、被害者が公務員個人に直接損害賠償を求めることを認めるべきではないのか。

 

 高裁の判決は、公務員個人への損害賠償を認めれば、公務員が萎縮してしまうと言ったが、判決により、犯罪行為を行うことについて公務員が萎縮することになるのなら、むしろ望ましいことだ。 

 

 裁判長は、この判決が「公務員は、罪を犯しても法律で守られているので心配ないですよ」というメッセージを出して犯罪を助長していることを全く理解していない。極めて愚かな判断だ。

 

  法律や最高裁の判例を形式的に当てはめると結論が著しく不公正なものになる場合には、そのような結論に至らない解釈論を考えるのが「国民に寄り添う」裁判官である。

 

  今回の裁判長は残念ながら、そこまでの知恵と勇気を持っていなかった。 

 

 雅子さんが最初に訴訟を提起してから来年3月で丸4年になる。その間、裁判ではがっかりすることが続いたが、 「もし、その結果を4年前に予測できたとしても、私は裁判を起こしたと思う」と雅子さんは話してくれた。

 

  なぜなら、「自分には夫のためにできることはそれしかないし、自分が生きていく上でも、真実を知ることがどうしても必要なことだから」というのだ。

 

  そして、こうも付け加えた。

 

 「自民党以外の人が財務大臣になったら、全てを調査し直して、本当のことを明らかにしてもらえるのではないかと考えることもあります」と。 

 

 私は、その言葉を聞いて、そのとおりだと思った。

 

裏金疑惑で絶体絶命のピンチにある自民党政権が倒れて政権交代が起きれば、雅子さんの夢が叶うかもしれない。

 

  私は、心の底からそうなることを祈っている。

 

古賀茂明

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