【以下ニュースソース引用】
低所得者への「10万円給付」に怒る人が損をする訳ーー「既得権益」の摘発に躍起になるいびつな監視社会
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政府の経済政策と、「階層の分断」が加速する状況とは(写真:Ryuji/PIXTA)
12月12日に全容が明らかになった、政府の経済対策が物議を醸している。
所得税は納めていないが、一定以上の収入がある場合に課される住民税を均等割で納めている世帯に対して、一律10万円を給付し、18歳以下の子ども1人当たり5万円を上乗せすることが報道されるや否や、ネットニュースのコメント欄やSNSなどで反発が広がった。
■「階層の分断」を加速させる経済政策
要するに、「なぜ税金を払っていない人々が棚ぼた的に優遇され、真面目に働いて納税している自分たちが割を食わないといけないのか」という憤りであった。
「働くだけ損ではないのか」「労働意欲がなくなる」などの声も相次いだ。
ちょうど自民党派閥の政治資金パーティー収入の裏金疑惑の追及が過熱したタイミングと重なったこともあり、以前、的外れな少子化対策を巡って起きた炎上騒動と同様に、批判が殺到する事態となった。
物価高とインボイスで疲弊した国民の感情を逆なでした格好である。
このような経済政策が進めば、「階層の分断」は加速するだろう。
国民の結束を妨害するために、被支配層間の対立をあおり、闘争状態にさせて統治する政治手法を「分割統治」と呼ぶが、それと似た状況が出現しつつあることにもっと警戒すべきだ。
不平等感も生む今回のバラマキが悪手なのは素人目にもわかるが、ここには日本特有のシステムも一因としてある。
富の「再分配」がこれまでも経済的な弱者救済の名目で行われてきたからだ。
経済学者の井手英策らの議論が非常に参考になる(井手英策/古市将人/宮崎雅人『分断社会を終わらせる 「だれもが受益者」という財政戦略』筑摩書房)。
井手らによれば、日本では長らく右肩上がりの成長を当てにした「勤労国家レジーム」を採用してきたという。
それは所得減税と公共投資によって成り立っており、社会保障と教育は個人と市場に委ねるというモデルだった。
これが1960年代から始まったとする。
その代表的な例として、租税負担率を国民所得の20%以下に抑えることを盛り込んだ池田勇人内閣の「所得倍増計画」を示し、その背景に「勤労の美徳」とでもいうべき日本的な価値観があったと分析している。
だが、それは低成長時代への突入によって裏目に出ることになる。
福祉国家的な政府の手厚いサービスがない代わりに、1人ひとりの所得の増加がそれを補填してきたからなのだが、それがいよいよ立ち行かなくなったのである。
そのため、井手らはそもそも日本は「自己責任社会」だったと述べている。
■異なる階層間の緊張が増し、摘発に躍起になる監視社会
「勤労」を重視していることから、働けないこと、救済を受けることは恥であり、社会保障は「施し」としての側面が強く、給付は一定の所得以下の層に実施された。
また、地方部への公共投資の偏りなども併せて、「選別性」「限定性」が生み出されたとしている。 パイが増えているときはよい。
あちこち選別して薄く広くばら撒けばよいからだ。
だが、パイが減少し、社会のニーズが変わり、所得も減っていく状況の中では、以上の選別性、限定性は、「既得権」をもつ者への嫉妬やねたみの原因となる。中高所得層の低所得層への不信感、都市住民の地方住民への不信感、すなわち、所得階層間・地域間の不信感は強まらざるをえない。
「再分配の罠」は、まさに勤労国家レジームの落とし子だった。(同上)
国民に共通するリスクに光を当て、受益者の範囲を広げるという福祉国家的な方向性ではなかったために、成長の果実がなくなってしまうと、もともと限られていた受益者がすべて「既得権益」に見えてくるのだ。
再分配に対する不公平感が拭えず、特定の階層だけが恩恵を受けているというフラストレーションが蓄積すればするほど、異なる階層間の緊張は増していくことになる。
その先にあるのは、「誰が公金をチューチュー吸っているのか」という「既得権益」の摘発に躍起になるいびつな監視社会である。
「低所得世帯がいかに堕落した人々であるか」といった悪意のある暴露が積極的になされる懸念すら
生活不安の増大に伴い、現役世代の「自分たちは損な役回りを引き受けている」といった被害者意識は年々高まっているように思われる。
それは上記のような勤労国家レジームが機能不全に陥っているにもかかわらず、政府は国民の自助努力に頼る根本は変えないまま、増税などによって国民負担率だけを上げているからだ。
とりわけロストジェネレーション(就職氷河期)の嘆きは計り知れない。
安定した正規雇用からこぼれ落ち、家族形成の機会を逃し、政府の支援も皆無に近い状況に置かれた人々が大勢いる。
社会学者の橋本健二は、これらの人々などが高齢期に突入する2030年に「新たな下層階級」が全貌を現すと述べている(『アンダークラス2030 置き去りにされる「氷河期世代」』毎日新聞出版)。
国民同士が疑心暗鬼となり、バトルロワイヤルさながらに特定の階層を攻撃する事態が拡大することになれば、国家に対して再分配自体を縮小する口実を与えることになり、社会保障などが軒並み切り捨てられていくだろう。
最近、後期高齢者の医療費の窓口負担を2割に引き上げる案について、一部の現役世代から「3割にすべき」との意見が飛び交ったが、実のところそれによって得するものは誰もいないのだ。
ここでは、自分たちと「後期高齢者」は別の人種とするカテゴリー主義が顔を覗かせている。なぜか今という時間のみで年齢層などが固定され、自分たちはまるで年を取らないかのようである。
社会的なつながりの希薄さがそれを後押しし、他者の「既得権益」化に向かわせる。けれども、こういった形で世代間闘争の様相が強まれば強まるほど、政府は世論の分裂を味方にして“より過酷なプラン”を国民に押し付けようとするだろう。
■でたらめな経済政策がもたらす、モラルへの深刻な影響
これは、井手らが示した「救済型の再分配」の問題点とよく似ている。
経済格差が拡大している一方で、格差是正に前向きではない世論が形成されたニュージーランドの事例に関する研究だ。多くの人々が自らを中間層と捉え、再分配政策の負担者になると考えやすかったという。
そして、低所得層を自分たちと区別し、自分がもらえないのだから彼らにも支払わない(支払うべきでない)、という心理が働くことを指摘している。
でたらめな経済政策が事実上の「分割統治」に陥ることと同様に深刻なことは、モラルへの影響かもしれない。
「普通に働くこと」の価値が毀損されることによって、通常であれば抑制されていたような振る舞いが水面下で広がっていく可能性がある。
つまり、より一生懸命になるというよりかは、ステルス・サボタージュ(ひそかな怠業)とでも呼ぶべき「労働から半分降りる」感受性が、ウイルスのように拡散していってもおかしくはない。
私たちは、カテゴリー主義の先鋭化と、自分自身が社会において不公平な立場にあると感じる傾向の高まりが、国家モデルの失敗に淵源があることを踏まえながら、政府のでたらめな経済政策に振り回されないようにしなければならない。
「異次元」と称される、階層分断や混乱を意図したような各種政策を見るまでもなく、現在の政権が国民の窮状を一顧だにしていないことは、多くの人々が痛感していることだろう。
災害級の無策に見舞われた私たちの出方が問われているのだ。
真鍋 厚 :評論家、著述家
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