【以下ニュースソース引用】
天守閣に見応え! 現存する宇土櫓は解体保存開始 熊本城(1)
城郭ライター
小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。 …
日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。
今回は熊本市の熊本城です。
2016年の熊本地震で大きな被害を受け復旧を進めています。
復旧成った天守閣の内部にある展示は最新の技術を用いて見応えたっぷり。
“第三の天守”と呼ばれる宇土櫓(うとやぐら)の復旧工事も始まった熊本城の最新状況をお伝えします。
復旧完了は15年遅れ2052年度に
2022(令和4)年11月、熊本市は2016(平成28)年4月の熊本地震で被害を受けた熊本城の復旧完了時期が、当初の計画より15年遅れの2052年度になるとの見通しを発表した。
事業は2037年度まで20年間の予定で開始。
今年3月末時点では約21%の進捗率でほぼ計画通りだったが、石垣の工法の検討に時間を要するとのことだ。
復旧工事の長い道のりは続くが、2021(令和3)年4月26日には一つの大きな節目を迎えている。
地震から5年を経て天守閣が復旧し、見学できるようになったのだ。
天守閣への観光ルートも整い、コロナ渦の落ち着きとともに訪れる観光客が大幅に増えている。
今回は、リニューアルした天守閣のほか、復旧工事や調査・整備の現状をお伝えしたい。
被害状況や災害復旧工事の調査状況は、地震から半年後の2016年9月にレポートした
<地震から半年、熊本城の現在と未来(前)><地震から半年、熊本城の現在と未来(後)>の通りだ。
13棟の重要文化財建造物はすべて被災。北十八間櫓と東十八間櫓の2棟は全壊、不開門(あかずのもん)と長塀は一部倒壊、そのほかの建造物では屋根や壁が激しく破損した。
復元建造物は20棟が被災し、石垣の崩壊や壁の破損も広範囲にわたる。
とくに石垣の被害は深刻で、被害は全体の約30パーセントに及ぶ。
堂々たる天守閣完成 内部の展示はデジタル駆使
完成した天守閣は、まさに復興の象徴だ。
堂々たる姿を前にすると、胸に込み上げてくるものがある。
熊本市民の熊本城への愛着は全国でも群を抜き、さかのぼれば、1877(明治10)年の西南戦争開戦直前に焼失した大天守と小天守も、全国の天守復元ブームに先駆けて1960(昭和35)年に市民の働きかけで復元されている。
熊本城は市民の熱意によって歴史を重ねてきたといえ、今回の天守閣復活に対する喜びもひとしおだろう。
大幅にリニューアルされた天守閣内の展示は見応えがあり、今回の取材では3時間以上も見入ってしまった。
天守の構造や特徴などはもちろん、加藤清正の肥後入国から築城時の情勢、地形の特徴や河川改修と城下拡大の変遷、細川氏時代までの歴史などを、テーマごとに時系列で展示。
ジオラマや映像なども駆使して、わかりやすく解説している。
1889(明治22)年の熊本地震や1960年の天守再建、そして2016年の熊本地震まで、明治時代以降の熊本城の歩みも詳しく展示されている。
明治時代に撮影された古写真の展示も印象的だった。
城内には三重櫓や多聞櫓が建ち並び、威容が想像できる。
熊本城には1871(明治4)年に陸軍の鎮西鎮台(後に熊本鎮台)が設置され、西南戦争で西郷隆盛率いる薩摩軍に包囲され籠城(ろうじょう)戦を経験する。
西南戦争での焼失直前、1875年(明治8)に撮影された大天守の屋根には鎮台の旗が写っており、廃藩置県後もこの地で重要な役割を担っていた様子が伝わる。
熊本城の歩みは熊本の歩みなのだと、地域における存在の重みを改めて感じた。
2022年12月現在、国指定重要文化財では平櫓、監物(けんもつ)櫓は解体されている。
壁の漆喰(しっくい)や屋根の破損、傾きなどの被害がある田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓は、慎重に検討した上で順次修復される予定だ。
復元建造物では、戌亥(いぬい)櫓の解体保存工事などが進行中。
崩れ落ちそうな建物を支えた「奇跡の1本石垣」で注目された飯田丸五階櫓も解体され、現在は石垣の修理工事が進められている。
ほか、城内も石垣の崩落石材の回収工事も進行中だ。
242mの長塀、往時の姿取り戻す
国指定重要文化財の復旧第1号となった長塀は、2021年1月末に修復が完了し、かつての姿を取り戻している。
長塀は、城の南側、坪井川に面する竹の丸の石垣上に設けられた総延長242メートルの長大な塀だ。
加藤清正の子で2代藩主の忠広が1612(慶長17)年以降に整備。江戸時代の絵図をたどると、幾度の改修を経て現在の姿になったようだ。
地震後の調査では、江戸時代や明治時代の改修の痕跡が確認されている。
絵図などの文献資料と考古学的な調査を照合した研究を並行しながら、丁寧な復旧工事が進められている印象を受ける。
宇土櫓の解体保存、いよいよ開始!
2022(令和4)年10月からは、いよいよ宇土櫓の解体保存工事が始まった。
宇土櫓は本丸西側の平左衛門(へいざえもん)丸の北西側に建つ三重櫓で、清正の存命中に建てられた現存唯一の主要建造物とされる。
三重五階地下一階の宇土櫓は、天守に匹敵する規模と意匠を誇ることから“第三の天守”とも呼ばれる。
高さは19メートルあり、高さでは国宝の犬山城天守(高さ19メートル)や高知城天守(高さ18.5メートル)とほぼ同等。
四面に施された装飾も美しい、天守顔負けの立派な櫓だ。
破風(はふ)の反りや懸魚(げぎょ)の種類が天守とは異なり、破風は城の御殿に用いられるようなむくり破風であるのが印象的。
軒丸瓦や鬼瓦には、加藤家が用いた桔梗(ききょう)紋のほか、細川氏の九曜紋が見られる。
小天守最上階の廻縁(まわりえん)が雨戸で覆われ室内に取り込まれているのに対し、宇土櫓の廻縁は最上階の外側につけられているのも気になるところだ。
屋根には幅35センチ×長さ65センチ×高さ96センチの鯱(しゃち)が載っているが、絵図や明治初期の古写真を見ると江戸時代中期以降の宇土櫓には鯱はなく、1927(昭和2)年の解体修理の際に載せたらしい。
宇土櫓は、大天守や小天守より建築年代が古いと考えられ、清正が最初に入城した古城(隈本古城)に創建した天守の移築という説もある。
築城時の建造であれば、全国で現存最古の三重櫓となり、国宝化もあり得るだろう。
現存最古でなくても、平成の大地震をも生き抜いた宇土櫓は、間違いなく熊本城の宝だ。
解体保存工事を通じ、実態の解明につながる新知見や成果が得られることを期待したい。
宇土櫓は建物の威容もさることながら、櫓の下にそそり立つ高石垣の美しさも大きな魅力だ。
その高さは全国でもトップクラスで、約21メートル。
全壊した続(つづき)櫓の下あたりに、はらみ(せり出し)が生じており、補強のためはばき状の石垣を外側に築く検討をしている。
なんと、その石垣復旧工事に向けた発掘調査で、堀底に埋まった約4メートルの石垣が発見され、高さは合計で約25メートルに及ぶことが判明している。
宇土櫓の解体保存工事は、解体された部材を守るため鉄骨製の素屋根で櫓を覆って行われる。
解体後の部材も素屋根内に保管され、できる限りもとの部材を使って再建される。
工事の完了は10年後になる見通しでしばらくはその勇姿を見ることはできないが、調査・研究の成果を楽しみに待ちたい。
(この項おわり。次回は12月26日に掲載予定です)
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■熊本城
https://castle.kumamoto-guide.jp/(熊本市)
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