土曜日に、とあるところに行った。まあ、ひんこんしえんの場だな。

 

まだそのショックから抜けられていない。私は何もわかってなかったんだなと思うよね。

 

頭ではわかっていたんだよ、カテゴリーで人間を分けてはダメなんだとか。赤信号の前に黄信号があるんだとか。公的支援を受けるのとは少し違うところに、あるいはボーダーのところに、多くの人がいて、ギリギリで踏ん張ろうとしたり、踏ん張れなかったりしているということは。

 

でも、ひとりひとりの生身の人に会って、それぞれの矜持をヒシヒシと感じつつ(そういう瞬間ってのは、その人の矜持が表に出るんだね)、それでもその先もやはり必要で。なんでうまくいかないの、こんなに頑張ってるのに、と、なんか頭が途中からぐちゃぐちゃになって、ショートしてきた。一瞬気を失いそうになったもんな。頭の中が情報で埋まりすぎると、私はときどきそうなる。

 

他方、その場にいる人がね。私を呼んだ人は、たぶん私に伝えたくて呼んだのだし、ちゃんと必死で受け止めて考えろと言いたかったのだと思うから、それでいいんだよね。でももうひとりの人は、たぶん少し違う。正直、私は役に立たないのだ。状況を何とかしたいという想いが強い人は、役に立たない人間にはどうしても結果的には冷たくなる(その人は決して私に冷たい態度はしていないよ、念のため)。私はそれもヒシヒシと受け取ってしまったんだよな。それも参っている理由のひとつだろうな。

 

まあでもやっぱり根本は、お会いした人たちひとりひとりことだな。夜に横になっていて、ふと思い出してしまうんだよな。あの人の髪の毛はとても粋に染まっていたなあ、とか。あの人のお化粧は完璧で、あれはあの人の武装なんだろうな、とか。この人の配慮に溢れた姿勢は、この人なりの方策なんだろうな、とか。本当に子どものことを思う言葉の数々に、先輩の矜持を感じて、尊敬してしまうし。単純に、話し方とかがいちいちかっこよくてステキだったりした。

 

だのに、なぜかうまく行ってない。なんでなんだろう。

 

じゃあなんで、私は仕事にありつけているんだろう。

 

単純に、運だよな…。そんなことで。

 

就職ができない可能性は大いにあった。一緒にアルバイトしたり、一緒に学んだりしたりした人たちで、定職についていないで同い年の人も多々いる。みんなとってもいい奴だった。私との違いはほとんどなかった。私はいつでも机の向こう側に座れたのだと思う。

 

ひんkonの話は、キツイな。かいそーの話と同じくらいキツイ。しょーがいの話よりむしろキツイ気がする。なんというか、むき出しの暴力だ。まあ、しょーがいの話もそうといえばそうなんだけど。でもそれより、なんかもうどうしようもなく、暴力だなと思う。ちょっとかかわるだけでもこんなにこたえる。

 

ははは、相変わらず子どものようなメンタルだよ、私は。どこまでいっても、豆腐メンタル。つーか、なんつーか、あれだよね、英語でいうところのナイーヴちゃんだよな。おバカなんだよな…。

 

でも、無駄に自己肯定する傲慢人間でもあるので。ナイーヴちゃんだからできることもあるんじゃゴルァ。