韓国の若者は読書を「かっこいい」と思う。日本の若者はなぜ本を読まなくなったのか
読書をする姿が、かっこいい。そんな価値観が、韓国の若者の間で広がっているという。
「テキストヒップ」と呼ばれる現象だ。
本を読むこと、本を持ち歩くこと、お気に入りの文章をSNSで紹介すること。それらが、おしゃれで知的な自己表現になっている。
韓国の20代の年間読書率は75.3%。一方、日本では読書離れが進んでいる。
2025年の全国学校読書調査では、高校生の55.7%が5月に本を1冊も読んでいない。
もちろん、調査対象や読書の定義が違うため、単純に数字を比較することはできない。
しかし、両国の若者の読書をめぐる状況には、興味深い違いがある。
韓国では、読書がかっこいい。
日本では、読書は勉強の一部、あるいは時間に余裕がある人がするものになっていないだろうか。
ここに、何か大切な違いがあるように思う。
そもそも、読書とは何だろう。知識を得るためだけのものではない。自分とは違う人生を知ることができる。自分では経験できない出来事を疑似体験できる。自分とは異なる考え方に触れることもできる。
そして、何より、自分の頭で考える時間を持つことができる。
スマートフォンを開けば、次々と情報が流れてくる。
短い動画、誰かの意見、ニュース、刺激的な言葉。
そこでは、考える前に次の情報がやってくる。
読書は違う。一つの文章を読み、立ち止まり、自分なりに考える。著者の考えに反発することもあれば、今まで気づかなかった自分の感情に出会うこともある。
読書とは、他人の言葉を借りて、自分自身と向き合うことでもある。
私は、今回の韓国の動きに、少しうらやましさを感じる。
読書をしなさいと言われて本を読むのではない。読書すること自体が、かっこいいという価値観が生まれている。
これは大きな違いではないだろうか。
日本では、いつから読書が「しなければならないこと」になったのだろう。
学校では読書感想文があり、読書量が評価される。読んだ本の冊数が話題になる。
けれど、それでは読書の本当の楽しさは伝わらないかもしれない。
そして、ここで少し立ち止まって考えたい。
私たち大人は、若者に読書を勧める資格があるのだろうか。子どもたちに本を読みなさいと言いながら、自分たちはスマートフォンを眺めていないだろうか。
読書の大切さを説きながら、実際に本を楽しんでいる姿を見せてきただろうか。
子どもは、大人の言葉よりも、大人の姿を見ている。
親が楽しそうに本を読む。職場で読んだ本の話をする。知らないことを本で調べ、そこから新しい発見をする。
そんな姿を見ていれば、読書に対する印象も変わるのではないだろうか。
読書離れは、若者だけの問題ではないのかもしれない。
大人自身が、読書の楽しさを忘れてしまった結果なのではないか。
AIが答えを出してくれる時代になった。知識を得るだけなら、わざわざ本を開かなくてもよいのかもしれない。しかし、何を疑問に思うか。何に感動するか。何を大切にするか。それは、誰かに代わってもらうことのできない、人間自身の営みだと思う。
韓国の若者たちが読書をかっこいいと思う。
その姿から、日本の大人たちも学べることがあるのではないだろうか。
本を読むことは、賢く見せるためではない。自分の世界を広げるためだ。そして、知らなかった自分に出会うためでもある。
若者に本を読ませる前に、まず大人が本を楽しんでみる。
読書をする若者が、もっとかっこよく見える社会。
そんな日本になってもいいと思う。