生きることに迷い続けた日々がある。 どう生きるか。 未来につながるのか。 生きた証はどこに残るのか。 そんな問いを胸に抱えながら歩いてきた。
その迷いの中で思い出すのが、見るとはなしに両親と見た『北の国から』の黒板五郎の背中だ。 富良野の冬の朝、白い息の中で黙って薪を割る姿。 雪に吸い込まれる音の合間に、言葉にならない孤独が立ち上がる。 誰かに語るためではなく、生きるために抱えた孤独だった。
現実の生活にも、似た静けさがある。 朝の台所で湯が沸く音。 窓の外の空気を確かめる仕草。 誰にも見せないまま始まる一日の最初の時間。 その静けさは、五郎の沈黙と同じ速度で流れている。
青年期には太宰治の優しさを自分の中に求めていた。 弱さの奥にある光を探すようにページをめくった日々。 痛みを抱えながらも、生きることを諦めなかったという一点だけは、五郎と同じだった。
父の背中を見ながら過ごした時間も、静かに心に残っている。 言葉にしないまま伝わるものがあり、その沈黙は五郎の孤独と重なって見える。父の背中を見ながら、 「この人はどう生きてきたのだろう」 「自分はどう生きていくのだろう」 そんな問いが、言葉にならないまま胸の奥に沈んでいた。 父の人生の静けさは、五郎の沈黙と同じように、説明しないまま、ただそこにあった。
孤独は、誰かと離れることではなく、 心の奥で静かに灯る小さな火のようなものだ。 強く燃える必要はない。 誰かに見せる必要もない。 ただ消さずに持ち続けることが、生きるということなのだと思う。
迷い続けた日々は無駄ではなかった。 その迷いの中で灯った小さな火が、今も静かに自分を照らしている。