映画 『悪人』
朝日新聞夕刊に連載され、毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞した吉田修一の話題作を映画化した犯罪ドラマ。九州のとある峠で起きた殺人事件をきっかけに、偶然に出会う男女が繰り広げる逃避行と愛を息苦しくなるほどリアルに描く。監督は、『フラガール』の李相日。罪を犯してしまう肉体労働者と彼と行動をともにする女性を、『ブタがいた教室』や大河ドラマ「天地人」の妻夫木聡と『女の子ものがたり』の深津絵里が演じる。原作で巧みにあぶり出される登場人物の心理がどう描かれるのか、実力派俳優たちの共演に期待が高まる。
若い女性保険外交員の殺人事件。ある金持ちの大学生に疑いがかけられるが、捜査を進めるうちに土木作業員、清水祐一(妻夫木聡)が真犯人として浮上してくる。しかし、祐一はたまたま出会った光代(深津絵里)を車に乗せ、警察の目から逃れるように転々とする。そして、次第に二人は強く惹(ひ)かれ合うようになり……。
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悪とはなんだろうか、、、と考えさせられる作品である。
これは誰もがもっているであろう、“悪”の部分を描いた作品である。
正月に実家に帰らないこと?友達にウソをつくこと?好きでもないオンナとドライブすること?人を殺すこと?お年寄りをマルチ商法でダマすこと?女性を夜道に置き去りにすること?子どもを見捨てること?・・・
“悪”とはなんだろうか?
この世界で一人しかいなければ、“悪”など生まれない。“悪”は人間関係のなかから生まれるのである。
殺害された娘の父を演じた榎本明のセリフが印象的であった。
「今の世の中、大切なひとがおらん人間が多すぎる。・・・それじゃあ、人間はだめだ。」
清水祐一(妻夫木聡)には、大切なひとがいなかった。そのこころのなかにあいた穴を埋めるために出会い系サイトで女性と知り合おうとしたのであろう。その気持ちはまた、光代(深津絵里)も同じであったのであろう。
作中でストーリーが進むにつれて、2人の表情や態度からそのような変化が見受けられる。
例えば、仕事場や家にいる清水祐一(妻夫木聡)や光代(深津絵里)と長崎の灯台にいるときの2人、1度目のセックスシーンと2度目のセックスシーン、車内の光代(深津絵里)のつくり笑いと自然な笑顔・・・
殺害された娘の父を演じた榎本明が印象的であった。娘という大切なひとを無くしたが、彼には他に大切なひとがいた。だから、1歩踏みとどまることができたのだろう。上の印象的なセリフは、自分自身に言い聞かせたものではないだろうか。いや、娘が死んだからといって、娘が大切なひとでなくなったわけではないということではないだろうか。
大切なひとがいたから、悪人にならずに済んだのだろうか。
この作品に登場する人間は、すべて悪人にも見える。それは、ある一面からみた結果である。違う一面から見れば、その人は悪人ではないのである。
それが、作中そして見終わった後のモヤモヤの原因なのである。
その人は人殺しでもあるが、私のことを愛してくれた人でもある、というように。
この作品は、吉田修一が原作となっている。
映画と合わせて、原作も読むべきである。
吉田修一原作『パレード』、映画『パレード』もおススメである。
『パレード』も日常的な人間関係が描かれている。
岡田将生と満島ひかりには、日本アカデミー賞とってほしかったなぁ。