私が1歳5ヶ月くらいの頃、
母は病気で入院しました。

腎臓を悪くして、医師からは
「癌と同じくらい完治が難しい病気です。」
と言われたのだそう。

34年前、癌と言えばイコール死を意味していたであろう時代に、
その宣告は私達一家を、
いや、両親を奈落の底に突き落としたのでした。

姉は5歳、真ん中の姉が3歳、
私は1歳5ヶ月。
小さい子供を家に残し、入院した母の気持ちを
今ならばリアルに感じ取ることができます。

私は小さかったので、
病院に面会に行くと、
帰り際母と別れるのを嫌がり、
泣いて泣いて大変だったそうで、
それを見る両親もつらかったし、
私の気持ちを思うと
しばらく連れて行くのはやめようと言うことになったそうです。

「20日だった」

母、私と会わなかった期間を忘れずに覚えていました。
20日ぶりに、私は父に連れられ、
母のもとに面会に行きましたが、父に
「お母さんだよ。」と言われて母のそばに行くように言われたものの、
私は
「違う・・・。お母さんじゃない。」
と言ったそうです。

父がどんなに手を引いてそばに連れて行こうとしても、
私は母のもとには近寄らず、
結局父にしがみついて離れずに、
そのまま帰って行ったそう。

両親が、私がかわいそうだからと会わせるのを控えたことで、
私は20日の間に母の顔どころか
存在すらも忘れてしまったのです。

なんという薄情な娘でしょう。
私の記憶力の乏しさは、今にも通じるものがあるのだけれど、
まさか自分の母親を忘れてしまうなんて・・・。


子供の記憶ってそんなものだろうか?
うちのダーリンは、7歳くらいのころ実の母親と別れ、
しばらく会っていなかった時期があり、
その後お母さんが、ダーリンの預けられている家に1度訪ねてきたことがあったそうだ。
その時ダーリンは、母親のことを覚えておらず、
家の人に
「お客さんが来たよ。」と言ったのだそう。

そういうもの?
両親共に、
まさか忘れてしまうとは思わなかったと、
今でも口を揃えて言います。

母は当時を振り返り、
「自分を忘れてしまったことがわかったとき、
死んでしまいたいほど悲しかった。」
と言っていました。


ソラを授かり、
毎日自分の思う通りに手をかけて育てているけれど
もしも、愛してやまないこの愛しい存在を家に残し、
私が入院しなければならなくなったら。
そしてソラが私を忘れてしまったら。
もしも私が、ソラを残して永遠に別れることになってしまったら。

母を忘れてしまった話は、
昔からよく聞いていて、
ソラを産むまでは、正直そんなにいろいろと考えることはなかった。
忘れちゃうなんて私らしいわ、くすっ。
ぐらいに思っていたし(やっぱり鬼娘)

でも、今だからわかる。
その当時の母の思いを。
自分が治るかどうかもわからない病気になり、
幼い娘を3人も残して死んでしまうかもしれない
という恐怖や、
母親が必要な時期に、
充分に愛情を注いであげられない不甲斐なさ。

昨日、実家に帰った時に母が
「私の病気になったのは、
ソラちゃんがちょうどこのくらいの頃だったのよね。」
と言っていたので、
またその当時の話になった。

母は3人の子供の世話に、
まだ60代前半だったにも関わらず
完全に隠居して上げ膳据え膳だった祖父母。
自分のことを自分でやろうとしない父の世話まで一人でこなし、
疲れ果てて病気になったのかもしれない。
いや、しれない、ではなく、そう通りだ。

病気になってからは祖父母も父も母に協力するようになったものの、
母が奇跡的に復活を遂げてからは元通りだったような気がする。

昨日両親に、
「もしもあの時、お母さんが死んでたとしたら、
うちの家族はどうなっていただろうね。」

と聞いてみた。

母は、
「3人コブ付きジジババ付きのお父さんじゃ
後添えも期待できなかっただろうし、
おばあちゃんが頑張って娘達を育てたんじゃないかしらね?
おばさん達も、文句言いながらも手伝いに来てくれたわよ。」

母は笑いながらズバズバ厳しいことを言い、

「私が生きてなかったら、
うちは一家離散だったわね・・・。」

と付け加えた。

父は仕事を真面目にする人で責任感も強いけれど、
家のことは何も出来ない人だし、
唯一した育児はお風呂と遊び相手くらい。
祖母に手をかけられて育ったため、
家では自分のこともしなければ、人の世話も焼かない。
魚の骨も取ろうとしないのだ。

魚の骨を取ってもらうのは、
母に甘えてそうしているのかと思いきや、
そうではないらしい。

先日母に、
「私に骨を取らせていたら、外で魚食べられないじゃない。
ちゃんとお魚食べなくちゃダメよ。」
などと言われていた父は、
「いや、食べてる。お刺身とか切り身の焼き魚とかね。」
と答えていた。

そこで私が、
「自分で骨が取れないのに
お父さんは子供の時どうやって魚食べていたの?」
と聞くと、
「頭が付いた魚なんか、一人ずつに出ることなんかない。」

と即答(笑)
さすが、戦争真っ只中に産まれた団塊世代(涙)


母がいなかったら一家離散。

うん、確かにそう思う。

母は今でも元気にしていて、
体力は間違いなく私よりもある。
母の健康は、
きっと娘達を産み育てたご褒美なんだろうな。

元気になってくれてありがとう。