今日は実家に帰っていて、
午後、いつもの時間にソラを散歩に連れて行った。

家を出てすぐに、ソラが小枝を拾い、
棒や枝は危ないので、いつものように

「危ないから下に置いてね、ポイしてね。」

というと、すぐに手放したのだが、
その小枝が、道路のくぼみにスッポリ入り、
それが非常に気になったのか、
くぼみから必死に小枝を取り出そうとし始めた。

しかし、そのくぼみは細くて、ソラが工夫しても取れず、
取れなくて怒ったソラは、散歩で歩くことも拒否し始めた。

最近ダーリンと行く、
抱っこで移動の「空中散歩」が気に入っているソラは、
私にも抱っこを要求したが、私はソラを抱っこしないので、
ソラはますます怒り出し、
大声で泣きだした。

それこそ、近所中に響きわたる大音響で。

しかし、私がそこで抱っこしてしまうと、
ソラは明日からも空中散歩を当たり前だと思うばかりか、
泣けば自分の要求が通ると学習しかねない。

それは絶対に認められない私は、
ソラが泣こうがわめこうが、

「抱っこはしないよ」

とソラに伝えた。

道路で座りこみ、泣き叫ぶソラ。

泣き声を心配した母が外に出てきて、

「どうしたの?」

と言うので、

「抱っこで散歩がしたいの。でも抱っこしないから泣いているの。」

と言うと、

「ばぁばが抱っこするから。」

というので、

「それはダメ。抱っこはしない。
このまま帰るよ。ソラ歩こうね。」

と言ってソラの手を引いて、引きずるように実家まで歩かせた。
途中、何度も歩くことを拒否し座りこんだけれど、
私は絶対に抱っこしなかったし、母にも抱かせなかった。

家に帰って来ると、
散歩には行きたいソラは、家に入るのを拒否したが、
両手を掴んで家に入れ、
靴を脱がせて部屋に入り、
涙で濡れた顔や、汗をかいた体を拭きながら、
ソラを立たせたまま抱きしめた。

「抱っこして欲しかったんだよね。
でも、ママとお散歩の時は抱っこしないよ。
今日はお散歩おしまいね。
この滑り台にクマちゃん乗せてあげようか?」

と言って、気持ちを切り替えるように誘ってみた。
ソラは泣きしゃっくりをしながらも、
クマちゃんを滑り台に乗せて滑らせる遊びをし、
クレヨンを見つけてお絵描きをしたりして
泣きやんだ。

私がそんなことをしている間、
近所のおばちゃんがソラの泣き声を心配して
実家までわざわざぬいぐるみを持って来てくれたりした。

すごいな、近所パワー(笑)

母には後から、

「躾なのはわかるけど、まだ小さいんだから抱っこしてあげたら?」

と言われたけれど、
私はそれを否定した。

ダメなことはダメ。
私がダメと言って、それを私も守らなくちゃソラが混乱する。
いい事とダメなことの一線を明確にしてあげなくてはソラが迷う。
例外を作らないことが私の子育てだから、
今日はこれでよかったのだ。


・・・・・・でも、
子供をあれほど泣かせて、
心が痛まないわけがない。

本当にこれでいいのだろうかと、
私がダメと言ったことを、ここまでかたくなに貫いてもいいのか、
正直迷うし、不安に思うこともある。

今日の場合、少しの間抱っこしてあげて、
気分が変わったら下ろせばいい。
それも考える。

でも、私にはそれが出来ない。
泣くことはソラの大切な言葉であり会話なのだけれど、
泣いても思い通りにならないこともあるのだと
ソラに知って欲しい。

ソラには、自分の感情をコントロール出来るようになって欲しい。
我慢ができなければ、
自分の感情をコントロールすることは出来ない。

だから、厳しすぎるかもしれないけれど、
私はソラを甘やかさない。

ダメはダメだけれど、
ソラが興味を持ってしていることは自由にさせ、
多くの場合、やりたいようにさせていることも多い。
私のしていることは、愛情なのだと
私が自信をもてなくてどうするのだ・・・。


今日のことをダーリンに話すと、

「美奈ちゃんのやり方で間違ってないよ。」

と言ってくれた。
ダーリンは私の子育てに対する考え方には
常に同意してくれるので、とても嬉しい。
彼自身、とても厳しく育てられたし、
私が実はいつも迷っていること、
それにソラには
甘えられる場所がたくさんあることをわかっているから

彼の場合、いかなる状況でも
常に私を否定することは無いに等しいのだけれど、
それは、私への信頼プラス、
いずれどんな状況になっても
私だけではなく自分の責任でもあると思っているからだろうと思う。
子育ては母親だけでするものではない。


私の育て方で、
その結果、どんな影響が出るのかはわからない。
でも、そんなことを気にして子育てができるのか。
それが正解なのか、
そんな自信はきっとずっと持てない気がする。

私よ、迷うな。