~鬼の子~ 第六十話
「鬼の子はもう1人いるってこと、忘れてない?」
なぜか余裕の笑みを浮かべる収に、その場にいる
人間すべてが呆気にとられた。
と、その隙をついて詠士が静香の腕を蹴り上げ、
手にしていた包丁がぽんと投げ出された。
慌てて拾おうとした静香の目の前で、龍馬が
素早くそれを奪う。
(すごいコンビネーション・・・・)
収に触発されたせいか、千波までそんな場違いな
感想を抱いてしまった。
そこで、ふと外からパトカーのサイレンの音が
聞こえた。
その音に気付いた静香が、廊下からベランダへと
飛び出す。
「武部さん!」
千波たちも慌てて静香の後を追った。
静香はステンレス製の柵に片足をかけ、今にも
飛び降りそうな姿勢をとっている。
「静香、やめろ!」
詠士も必死に叫ぶが、静香はもう片方の足も柵の
向こう側へと出してしまった。
「武部さん、だめだよ!!」
なんとか思いとどめようとする千波に、静香は不思議そうな
目でこちらを見た。
「どうして?私はあんたを殺そうとしたのに・・・・」
「・・・・確かにそうだけど。でも、親切にしてくれたことの
全部が嘘だったとは思えないから」
そう言うと、静香はしばらく黙ってから両手で柵を握りしめ
たままその場にしゃがみ込んだ。
すかさず詠士と龍馬が静香を抱きかかえ、こちら側へと
連れ戻す。
静香はうつむいたまま、動かなかった。
だが、その細い方がほんの少し震えているように見えたのは
気のせいだろうか。
やがてバタバタと騒々しい足音とともに大勢の警察官が
やって来た。
静香は抵抗することもなく、警察官に連れられ千波たちの
前から去っていった。
― 真の鬼というものは、人間の中に棲んでいる
ふいに、あの老婆の言葉が胸によみがえる。
静香の中にも、もしかしたら鬼が棲んでいたのかもしれない。
静香を乗せたパトカーが遠のいていく様子を眺めながら、
千波はそう思っていた。