という理由で対象になる誰か、を嫌いになったり。
自分の考えが他者の思惑に染まってしまっているんじゃないか?
というケースに出会う度に、そういう人達を見る度に考える。
ジャイアンに隠れて
お前やばいぞ、やられるぞ
と言ってるスネ夫のような印象。
多分、それって「弱さ」からくるもんじゃないのかなぁ
「孤高」である為には「強さ」がいると想う
流されないことも、凄く力が必要なんだと想う。
受け止めきれない
だから逃げるんだ。
自分で考えないということは、楽だからな。
例えば誰かから責められたら、どっかから無理矢理大義名分を引っ張り出して、屁理屈をこねる
自分は悪くない。自分以外の何かが悪い。ってわめく。
俺も昔きっとそんな時があったから、わかる。
でもそれってつまんないよ
いつまで経っても当事者にならないんじゃ、
ちゃんと自分を生きられないよ
ちゃんとよく見て、向き合ってみて
あなたの嫌い、は本当にあなたのものか?
あなたの好き、は本当にあなたのものか?
自分の声で話そう。
こうして、自分にも言い聞かせてるよ