纐纈です。
友人、と呼べる存在はとても少ない。
だからこそそういった存在は人生の財産である、と想う。20代の頃より、ずっと強く。
両手で数えられる位の少なさのその中の一人に、10年以上前にやっていたバイトのオープニングスタッフというきっかけで出会った男がいる。
(以下、Kと呼ぶ。)
当時バイトでできた仲間は沢山いたけれど、今でも定期的に誘って飯を食うのはもうKしか残っていない。
6個か7個下だから冷静に考えると結構下なのだが、俺はあまりそういう細かいことを気にしないので、立場は常に同等であり、普段はお互い当たり前にタメ口で喋るし、遠慮も何もなく突っ込んだり、言いたい事はズケズケと言い合う。
そんな感じだから、当時はめっちゃぶつかったりもしたけれど、そのおかげできっと今でも仲良いんだろうな。
気負わなくてもいい、という所も友人であるという上での重要な事だと想う。
振り返ってみると、
悩んで、自分の中で答えが固まっていない状態の時に、かなりの確率で話を聴いてもらって来た。
「それって、つまりこういうことだよね。」
と俯瞰で要点をまとめて打ち返してくれるので、話していると気持ちの整理が付いてくるのだ。
頭が良く、知的で、スポーツも出来、歌も上手く、背も高く、顔はケツメイシ「さくら」のMV時の萩原聖人にクリソツで、
(特に鈴木えみと喧嘩してるシーンが最高に似ていて、今でも見る度に笑うw)
。。。意外と沢山褒め言葉が出て来ちゃって腹立つけどもw
俺から見ても悪くないいい男である。
親が公務員。姉が警察官。その他諸々というしっかりとした家庭で育った彼は、昔からアウトローな道を「あり得ない。」という価値観の中でずっと生きて来た。
そんな彼も大学を卒業し、その後は企業に就職をし、いくつか転職をしての今である。それなりに出世もしたらしい。
コミュニケーション能力も申し分無く、
仕事をやらせても大概の事は平均点以上でこなす。
女性にもそれなり以上にモテる。
しかしどこかいつも冷めた目で世界を見ている自分がいるらしい。
「こんなもんだろう」と。
レーダーチャートにしてみたら、すべての項目で高得点を取るような優等生。
器用過ぎる男。
、、が故に常に何かが満たされていない。
飢えているんだ、
「生きている実感」に。
出会った頃から、ずっと。
「これだ!と想うものに出会いたい。」
「そしてその世界に思い切って飛び込む勇気が欲しい。」
そう言い続けて早、10年以上。
だからこそなのか、
「纐纈くんが本当に羨ましい。」
と出会った頃からずっと言ってくれる。
昔話によると、就活中
企業の面接時。
「尊敬する人は誰ですか?」という問いに、
皆が「両親です。」と答える中で、
まさかの「纐纈」と答えてくれたこともあるらしい。
(その面接は見事に落ちたらしいがw)
そんなKを見ていると、「器用である」という絶対的なメリットに想えるものも、時に厄介になり得るのだな、と気付かされる。
どの道を選ぶのが正解かなんてないし、
やりたいことがある方が幸せ、なんてこともない。どちらも間違っていない。
だけど、「後悔が無ければ」という点が大事だと俺は想う。
あの時こうしておけば良かった。
あの時あっちを選んでいたら。
人生において、反省は多くてもいいと想うけれど、後悔は少ない方がいい。
だから、自分にとって、
やりたい事や、挑戦してみたい事と出会えた時に、
「これしかない!」「これが大好きだ!」と想い込めるのはとても大事で、
何でも器用に出来ちゃう、というより
一個の事しか上手く出来ない、という方がきっと悩んだりしなくて良い。
音楽の道に飛び込むってことは、俺の中で自然な事だったけれど、リスクが高いのもよく解るし、きっと「馬鹿だな。」と当時想った周りの人も沢山居ただろう。
でも今は、あの時選んで本当に良かったと想えるし、「大丈夫なの?。」と心配してくれた人達もやっと仕事として認めてくれた感がある。
時に、
「馬鹿であれ。」
「不器用であれ。」
それが道を切り開く為に必要ない事なのかもしれないね。
こないだ久しぶりに飯食った時にお互いの近況報告をしていて、
今Kはもっぱら休日何してるのか?と問うたら、
「パチンコか、麻雀しかしてないな。」
という事らしい。それ自体を否定はしないが、
大事な友人だからダサくは生きて欲しくないんだよな。
その才能とパワーを、もっと違う事に使ったら凄い事になるだろうな、と勝手に想う。まぁ、只のお節介だが。
帰り際、
『あー俺彼女作るんだったら纐纈君みたいに会話できる人がいいなー。』
と言っていた。
どんだけ好きやねん笑