青梅行きに乗ってても八王子には着かない事を知った、37歳の夏。


路線を間違え、あわや遅刻するところだった、日本工学院八王子専門学校への道中。

拝島でギリギリ気付いて八高線に乗り換えて飛び込みリハーサル。間に合って良かった。




こないだ、数年前から定期的に参加させてもらっている日本工学院の体験入学への、ゲスト出演でした。


写真は美味しかった学食・昼食・鶏天丼也。



、、、気付けば最近食べ物の写真ばっかアップしてる気がするな。

なにかの記事で、

「食べ物の写真ばかりをあげる人は問題がある」

的なのを読んだ気がするんだけども、俺大丈夫か?笑




纐纈です。


恐らく今年最後となるこの仕事。

3曲、とは言えライブはライブ。


折角見てくれる高校生の人生変えるくらいの気持ちで毎回ステージに臨んでます。(結果何か爪痕を残せたかどうかはわからないけれども。)


俺たち自身が、もはや親でもおかしくないような年齢。

その瞳にどう映るのかはわからないが、

結局、本当にやりたいことをやって、自分らしく後悔しない人生を送る

ってことも、両親に対してのひとつの恩返しになると今になって俺は想う。

あとは健康で、親より長生きすることくらいか。

なので、選んだ道、歩みたい旨をしっかりと両親に伝えて、応援してもらった上で一歩踏み出して欲しい。そんなこと考えながらいつも歌ってます。




大学四年生の夏だった。

同じようにこんな風に暑い日の午後。実家。


昔からの夢だった『ログハウスを作る』という夢を実行に移し、実際に建ててしまった親父。

その最終工程の、窓を付ける作業を手伝っていた俺。

内心は、いつ切り出そうかで一杯だった。



「俺、就職せずに音楽の道に進みたい。」



黙々と作業を進める親父の背中を複雑な心境で見つめる。


それまで、ずっと
「就職しろ。仕事何でもいいから見つけろ。」
と口酸っぱく言われて来た。


代々続く教師家系。
ここまで特異な道を歩んだ人は恐らくいない。

だからか、とずっと想ってたんだけど、
今になって想えば、単純に心配でしょうがなかったんだろうな。

俺にもし子供がいたなら、きっと同じ事を言うだろうな。


しかし結局就職活動は微塵もせず、大学四年まで来てしまった。結局のところ興味があることなんて13歳でギターを手にした時からひとつだけだったから。


その時もまた同じ話が始まる。



「悠輔、仕事はどうするんだ?。」




ここしかない
そう想って勇気を振り絞って言った。



『俺、音楽の道に進みたい。挑戦してみたい。』


何ヶ月もかけて少しずつ固めて来た覚悟。でも実際に親父を目の前にすると、鉄壁に想えた決意も怯みそうになる。


だけど、


何発殴られてもいいや。

それでも、って気持ちで言った。



その答えは予想だにしないものだった。



「そうか。俺が知らない人生の話を聴くのも、楽しいのかもな。思いっきりやってみろ。」



あまりのすんなりとした返事に、一瞬何が起きたか解んなかった。

それ以上多くは語らず、また窓を付ける作業を淡々とこなしていた、親父。



忘れることのない、ある夏の日の思い出。



俺はしっかりとこれからも生きる、音楽家として。

そして親父に音楽でもってより一層親孝行をすると決めている。

あの時、応援してくれて本当にありがとう。