「女前(オンナマエ)」が日本を変える──。この特集では、男も女も支持して、本人も充足しているキャリア女性を「女前」と定義。そんな女性を5日連続で紹介しながら、「女前」の条件を考察していく。2日目は、資生堂の川上登美子さんに、大ヒット商品を生み出した情熱と仕事の進め方をうかがう。
※1日目の「女前」、宝島社の箕浦ちさ子さんはこちら
■「化粧落としが面倒」、女性の実感がヒット商品を生む
資生堂の川上登美子さんは、東京大学農学部大学院を修了したリケジョ。昨年、同社の大ヒット商品を生み出した。お湯だけで化粧を落とせる化粧下地「フルメーク ウォッシャブル ベース」だ。年間数十万個でヒットといわれる化粧下地の市場で、2013年2月の店頭販売から2カ月で200万個の出荷数を記録した。
といっても普段、化粧をしない男性には、何がそんなに画期的なのか、わからないだろう。
夜、化粧を落とす。これがどうしようもなく面倒なときが女性にはある。1日働いてクタクタになった日。お酒を飲んで帰った日。落とさないまま寝たら肌に悪いという葛藤と戦い、重い腰を上げて洗面所に行き、クリームを塗ったり、オイルでふき取ったり、濃いアイメークには専用のリムーバーを使ったり……。
こうしたクレンジングの煩わしさは、化粧をする女性なら誰しも感じているはずだ。川上さんもそのひとりだった。
「家に帰ると急にスイッチが切れてしまう。このままシャワーを浴びてお湯で一緒に化粧を洗い流せたら、どんなにラクだろう」
この下地は、40度でやわらかくなるセンサー分子が入っているのが特長だ。お湯で洗うと、その上に重ねた化粧が浮き上がって落ちる。体温に近い37度以下では化粧崩れしやすいが、かといって42度では熱すぎてしっかり洗えない。
ぬるすぎず、飛びのくほど熱すぎない。それでいて結果をきっちり出す絶妙なバランスの温度は、川上さんの「女前」な情熱と似ている。
■研究職からマーケティングへの異動は複雑だった
2005年に研究職として入社した川上さんは6年半、基礎化粧品に紫外線カット効果を施す処方の研究開発をしていた。2010年12月、マーケティング部門へ異動する。上司に異動の打診をされたときの気持ちは複雑だった。
「研究者としてのキャリアを考えると、一度、中断したら、いつか研究職に戻ったとしても、研究一筋の人たちにはかなわない。トップランナーにはなりえないのです。それまで私はいろいろな研究発表もしてきて、手掛けているプロジェクトもあったので、後ろ髪を引かれる思いでした。でも最終的には、なかなかない機会だし、お声をかけていただいたことに懸けてみようと思いました」
この懸けが、2年後に大ヒット商品を誕生させる。2011年1月、異動の2カ月後に社内でアイデアコンテストがあり、「お湯で化粧を落とせる下地」を提案したのだ。このアイデアのユニークさは、クレンジングの工程そのものを省いたこと。女性としての実感と、研究者としての「作れるはず」というカンが合わさってひらめいた。見事、最優秀賞を取り、「新商品開発プロジェクトを進めよ」との社命を受けた。
■「世界初の商品をどこよりも早く出す!」と宣言
プロジェクトを牽引した川上さんは、メンバーたちに「世界初の商品を市場でいちばん先に出す! 絶対にどこよりも早く発売する。二番煎じにはならない」と宣言。発売日を「2012年度末」に設定した。この世にないものをゼロから開発し、商品化するには時間がかかる。だが、わずか2年で実現し、宣言どおり、12年12月にウェブ先行発売にこぎ着けた。
成功に至るまでには、お湯でスルッと落とせるこの商品とは異なり、幾重もの壁を突破しなければならなかった。社内の反応と技術的な問題だ。
■社内にはネガティブな意見もあった
まず、社内の反応。会社の期待を背負ったプロジェクトではあったが、社内にはネガティブな意見もあった。
クレンジングのステップを丸ごと省くことは、ある意味、資生堂がこれまで培い、提唱してきたスキンケアのステップを否定することにもなりかねない。営業部の中には難色を示す者もいたし、クレンジングを開発している部署からは、「本当にそのステップをなくしていいのか」といった意見が聞こえてきた。
プロジェクトメンバーも、最初から一枚岩だったわけではない。川上さんがマーケティング部門のメンバーに商品の説明をすると、「そもそもそんなニーズがあるのか」という声が挙がった。研究所の研究員はシーンと静まり返った。「本当にそんな商品が技術的にできるのか」という疑問からだ。
しかし、川上さんはへこたれなかった。
「お客様を呼んで、洗顔について生の声を聞く場をセッティングし、その場にプロジェクトメンバーを同席させて、一緒にお客様の意見をヒアリングしました。生の声を肌身で感じてもらうのがいちばんだと思ったから」
お客様に、普段しているとおりに洗顔してもらい、話を聞くと、「クレンジングで落とさないで、お風呂で顔を洗っているだけ」「24時間、化粧をしています」など、メーカー側が想定しなかった意見もたくさんあった。「枕が汚れませんか?と尋ねると、『気にしません』と(笑)」。
メンバーたちは、そんなお客様の生の声を聞いてニーズを確認し、商品を作る意欲が高まった。
■人の話を素直に聞くから、周りが応援したくなる
川上さんがプロジェクトを推進するにあたり心掛けたのは、リーダーシップではなく、フォロワーシップの仕方だという。
「まず自分の先輩や上司が納得しなければ、その先に波及していくことは絶対にないので、自分に近いコアメンバーにいかに納得してもらうかを考えました」
いきなり上からゴリ押しするのではなく、下から無理なく落とす。まるで「フルメーク ウォッシャブル ベース」のような技だ。
次に、技術的な問題。今までにないものを作ろうとすると、どんな技術が必要で、誰が何を得意なのかもわからない。いろいろな分野の得意な人を探していくところから始め、アドバイスをもらった。
マーケティング部門に異動して最初の上司となった藤沢冬子さんは、人の話を素直に聞けるところが、川上さんを応援したくなる最大のポイントだと語る。
「固定概念がなく、発想がボーダレス。人から言われたことを自分で咀嚼して学び取る吸収力と、アウトプットする力がある」
一方、攻めの部分も目撃したことがあるという。
「研究員が『そこはちょっと難しいかも』と躊躇したときに、彼女は『あれを使えばできるんじゃない?』と侃々諤々やっていた。彼女の攻めと研究者として積み重ねてきた自信を感じ、信頼と期待がさらに高まった」
始終、人の話を聞いているだけなのではなく、攻めるときは攻める。その強さがなければ、やはりリーダーは務まらない。
■強い意志が周りの人の心にドライブをかける
プロジェクトを一緒に率いたマーケティング部門の長野種雅さんは、川上さんの負けず嫌いなところを絶賛する。
「われわれメーカーは、お客様に買いたいと思っていただく気持ちに勝負を挑んでいるわけで、社内程度の圧力に負けるぐらいだったら、世に出しても勝てない。彼女は自分の強い意志を持って取り組んでいた。その気持ちが周りの人たちの心にドライブをかけて動かしていった。社内に『なんかあの商品、スゴいぞ』『頑張ってやっていこうぜ』という空気を醸成し、盛り上げていきました」
こうして社内のさまざまな人を巻き込み、サポートを受ける力が「女前」だ。開発の試行錯誤を繰り返し、暑い日や汗をかいても化粧が崩れないか、川上さんはメンバーとともに実験台となった。
「夏場に汗だくになっても崩れません。汗って肌の表面に出ると30度ぐらいに冷えるんです。サウナにも何度も入って、メンバーとお互いに化粧が崩れていないか確認して、大丈夫と(笑)」
■仕事でいっぱいのはずなのに、遊びも家事も徹底
仕事も徹底的にやるが、遊びも徹底的にやる川上さん。前出の藤沢さんによると、「音楽好きで、会社の送別会などや同僚の結婚式などで、よく音楽のDVDを作っています。仕事でいっぱいのはずなのに友達思い」。長野さんは、「彼女とは会社のフットサルのサークル活動でも一緒です」と話す。
こんなにアクティブな川上さんだが、「家に帰ると急にスイッチが切れてしまう」わけだ。
プライベートでは7年前に社内の先輩(当時)と結婚した。「1週間分の食事を土日に作りだめします。スポーツのように一気に集中してやる」と、楽しそう。家事の9割を自分が担当しているという。甚だ余計なお世話だが、半々でいいのでは?
「夫に頼むのは、私が苦手なエアコンのフィルターの掃除などです。9対1でも、自分でそれを決めて、すごく苦手なことをお願いしているので、気持ちはウィンウィンなんですよ」
しゃくし定規に「平等」や「公平」にこだわらず、得意・不得意、決定権の有無といった軸を持ってくるあたりが柔軟。やはり「女前」だ。
現在は国際事業部アジアパシフィック営業部に異動し、アジア9カ国に向けて国内ブランド商品の海外展開を担当している。
「今までは商品に『思いを込める側』でしたが、今はアジアに『思いを届ける側』。ブランドに込めた思いをもらさずくみ取り、しっかり届けていきたい」
「女前」の情熱が、グローバル市場へ伝播していく。
(撮影:今井康一)