↓どっかのサイトから転載
「米粒をお茶碗に残すこと」に関する是非を問う話は、X(Twitter)でたびたび拡散され、議論が飛び交うテーマだ。
過去に話題になった「米粒をお茶碗に残すこと」に関する反応を見ると、基本的には「お米を残すのはよろしくない」という意見が多数寄せられるという点は共通している。
「よろしくない」とする根拠としては
・食材や農家の人への感謝の念が足りない
・親から残さないようにと教育を受けた
・お米の神様が怒る
・単純に食べ方として汚い
・洗い物が面倒になる
一方で、起点の投稿が拡散されるにつれて「なぜ米粒を残す人がいるのか?」という背景に踏み込みつつ
・残さない人が多数派だが、残す人側にもいろんな背景があるわけだから単に悪いことだと否定するのは危険
・「残す」「残さない」で人の優劣が決まる話ではない
↑転載終わり
↓こんな過激な意見も💦絶対って💧
きっと、『日本人の8割近くが、米粒残さない派』なんだと思います。
爆笑🤣
僕はご飯粒どころか、ご飯もお腹がいっぱいなら平気で残すタイプです。
自分の胃こそが大事、尊いので。
だから残すことに罪悪感は一切ないです。
だってさ、残さない人たちって、米粒は残さないかもしれないが、おかずはよく残すし、好き嫌いは激しい人が少なくない。
ましてや箸の持ち方が酷い人も多い😛
おかずは残してもいいが、偏食だらけだが、米粒は残しちゃいけないって😂
叔母加算ですか?
お初のお店のご飯は、異常な大盛りかもしれないよ😆
僕ね〜日本人の価値観って、戦後と戦前で180度変化していると思っている男です。
砂糖を料理に入れる唯一の国である日本ですが、それも戦後からだし、料理のさしすせその「さ」が砂糖というのも戦後の価値観。
生野菜を食べるのも戦後からだし、パンと牛乳を食べるのも戦後の価値観です。
日本の小学生が神社や七夕の短冊に、『億万長者になりたい』と書くのも戦後からです。
菅原道真公が学問の神様になったのも戦後です(それまでは意趣返しの神、呪いの神)
年賀状も大衆が利用し始めたのは戦後からです(戦後の安否確認目的)
つまり、
・食材や農家の人への感謝の念が足りない
・親から残さないようにと教育を受けた
・お米の神様が怒る
・米を残すと目が潰れる
とかは、間違いなく戦後の価値観でしょう。
戦時中に貧しくて米を食べられなかった人たちが、子や孫に、米の大事さを毎日毎日言い聞かせたからと思われます。
完全な洗脳なんです。
ガチガチの洗脳を宗教といいます。
そんな洗脳されたバカどもから、『米粒を残す人は絶対に許さない!』とか言われてもね笑
宗教狂いの人の意見は聞きません!
だいたい『絶対』とかの言葉を使う人というのは、偏って性格の悪い人ですから。
洗脳とは偏りなんですよ。
偏っているから、いつも人生が辛く苦しく、右往左往して、呻吟しているのさ。
この世には絶対善も絶対悪もなく、古今東西で価値観は大きく変化します。
こだわりは少ない方が人生上手く行くのは当然です。
だから、米粒残す男とは絶対に結婚したくないという洗脳された女性たちは、僕も『絶対』笑に付き合いたくないので、バカ発見器のようでで、分かりやすくてありがたいです🤭
よって、僕は今後も米粒を残して行こうと思います(つや姫や魚沼産コシヒカリは美味いから米粒残さない笑)