こんにちは。ぱどま軍曹です。

 

このブログで度々出て来るテーマの「エライ人になりたい」というのは

 

まぁ「成功したい」「チヤホヤされたい」というのがくっついているわけです。

 

この後ろには「怒られたくない」「嫌われたくない」というのが必ず存在するので

結構本人にとってはシリアスな状況と思ってしまっているのです。

 

 

苦しい時は、固くなり、緊張し、息をつめてしまうように

 

体に力が入ると周りの状況が感じにくく(見えない・聞こえないなど)なってしまうので

それだけエネルギーを消耗してしまいます。

 

これは感受性によるものですね。

 

感受性が高いというのはのは大事な事ですが

 

その感受性をネガティブな意識で使うのか、それともポジティブな意識をもって使うのか。

 

それ次第で

怒られたくない、嫌われたくないを超えた「他者への敬愛」という意識が持てるのでは、などと考えるでくのぼうですウインク

 

ただそれには

どうしても苦しくて、熱い、燃えあがる「門」を通らなければなりませんね。

 

自分はこの程度の者である。

取るに足らない存在である。

 

なんとも下衆野郎である。

 

なんとも弱虫で、小さくて、そのくせ自己中心的な思いにとらわれている。

 

そんな最低な存在の自分を赦す事が出来たら。

 

そんな最低の存在の自分を受け入れる事が出来たら。

 

これを認めるのは身もだえする苦しさです。

 

思考だけでするのは簡単ですが

本当に実践しようとすると

 

人間には無意識にこれを避けるテクニックをごまんと持っていて

なんとか受け入れない状態に持って行ってしまうのです。

 

それでもなんとかそれを苦しみもだえながら実行していくと

 

自分以外の存在がいかに尊いか、素晴らしいか

最悪な下衆野郎も、憎いあいつも自分を恐ろしい目にあわせたあいつも、そして極悪非道な殺人鬼も

 

素晴らしいと 尊いと

思えるのでしょう。

 

 

私はまだまだ自分を赦せません。

あいかわらず潜在意識の罠にはまり、いつのまにか苦しみを避けようとする事も多々あります。

 

 

だから

憎いあいつも下衆野郎も殺人鬼も

まだまだ受け入れることも出来ません。

 

 

 

・・・・・・今はそんな自分を赦したいです。

 

ダメ人間になるのもツライね照れ

 

つづく

南インド・タミル・ナードゥ州 マルトゥヴァマライ(薬草の生える山の意)