家族の宿題を見ていました。
算数のドリル。
下の方に掛け算のヒントが書いてありました。
例 3×0=0 0×3=0
3に0をかけても
0に3をかけても
0にしかなりません
3に0をかけても
0に3をかけても
0にしかなりません
算式で当たり前のことなのですが
数字ではなくて日常生活に当てはめてみると
例えば旦那さんが何かをしてくれていたとしても
そこに自分が0の視点を持っていれば
0だから何も見えなくて
いくら旦那さんが頑張っても見えないし情報として入らない。
私の基準、理想【こんなふうに♡】があってそれを満たしてないよね?ってなる。
だから認めない🟰見止めない。
見て、止めない。見れない。そして
【ダメな旦那さん】
【役立たずな旦那さん】
【できない旦那さん】が
出来上がる。
書いていて恐ろしくなりました…笑
👨が買ってきてくれたお土産♡
あるいは、私はダメ(欠けている)、0、だと思っていたら何を掛けてもダメ、欠けている、0の仕上がり。
【私は存在しているだけで人を喜ばせたりできない。何かを与えないと価値がない。頑張ったら認めてもらえる。】と心の奥底で思っていたとしたら、その思いが原動力となって動くので0の私がずっと動いていることになる。
本当は旦那さんや家族や自分のこと、世界のこと、人間関係のこと、どう思いたい?
私は【最高♡】って思っていたい。
まずは1(在る)を、存在を、認めていたい。
いてくれて(在ってくれて)それだけでもう最高!というデフォルトを。