温泉博物館に入るとまずは漆黒の下呂石がお出迎え。これは湯ヶ峰の噴火で生まれた流紋岩で、黒曜石ほど光沢はないけど鋭利なガラス質で、石器時代から弥生時代まで石器に使われました。交易品として遠方にも流通したのだそう。
( * ̄▽ ̄)v- 流紋岩は火山活動で生まれるもので、下呂温泉は湯ヶ峰の地中深くのマグマが冷えきらず熱源になってるんですね。平安時代の延喜年間(901~923年)から天暦年間(947~957年)の頃に湯ヶ峰から温泉が湧いたのが始まりで、鎌倉時代中期の文永2年(1265年)に湯源が益田川の底に移ったそう。湯治場として最も栄えたのは江戸時代の半ばからで、↓これは伊勢国から訪れた湯治客が温泉寺に奉納した絵馬。やはり殆どが長期滞在客だったとあり、裕福な人だったのかなぁ。
そして下呂温泉の隆盛を支えた担ぎ棒と桶。電力やポンプが普及する前の昭和初期まで、人力で温泉の湯を運んで宿で沸かしてたんですね。
当時の写真も展示されてます。「年がら年中 どんな天気でもきれいな湯を担いで運んでいた」とあり、とても大変だったのだなぁ。腰や膝を傷める重労働ですね。
白鳥は見えない水面下で必死に水を掻くと言うけれど、優雅に水辺を歩き空を舞う白鷺に象徴される下呂温泉の歴史は知ろうと思わないと分からないですね。なまじ近いので知らなかった事がたくさんあります。
これはレプリカだけどホラーテイストすら漂う噴泉塔。温泉が作る鍾乳石のようなもので、含まれる炭酸カルシウムなどが積もり積もって塔のようになったものです。
これは石川県白山市の岩間温泉のもので、摂氏100℃の温泉が噴出するところで湯に含まれる石灰分がつくる「石灰華」の積み重なりなのだそう。鍾乳石みたいに見えるのは当たらずとも遠からずなのですね。
こちらはゴジラの皮膚みたいに見える噴気塔。これは湯でなく火山性のガスが噴出する孔にできるもので、ガスに含まれる硫黄などが堆積して生まれるそう。
下呂温泉ではそうした噴泉塔や噴気塔は見られないけど、温泉ならでは?な温泉スケールが展示されてました。これはもっと先にある新平湯温泉のものですが、温泉の湯を旅館などに送るパイプの内部にできる塊で、これも温泉に含まれる炭酸カルシウムなどの成分が固まったものです。
( * ̄▽ ̄)v- ここは温泉に関する書籍や温泉科学の論文、各地の温泉のパンフレットなどが自由に読めるコーナー。書籍はライトなものから専門書まで幅広いです。
トリビアもいっぱい。日本三名泉と三古湯は違うのだなと目からウロコ。最高温度はやはり九州なのね、火の国は違うわー。つげ義春氏の温泉めぐりはちょっと読みたい(笑) 地方のひなびた温泉宿が舞台の「ゲンセンカン主人」は怖いすよぉ。