わたしは、自分の病気について、4人ほどの友人に伝えました。


すぐに伝えることは、できませんでしたが、自分のなかで、整理がついてきたころ、入院するんだ、子宮頸がんなんだ、手術するんだと伝えました。


伝えるまえは、子宮頸がんだと言うことに、抵抗がありました。がんのなかでは、検診を受けていれば、防げるがんだからです。


また、ステージ(リンパ節転移)を言うかどうかも迷いました。ステージが重いほうなので、友人が対応に困るのではないかと思ったからです。


腫れ物扱いされるのは、嫌でした。


結果的には、友人たちは、受とめてくれ、自然に接してくれました。



人には、人それぞれの優しさのカタチがあって、静かに話を聞き、適切な質問をしてくれる人や、自分の親も子宮や卵巣を取ってるけど元気にすごしているよと同じような症例を出して励ましてくれる人もいました。


どの優しさも、有難いと思います。


何かの書籍の受け売りになりますが、誠実すぎると、何も言えず、何も行動が起こせなくなるものだといいます。やや自分本意なぐらいが、人の心に寄り添うときには、いいのかもしれません。


有難いことに、優しい言葉を与えて貰うとき、わたしの場合は(多くの人もそうかもですが)、嬉しく頂戴するけれど、自分の中で選別、消化します。

言われた言葉をそのまま受け入れてしまうと、自分の中で痛みを伴うことがあるからです。

与えてくれる人とわたしは違う人間で、(経験値、価値観、環境などが異なる)、わたしはわたしでしかないから、わたしに合わないものは、側におくだけに留めたり、美味しくなるように調理してから頂いてみたりします。


言葉が人を傷つけると言っているのでは、ありません。励まされますし、共感してもらえることは、とても嬉しいです。



友人の中に、乳がんの人がいます。リンパ節転移までしていました。がんの部位はわたしとはちがいますが、死の恐怖を味わい、手術、抗がん剤、放射線の辛さがわかる人です。その友人も再発を恐れています。

わたしはその友人の存在にずいぶん助けられました。理解してもらえていると思えるのです。


その友人も、朝起きると、ああ生きていると感じると言っていたり、死を身近に感じると言っていたりしました。


わたしと、同じように苦しみ、悲しい思いや辛さを感じたのだろうと、思いました。