その猫は、ある家の縁側の向こうからじっと見ていた。

 

 その猫は少しも目をそらさなかった。

 

 その猫は、人間である自分を恐れなかった。

 

 その猫は、きっと自分の死も恐れていなかった。

 

 その猫は、自分のなすべきこと、これから自分に起こることを知っていた。

 

 その猫には、時間の概念がなく、ただ時の過ぎるのを俯瞰していた。

 

 その猫は、当たり前に起こることを、当たり前に思っていた。

 

 その猫は、感謝、憎しみ、焦り、どの表情もない清張なまなざしで、ただ私を見つめていた。

           

 

 その猫と散歩中の自分が向かい合ったのは、父が死ぬ前日のことだった。

 

 そのとき父の意識は病床の上で失われ、遠いところにあった。

 

 そして、翌日の夜に、父が危篤である電話を受け(そのときは心停止していたのだが)、父の死を受け入れないわけには行けない宣告を受けた。

 

           

 一か月を過ぎた今、もう涙の乾いた自分は了解した。

 

 ・・・自分をじっと見ていた猫が、父そのものであったことを。

 

 ・・・父の魂が、その猫の目を通して、私の生きざまを見つめていたことを。