先日の、ルートイン南アルプスの一番風呂制覇に続き、発作的に別のルートインを予約した。コロナ禍と、父母の介護という制約の元、在住の山梨県内ならいいであろうと、ルートイン上野原に行くことにした。

        

 ルートインのチェックインは15時である。とっさに、甲府南インター近くの介護施設にいる父親と面会することを考えた。5分もしないでICに乗れる場所だったので、14時に施設に寄って、父の顔を見ておきたかった。先日転倒して顔に青あざを作ったことも聞かされていたからである。

 

 早く出たので、途中スーパーやコンビニで時間をつぶしながらも、13時50分に介護施設についた。職員に訪問の旨を告げると、

「今、××さんは、入浴していますが。」とまったりとしたことを言われる。

「え? 午前中に入浴と聞きましたが。では、明日でもいいです。明日の午前中も来られますから。何時がいいでしょう。」自分は、少し焦りながらそう言葉をつなげた。

「いえ、もう服を着ていますから、もう少し待っていただければいいと思いますよ。」しかし、職員は淡々とその提案をかわした。

       

 (14時過ぎには甲府南ICに乗って、15時少し前には上野原ルートインに入る。そして、その勢いで一番風呂に。)そう時間の算盤を、はじいていたのである。しかし、ここでの待機時間10分、面会時間5分を費やせば、ほぼ「一番風呂」を逃すことになる。そんな葛藤が、即座に起こった。ゆっくりと明日、父と面会することの方がいいとも思った。

 

 が、結局自分は10分待つことを選択した。

「では、待たしてもらいます。」自分は意に反して、そう答えていた。たった10分くらいも待ないはずはないだろうという職員の雰囲気が感じられたからである。

 

 介護施設で不意に、10分以上の足止めを食らい。『一番風呂』などという卑俗な闘争心を抹殺できる口実を得て、自分はむしろ安心した。

 

14時ちょうど、老いた父は施設南側のベランダに臨む、共有スペースに車いすに押されて現れた。

 

 「元気かい?」しかし、入浴後の心地よいトランス状態に入っているのか、父の目が開かないのである。網戸越しなので肩を揺することもできず、室内にいる職員の肩に起して頂いても起きない。右目は、先日転んだという内出血で青あざに覆われ、半パンダ状態になっているが、それは電話で聞いたより軽微なあざという印象で何ということもない。

 

 「おやじ、げんきか?」・・・繰り返し、何度大声で話しかけても反応しないのである。

父は車いすで昏睡を続けているだけであった。

 

 結局無駄な問いかけで10分近く消費した。父のこんな様子にかかわらず、「一番風呂を逃したな。」という失望感を意識している自分が浅ましかった。

 

 

 「明日、また来ます。色々ありがとうございました。」翌日また訪問できる口実を得たことを良しとして、自分はまた車上の人間となった。ところでカーナビを見ると、上野原ルートイン到着時間14:55着とある。再び、自分は色めきだした。

「まだ間に合う可能性があるということだな。」と思った。それにしても、なんという微妙な時間であろうか。

       

 スピードを上げて笹子トンネルを抜け、大月ジャンクションを過ぎ、談合坂SAを通り過ぎた後に、しかし車は不意に渋滞にはまった。そもそも自分には、5連休の4日目という意識がなかった。Uターンラッシュの本体に合体したのだ。そうだ、今日はもう5月4日なのだ! 一日くらい余裕を見て帰ろうとする車やバイクは、連休の前日の午後に帰る。そう気づいたが、もう手遅れだった。

渋滞中の周りの車は、八王子、熊谷、杉並、品川、湘南、千葉、練馬ナンバーなど、県外車で囲まれていた。

       

 渋滞の中で時間がみるみると過ぎ、15時を超えて、15時30分になった時点で自分はすっかり脱力していた。

「これで大風呂は絶望だ。なあに、部屋風呂でも今日はコンビニで100円もした入浴剤を買っているのだ。」そう開き直ると渋滞をむしろ、新鮮な体験として好ましく、くつろいだ時間として感じることができた。

 

 さらに自分には、安心感があった。「どうせ次の上野原ICで降りる。途中でトイレに行きたくなったり、この先のICでの合流で不愉快な気分になることはない。」

自分は、ご丁寧に連休最終日の前日午後に、東京方面に向かって車を走らせている愚か者だと、自らをむしろ滑稽に思える余裕も出てきた。

 

 渋滞のまま5kmほどノロノロ運転を続け、ようやく上野原ICから降りた。一般道で国道20号線沿いのルートインに向かうと、国道と中央高速道路を結ぶ線も、抜け道を探す車で一杯であった。

 

 

 ルートイン上野原へのチェックインは、16時になってしまった。観光地でもない旅館でも、駐車場は混んでいた。やはり近場でも、リフレッシュに人々は出かけたい気持ちは、自分と同じだと納得した。

 

 プラス400円でダブルの部屋を取った。ささやかな贅沢である。いかし、その贅沢はしょせん枕と歯ブラシが2セットある程度の結果に終わっていた。狭い部屋を見ながら「しょせんビジネスホテルはこんなもんさ。」と独り言を言いながら、旅装を解いた。

 

 しかし、やはり大風呂は気になるものであった。これは性癖のようなものである。「第一陣が入浴した後の、空白時間だってあるかも知れない。」そう思いなおすと、自暴的にタオルをもって浴室に急ぐ自分を見出していた。

  エレベーターにのり、引き返す場合にバツが悪くないように、フロントから見えない壁伝いに進み、大浴場の暖簾をくぐって、自分は恐る恐る扉を開けた。

 

「トラトラトラ!(我奇襲に成功セリ)」

        

それは奇蹟であった。靴脱ぎ場にはスリッパもなかった。自分は心を躍らせながら、すばやく服を脱ぎ、浴室に滑りこんだ。

 

 さらに奇蹟が起こった。洗面所のシャワーホースの巻き方、洗面器の置き方、浴場の床に広がったせっけんの無さ。いずれも自分が、この日の『一番風呂の征服者』であることを示していた。

 

「トラトラトラ!(我奇襲に成功セリ)」

 

 自分はゆったりと湯船をたゆたい、体を洗い、もう一度湯船に戻り、脱衣所に凱旋した。

 

世に奇蹟と言うものがあるならば、チェックイン後に、自分に1時間と言う猶予をくれたのだった。それから、夕涼みがてら上野原の街を歩き、適当な和食店に入った。予約専門という看板にも関わらず、たった一つ残されたテーブルに自分は通された。そこで芳醇なロース定食とビールを食らった。実においしかった。

     

 ホテルに戻りながら、甲州街道の古びた痕跡を探して、旅情を感じながら宿舎に戻った。駐車場はいよいよ満車になり、多くの人がラウンジや一階のレストランにたむろっていた。

 

キーをもらうとエレベーターに乗って部屋に入り、自分はベットに倒れこんだ。あとは部屋に運び込んであるビールとつまみを食らい、寝てしまえばと思った。しかし、その時、ある啓示がおりてきた。

 

「今は、18時過ぎの夕食後の時間の一番大風呂が込みそうなときであるが、『真空現象』が起こるかも知れない。」

 

直感を頼りに、心臓の鼓動を高まらせながら、だまされたつもりでタオルを手に掛け、浴室に向かうとスリッパは1つもなかった。

 

「トラトラトラ!(我奇襲に成功セリ)」

    

 自分は快哉を叫んだ。軽く体にシャワーをかけると湯船に飛び込んだ。4往復程度だが、クロールと平泳ぎなどで遊泳した。緑がかった浴槽の湯の中で、「完全なる勝利だ」と酔い、歓喜の踊りをもう一度湯の中で舞った。

 

 心を静めて部屋に帰ると、改めてビールの缶を開けた。上野原の夜は窓の外で静かに更けていった

 

*                   *                *

 

 翌朝、6時45分にバイキングを済ますと、父のことが気になりだした。本当は朝風呂にも入りたかった。しかし、朝食会場から出るとき、何人かが浴室に入っていくのを見てその気は無くなっていた。

 

 介護施設の開所時刻の8時30分に電話を掛けると、10時なら再び来てもらっても構わないとの答えだった。

確かに昨日の父の反応は気がかりだった。意識耗弱とした中で、うっすらと目を開いた父の姿は普通ではなかった。

 

 ルートインを去って、閑散とした街を通り抜ける。中央道に入ると、下り線はさながら自分の車のための専用道路だった。時々、著しく遅い車を追い越したり、著しく速い車が追い抜いていく以外は、快適で静穏なドライブを楽しんだ。

 

 9時50分に父のいる施設に滑り込む。コロナ禍の時に、網戸越しに直接話をさせて頂けるとは寛大な措置である。ベランダ外に2つのオレンジ色の椅子を用意していただく。

      

 しかし、10時10分を過ぎても父は降りてこなかった。

「きっと寝込んでいて、起きるのに時間がかかっているのだろう。」と自分に言い聞かせながら、なぜか不安の気持ちが高まってきた。上野原では朝晴れていたが、甲府に近づくにつれ次第に曇りがちになり、肌寒い風が吹くようになっていた。その冷ややかな風の中で、いやな予感を覚えながら玄関に立っていた。

 

 やがて、恰幅の良い担当の女性の看護師さんが玄関に降りてきて、

「今、お父さんは起きようとして、また『てんかん』を起こし1分くらい痙攣していました。その後、5分くらいたっても意識が戻りません。ちょっと、見に来てもらってもいいですか?」と心配そうな面持ちで告げた。

 

 2階の父の部屋に入ると父は、青ざめた顔を横にしながら、目を閉じたまま唸り声をあげ、嘔吐感があるのか、口を盛んにふくらましたり、すぼめたりしていた。そこには既に、施設にいる3人の看護師さんが、血中酸素量や血圧を測りながら、父の肩を揺すり意識を戻させようとしてくれていた。

 

「息子さんが来ましたよ。**さん、目を開けられますか?」

「おやじ! しっかりしろ!」自分は額に手を当てたり、手を握ったり、肩を揺すりながら父に叫び続けた。

     

 

 救急車は速かった。なにより信号による停止がない。対向車線を通る時もある。・・・などと、とこんな時に、感激してどうなるのかと思いつつ、自分と父は病院に救急搬送されていた。

       

 処置室に父が担ぎ込まれてから、待合室で待機しながら自分は自嘲した。

・・・何が「トラトラトラ(我奇襲に成功セリ)だ。たかが、宿泊施設で一人で風呂に入ることだろう! 今のざまをみろ。

 

「××さん、××さん」、処置室から甲高い看護師の声が聞こえる。

その合間を縫って時々、人形浄瑠璃のような、父の嗚咽の声が聞こえる。

 

 父の認知機能を著しく低下させたのは、度重なる入院によるせん妄だと思っていた。だから、さらなる父の入院は避けたかったのであるが、反面、今日の介護施設での「てんかんによる意識不明状態」を見れば、入院を拒むことはできない状況だった。

      

 父はもう、この病院で何も入退院を続けている。いつも同じ入院証を書き、パジャマと下着と紙おむつのCSセット、認知症による結束の許諾書などを記入する。悲しいことだが、さすがに慣れてしまっている。

 

 父は他人の前で恥をさらすことを、極端に嫌っていた。自転車で買い物から帰る時も、裏道の小路から忍び込むように家に入った。町内会の寄り合いの時、「トイレに行きたい」などと言って、中座して逃げ帰ってきた。宴会の時も、ひそかに浴場に行き、最後の締めが行われる前にこっそりと席に戻るなどしていた。(それらは全て衆目の知るところとなっていたらしいが。)

 

 そんな父の羞恥心は、ホテルの一番風呂を狙う自分に現れている。畢竟それは自分の羞恥心から得ているに違いないのだ。

 

 その父が今、何という姿なのだ! 病院の大勢の中を担架に乗せられ、人形浄瑠璃のような声を上げながら、会計、待合所を経て、衆目の視線の中、処置室に運ばれていく。

 

「一番風呂を果たし、散歩後の単独入浴を果たした。」自分にとっても、父のその叫びは、この浅ましい興奮への警鐘なのか。

 

 いや、そう今考えても、また次にどこかのビジネスホテルに泊まるときには「一番風呂」を気にしているに違いない。そんな卑俗な心の動きを、自分は正確に予想できる。それを個性だと割り切るには悲しすぎることであるが、死ぬまで、この卑俗な心は治らないと思う。