愛の波動に導かれたあなたへ







こんにちは

愛の波動に導く先導者

愛の女神  響姫(オトヒメ)です







静岡県富士宮市

山宮浅間神社に行ってきました







この神社は、富士山そのものを

神として拝む富士山が御神体の

神社になります







山宮浅間神社
御祭神
浅間大神(あさまのおおかみ)
木花之佐久夜毘売命
(このはなさくやひめのみこと)



山宮浅間神社は、

富士山本宮浅間大社の社伝によれば

紀元前270年に、垂仁天皇が

浅間大神(富士山の神)を山足の地に

祀ったことに由来する


西暦110年

日本武尊が浅間大神を現在の場所に

遷すことで、山宮浅間神社が成立した

と伝える


806年に征夷大将軍の

坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が

浅間大神を大宮の地

(現在の富士山本宮浅間大社)にうつす

事で、里宮に対する山宮(元宮)となった



境内には、社殿はなく

富士山そのものを神として拝むための

遥拝所があり

古代からの富士山祭祀の形が今も

残っている



















ここで、1度お参りします✨✨✨












参道の鉾立石











遥拝所の石列は
江戸時代に書かれた書物
「駿河記」や駿河資料に
「山宮浅間神社とは、社殿はないが
石壇や鳥居などある
神が鎮座する所の中心には榊を植えて
ご神体の石を安置しているとあります」

「浅間神社の歴史によると」
この石礎は、今も現存する並石(石列)
というとあり、江戸時代より遥拝所
には、石列があったと考えられます

またここには、山宮御神幸の祭事に
参列する本宮(富士本宮浅間大社)の
大宮司(だいぐうじ)以下の社人(神官)
供僧(ぐそう)社寺の僧侶などが着座し
並ぶ配膳を区画したものだと記されて
います

この石列を囲む玉垣は、
昭和5年(1930年)に建設されたもの
ですが、平成25年(2013年)に実施された
発掘調査では、玉垣の西南(正面)
側下部において、石列が2ヶ所
(石列1、石列2)で確認されています
この2ヶ所の石列は、玉垣内の石列と
同質の溶岩を使用しており、ほぼ同時
に配置されたものだと考えされます













遥拝所は、長方形の玉垣で囲まれ
南北152m、東西7.6mの大きさを示す
その中には、30~40cm程度の溶岩を
用いた石列によって区分されている

富士山を拝む方向に祭壇が位置し
祭壇に向かって左側に祭壇を行う際の
大宮司(だいぐうじ)席、公文、案主席
げんせんじょが向かって右側に
別当(べっとう)、供僧(ぐそう)が
設けられている
遥拝所の周辺には、約45cm四方に
区画する石墨が見られる




(パンフレットより)





こちらは、2年前に来た時のもの
なぜ、社殿を作らないかなどの
説明書いてありますので
こちら、お読み下さい💖

















響姫から一言

・社殿を作らず

    富士山が御神体の所は

    この山宮浅間神社だけです

    とても有難い貴重な場所です✨✨

    



・土日に行くと、案内所の方が

   一緒に参拝しながら、説明をして

   くれます♡




・富士山が雲に隠れている日でも

    この場所は、パワースポット✨✨

    神聖なエネルギーがしっかり

    流れています


・宇宙と繋がる場所です♡









古代から沢山の人々に

祈られている

古(いにしえ)の祭祀場所




富士山に

日々の感謝を伝えに

行ってみて下さい💖






あなたは

愛と光の存在です💖










読んで頂き

ありがとうございます

感謝していますドキドキ