愛の波動に導かれたあなたへ
こんにちは
愛の波動の世界に導く先導者
愛の女神 響姫(オトヒメ)です
静岡県沼津市にある
玉造神社と玉砥石を
見に行ってきました♡
延喜式内 「 玉作水神社 」
この神社は玉作水神社として
神社名鑑に載ってます
延喜式内神社として1000年以上を
経た由緒ある古社
3種の神器の1つ
「八尺瓊勾玉」
(やさかにのまがたま)
を作った神様です
玉造部族は、朝廷に貢納する
丸玉や服飾用の匂玉を造っていた
古代において祭祀用に欠かす事の
できない重要な役割をもった氏族
玉造郷は、平安朝初期
伊豆と駿河の国境として
狩野川の辺り、香貫山麓一帯を指す
玉造部氏族が住んでいた集落跡と
言われています
玉砥石 は、今から1200~1300年前に
玉類を磨くために用いられた砥石と
伝えられています
柱場の二つの大石にそれぞれ
直線的な溝があり、ここに玉の原石を
入れて磨いたと考えられています
931年~938年に書かれた
和名類聚抄という書物には、
駿河国駿河郡(現在の駿東郡)に
玉造郷の名があり
この玉造郷は、香貫地区一帯で
あったとされています
根拠としては、狩野川対岸にある
玉造神社と玉砥石が使われたと
考えられる時代の大集落である
御幸町遺跡や藤井原遺跡があります
また、この付近には古墳 が多く
各種の玉類を数多く出土しています
しかし、香貫一帯が玉造郷であると
いう確かな証拠は、今のところ
得られていません
この玉砥石がいつから
東海道の日枝神社参道脇のこの地に
あるかは明らかではありませんが
1786年、
尾張藩士高力猿猴庵による
見聞図集にはそれらしい大石が
描かれています
玉砥石は、静岡県では
他に、発見されておらず
貴重なものであるのは、確かな事
静岡県指定の考古資料となっています
一里塚公園
江戸時代に築かれた
江戸から数えて29番目
およそ30里の一里塚は
日枝神社の旧参道入口にあった
現在は公園として整備されています
江戸時代の初期、幕府は
交通政策の一環として主要街道の
整備を行い従来の
1里=6町を1里=36町に改めた
そして、街道1里ごとに道路の両側に
塚を築き、その上に榎や松を植えて
旅人の標識とした
里程標(りていひょう)という
唯一の一里塚跡であり
江戸から、この一里塚までの
距離は、30里9町ある
ここに植えられた榎は
つい近年まで残っていたが
枯死してしまい、新しい立木に
植え替えられた
響姫から一言
玉造神社は、鳥居をくぐると
目の前が道路が嘘の様な
しっかりした結界が張られていると
感じました
大正13年に境内が発掘され
本殿地下から玉石が30個
発見された!
現在本殿にそのうちの6個が
祀られているらしいです?!
エネルギーは、穏やかさと凛とした
清々しい神社でした💗