離婚後、共同親権と単独親権が選択できる民法が国会で成立した。選択肢が単純に増えたという考えに立てば、好ましい改正である。私も共同親権それ自体を否定するつもりはない。単独親権を従来通り選ぶこともできる。一足飛びに離婚後共同親権を原則とした法律ではない。改正の眼目はあくまで共同親権を選択できることである。共同親権となれば父母双方の愛情を子が受け続けられ好ましいと考える。親の養育責任の自覚を促し、今以上に好ましい養育を実現できる。建前はこうである。ごもっともである。

 一方、そもそも離婚すると言うことは共同して何かすることが難しいから離婚するということが多い。生産的な話し合いができない夫婦、父母が離婚後に共同して生産的に親権を共同して行使できるであろうか。これまた、その通りですねと言いたくなる。生産的な話し合いができない夫婦、父母は単独親権を選択すればよい。そういうことを考えているのだろう。

   しかし、家事調停を見てきた者からすれば、話はそう単純でない。単独親権者に指定されることを主張して譲らない。そういう調停が結構ある。新制度になったからと言って、事態が軽快するとは思えない。面会交流を認めない母親に親の資格はないとして父親は単独親権を求める。養育費を払わない父親を親とは言わないとして母親は単独親権を求める。共同して親権を担えない以前に、とちらが単独親権者になるかで大騒動である。

 双方の意見が対立して、にっちもさっちもいかない場合、家庭裁判所に判断を委ねられる。今回も同じく解決は家庭裁判所に委ねられる。構図は変わらない。だから、同じだよとでも立法府は言うのだろうか。事態はより複雑な方程式になって持ち込まれる。

 家庭裁判所は全能の神ではない。自嘲していえば、家庭裁判所は便利屋ですねということになる。便利屋ならば商売繁盛である。しかし、誤解されることを承知で言えば、家庭裁判所に特効薬はない。家庭裁判所が何かを決めればめでたしめでたしではない。けだし、その決定が適切であったとしても、それを実行するかどうかは父母に掛っている。父母が決定を守らなければ家庭に平和は訪れない。家庭裁判所にはせいぜい現状を悪化させない「当面の処方箋」は作れるかもしれない。

 しかし、一旦こじれた場合、その決定を適切な軌道に戻すための履行勧告制度には期待できない。書面勧告に毛が生えた程度の調整しかしないのだから、お話にならない。もう一回調停を申し立ててくださいというのが現場の運用である。履行勧告で丁寧に調整をすると上司から指導を受ける始末である。本来、調整として生まれた履行勧告が極めて形式的な書面処理になっているのが実態である。つまり、現状では再度の調停申立てしかよい方法がない。特効薬もアフターサービスも覚束ない。

 家庭裁判所の責任者は裁判官である。一方、縁の下の力持ちは家庭裁判所調査官である。家裁調査官の人員は一つの県に10数名しかいないところもある。数も足らなければ、待遇もお粗末である。予算もなければ人員もいない。家庭裁判所調査官は総合職であるが、名ばかりで、初任給20数万円で約3年ごとに北は北海道、南は沖縄の離島までの全国転勤を命ぜられる。今時それを許容する若者がどれだけいるのか。当局も頭を悩ませている。家庭の平和を守るべき家裁調査官の家庭が危うい状態である。家裁調査官の未婚率も年々高まっている。家庭を持てば家庭や子どものことが分かる程、単純なものではない。一方で、可能ならば、当事者は家庭を一度は持ち、子育て経験のある家裁調査官に担当してほしいと願う人もいるのではないだろうか。今の異動政策では家庭を持つことも容易ではない。

 2024年度の国家予算が約90兆3,000億円。防衛省単体の予算が約7.7兆円(国家予算の8.5%)、裁判所の予算が約3,200億円(国家予算の0.35%)。三権分立として司法権が十分発揮できる状況にあると言えるだろうか。自衛隊で国の備えをするなら、家庭の備えをする家庭裁判所の予算も変える必要がある。裁判所の総人員は約25,000名。家裁調査官は約1,500名(6%)。裁判所予算に占める人件費は約8割だが、家裁調査官を2倍に増員しても153億円(3,200億円×6%×80%)すなわち、国家予算の0.0017%にしかならない。令和6年の定額減税は約5兆円だが、政府が国民に還元するのも良いが、必要な人員を手当てすることを忘れないでほしい。こども司法に掛ける予算は「子育て予算」の一種と言える。

 昔を懐かしむわけではないが、家庭裁判所調査官を例に取れば、家庭裁判所創設当時、時のトップは「ゆくゆくは家庭裁判所調査官一人に一つの執務室。一人に一台の庁用車を持たせる。落ち着いた環境で執務に当ってもらう。すぐに出張調査できるように車を持たせる。期待してほしい。」と訓示した。ところが、実際は真逆である。今は大部屋に20名近くが密集して執務するのも珍しくない。出張は公共交通機関優先で庁用車利用は優先順位が後。旅費計算に最安値を探し、旅費計算、出張計画書、出張命令書を全て自分で作り、裁判官に許可の印鑑をもらうという煩雑な行為をしなくてはならない。これでは、シンナーを吸入している少年宅へ急行するなど絵に描いた餅である。機動性が売りの家裁調査官も変わり果てたものである。以前は、家裁調査官室に会計課からバスの回数券が預けられて即出張も可能であった。しかし、金券を会計課以外で管理するのは不相当という出張の即時性を考えない理由で家裁調査官室からバス券すら取り上げられた。こんな理想と現実の落差の中で家庭裁判所調査官は働いている。

 話を戻そう。問題の全くない人間関係などないわけで、その時に再度申し立ててもらえば良いという考え方もなくはない。しかし、その間、饅頭のあんこになる子どもにとってそれで良いのか。私とて名案はないが、そういう名案が実はあるのだろうか。それにしても国会は思い切って可決したものである。

 離婚しても父母双方の責任で子を養育していこう。それ自体は間違っていない。私も賛同する。しかし、もう少し時間を使って、世論の動き、本当の現場の悲鳴を把握しつつ、国会審議を行ってよかったのではないか。そう思わずにはいられない。国会審議は一国会のみ。確かに以前から法務委員会や審議会では時間を取った論議が行われていた。しかし、種々の異論があり、名案がなかった法案でもある。国民への投げかけという点では決定的に不足していた。マスコミベースでは特にそうであった。政治資金規正法の裏金問題の陰で報道は単発的であった。しかし、婚姻件数の3割が離婚する時代である。裏金に劣らず、重要なテーマである。法案は可決してしまったが、国会で議論し直してほしい。現場は、とにかく善後策を考えるしかあるまい。

 私に聞こえてくる声に限れば、離婚した女性に新法の評判は悪い。離婚で平安をかろうじて得た女性たちが、何のために離婚したのかわからないと落胆と怒りの声を挙げている。そうであろう。面会交流や養育費の問題を共同親権下で比較的何とかクリアーできるのは、言い方は悪いが、富裕層などの専門家を頼るに経済的精神的余裕のある層に限られると思われるからである。世の中の大半の方々にとっては一大事である。国が全面的に物心両面で援助するのでなければ、混乱は必至である。

 家事調停では、養育費の要求額の数千円差で恨みの炎は再燃する。そして、過去の問題まで蒸し返されて議論は振出しに戻る。家事調停委員や家裁調査官、裁判官はその実態を痛い程知っているはずである。裁判所上層部は、家庭裁判所の優秀さを宣伝するかもしれないが、実際はそんな特効薬はない。裁判官も家裁調査官も、総合的に判断して、この線で行くしかないと割り切り、満点ではない解答を書き続けている。それが家裁の現実である。それは考え抜かれたものではあるが、万能の特効薬でも満点の解答でもない。

 これでは、離婚後監護講座受講後、数回の調停で合意に至らない事案は全件単独親権に決める。それくらいの割切った対応にしなければ、共同親権にした後に深みにはまるであろうという論者が出てくるのも理解できる。共同親権で先行する諸外国の法律だけでなく、実際の司法、行政、民間の運用の光と影を徹底的に調査し、学ぶしかない。そこには私の知らない妙薬があるかもしれない。私は自分の懸念が杞憂であることをむしろ期待したい。

 難題とパワーアップのチャンスを与えられた家庭裁判所がどう解決していくか。調査、調停、審判、新しい取り組みに、大いに期待したい。

 同時に、立法府と学者らは全力で裁判所を知恵と予算の両面でバックアップするのを忘れないでほしい。そのために年度予算に占める裁判所予算の多寡を述べさせていただいた。