日本フィル、渡邊暁雄指揮によるシベリウス交響曲全集が発売された。クレルヴォ交響曲は入っていないが、SACDによる高音質の決定盤である。待ちに待ったと言ってよい。

 私と日本フィル、渡邊暁雄との出会いは古く、1975年頃、地方公演のことであった。演奏会が大層風変わりであった。確か、田園、モーツアルトのピアノ協奏曲がメインだったと記憶しているが、最後にステージ上から楽員の「援助と応援」のお願いがあった。曰く「楽団は理由があって解雇されているが、私たちは存続したい。」とのことであった。後で調べると第九公演の前にストライキを打ち、楽員全員が解雇されていた。ストライキを打つ労働者(楽員)の勇気にも驚いたが、全員解雇に踏み切る使用者(民放)にも驚いた。けだし、存続を訴える楽員半分は日本フィルに残り、再雇用の裁判闘争に入った。一方、現状を受け入れて企業の支援を受けて新しい道を行く新日本フィルが半分の楽員によって立ち上げられた。日本フィルの存続、復活を求める楽員による演奏会がその地方公演であった。

 それから、年月が経ち、私は日本フィルの専属合唱団(日本フィルハーモニー協会合唱団)で歌っていた。素人でも受け入れてくれ、第九が歌えると聞き入団したふらちな団員であった。団は合唱好きの集まりと日本フィルの応援団という二つの性格を持っていた。団員には官僚、学者、弁護士、教員、一流企業の社員、自営業の方、主婦と様々な方がいた。その多様な人脈は素晴らしく、井の中の蛙大海を知らずの私はとても刺激になった。その合唱団の指揮者が渡邊暁雄先生であった。

 渡邊暁雄先生(愛称アケさん)は、上品が持ち味であった。しかし、言葉は上品だったが、音楽的なことにはしつこかった。合唱団は素人だからまだ優しくしてくれた。しかし、楽団には違う。東京定期演奏会で第九を弾く本番当日のリハーサルのことである。舞台裏で合唱団は出を待っている。しかし、いつまで経ってもリハーサルが始まらない。なんと、本番当日のリハーサルで、アケさんはオケに分奏の指示を出す。第三楽章の終わり10小節位を30分以上掛けて繰り返し指導する。もう、会場のドアが開く時刻はすぐなのに、その執念とこだわりは並ではない。あの上品に見える声と姿からは思いも寄らない。これが音楽監督の矜持かと思った。

 不思議なことは続く。ハウスデリッシュコンサートという冠コンサートがあった。ハウス食品が提供するコンサートである。チケット代は格安で帰りにハウス食品からお土産にバーモントカレーなどをもらえる販促コンサートだ。確か、日比谷公会堂で催された。暇だったので、帰りに寄っただけのコンサートであった。こういうコンサートは手抜きが普通である。お客もコアなクラシック音楽ファンはいない。ところが、猛烈な名演だった。アンサンブルと言い、技術と言い、気合と言い、完璧である。このオーケストラはどこかおかしいと思った。呆れるほど驚いた。種明かしがある。その前後にドヴォルザーク作曲「新世界から」を録音している最中だった。彼らは録音に完璧を求めるべく、一切手抜きなしの勝負に出たのだった。この日も練磨を続けていたのだ。

 この時期1981年に、シベリウス交響曲全曲チクルス演奏会と並行してこの全集録音はなされた。7番は同時期にアケさんが振ったヘルシンキ・フィルには及ばない。2番も弦の薄さが気になる。不思議なことに、4番という難曲が素晴らしい。細かいことを言えば、あれこれある録音ではある。しかし、当時の日本フィルとアケさんを知る者にとっては常識の通用しないこのオーケストラの特徴を細やかながら表わしている全集である。今の日本フィルでもう一度振ってほしい。左手をくの字に曲げて下から上へ跳ね上げる。右手は上から下に下げて交差させる。得意のアケさんの指揮が見たい。


 

日本フィルハーモニー交響楽団 (japanphil.or.jp)