夫は結婚してから常に

「子供の教育については子供が生まれる前からしっかり
勉強するように。」

ということを私の責任として課してきました。

それでいろんな本を読んだりしたし、講座を受けたりも
しました。
いつかこの学びが役に立つ日を信じて。


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2007年12月30日の記事より


 

妊娠することなく一年を終えてしまうのですが、

去年ほどの悲壮感はありません。当然、歳もまた一つ増えて

妊娠率も下がる一方ではありますが・・・・。

開き直りに近いんでしょうかね(笑)


もちろん、去年から今年にかけて結婚した人たちが

やはり続々妊娠・出産し、私と同時期に結婚した人たちが

二人目を妊娠・出産していっているわけですが、

今の私に「なんで私だけ・・・。」という気持ちはほとんどないです。

今年の3月に結婚した義妹は現在妊娠6ヶ月目。

たまに複雑な気分にもなりますが、私は今自分らしく

生きることで自分を取り戻していると思うし、今しか出来ない事を

頑張り続けたり、将来に備えることで充実感を得ています。


今のような気持ちに至るまで長い時間がかかりました。

途中でまったく無気力な状態になり、何もしたくなくてぼんやり

してしまう日々があったり、好奇心のアンテナが全く動かなかったり

自分はどうしてしまったんだろう??と困惑する時期もありました。

暗いトンネルをずっと歩いているような焦りと不安・・・・。

でも今は違います。

仕事も10月に辞めました。冷え性の私にとってずっと座って仕事を

する作業は好ましくないと鍼の先生に言われたので・・・。

※鍼治療をやってた時期もありました。それもまた別の機会に

書きます。


またお稽古事は二つに絞りました。そして家に来てもらって

出来るものにして月1のペース。

このペースが私にとって今は一番無理なく

楽しくできるんです。自分の趣味の時間を持つって大切だなって

思いました。


そして幼児教育のセミナーを一年を通して受けました。

自分がどんな風に子供を育てていきたいのかどうあるべきかを

具体的なビジョンを描く助けになっています。子供の教育に関する

著書をいろいろ読むようになりました。

それによって今の私がどうあるべきかの発見をたくさん出来るように

なったんです。


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なんてことを書いて意気揚々と新年を迎えるんですが、
2008年も夏を過ぎたあたりからはパッタリできなくなりました。
精神的にまったくやる気が起きなかったんです。
やらなくては、という思いはあるのに全然行動できない。

病院のことや、友達の中で子供のいないのが私だけになり、

仕事もやめて社会との接点もほとんどない日々が過ぎ、
孤独感が増していました。

4年間勉強してきたけど、いっこうに実践できる日がこない。
学んでも使う機会がない。

そういう失望感が、これ以上の期待はしても無駄、
進んでも進んでもゴールは見えない。
それでブレーキを踏んで止まってしまったんです。
その足を右に移動させてアクセルを踏むことが出来ない。
ブレーキ踏みっぱなしみたいな状況です。

将来、私の育てる子のために、という思いで勉強してますから
もうモチベーションがないんです。
動機がないのでやる気が全然出ない。

ところが、今回は仕事の一環として児童学をもう一度きちんと
頭に入れ直さないと、ということから新しい視点で子供の
教育について勉強することになりました。
やるべき理由が見つかった、ということは私にとって
大変大きなチャンスになりました。

やり始めると新鮮で楽しく、教材を準備したりするのも
子供たちのレッスンも打ち込めるようになり、
私の日常に新しい空気とパワーを送り込んでくれました。

私は自分が産み、育てるのが子育てだと思ってたけど、
こういう形でも子育てに参加できる、子育てを学べるんだ、と
気がつきました。

本当にこの仕事は楽しく、いろんなアイディアを考えるのも
子供について学ぶのも喜びがありました。

その時、

「ああ、女性はみんな母親なんだ。
子供でも若い女の子でも、独身の人でもおばあちゃんでも
みんな母性があって、いろんな形で母親という役を演じることが
できるのだ。」

という気持ちがわきてきました。

私は自分の子を持てないかもしれない。

でも、だからといって母親になれないわけじゃない。
いろんな形で子供と関わることができるし、母としての学びが
(100%ではなくても)ある。

そういう気持ちに到達した時、私は「子供ができない」という
卑屈な気持ち、女性として価値がないと責めていた自分から
解放されました。

私は私として価値ある存在としてこの地上に生まれ、
女性として、崇高な役割を持っているのだ。

女性はだれしも母親になることができる。

そう思えた時、目の前には新しい景色が拡がっていました。