整体にお世話になり始めたのは23歳くらいの頃からだったでしょうか。
結局30代、そして出産の時まで整体にはお世話になりっぱなしです。
実は私の従姉妹は野口整体の整体師です。
昔から(九州の実家にいる頃は)、なにかあるとよく診てもらいました。
もう成人してましたが、背中が痛くて診てもらった時、
「あなた、自分を抑え込みすぎ。自分の本当にやりたいことが
出来てないでしょ?」と言われて図星だったから
「なんでわかるの?」ってびっくりして尋ねました。
「わかるよ。結局心の問題が体に影響するのだし、そういう些細な
ことも体というのは反応して知らせてくれる。それを
見つけ出して根本から解決できるよう助けるのが
私たちの仕事だから。体と心は一つなの。」
というような内容の返事を受けました。
まあ、もちろん食習慣とか事故など明らかに外的な要因の病気は
例外ですけどね。
その後、私は親が反対するから出来ない、と思ってずっと諦めていたことを
3つ成し遂げることができました。
意思の力って大きいです。
流産後、帰省した時にも従姉妹に体の状態がどうなっているのか診てもらいました。
右側の骨盤が開いているとのこと。
あと、首の頚椎もまだ少しずれてると言われました。
子宮の状態が整うまであと少しかかるかな、とのことでした。
********************************************************
2006年11月の記録より
私は不妊治療をしないと決めていました。敏感体質の
私にとって薬は内臓に大きなダメージを与える存在です。
回復するまでも時間がかかるし、それまでの体調不良はかなりつらいものです。
それで大きなリスクを負ってまで急いだ妊娠を望んではいなかったのです・・・。
夫は私に面と向かって「赤ちゃんが早く欲しい」ということは
絶対にありません。ただあることがきっかけで彼が本当に
子供を早く欲しいと思っていることに気づいて、
「薬の影響が・・・」なんて甘えたことを言ってる場合じゃないなって
考え直すようになりました。
もちろん夫は私がこんな風に考えていることを知ったら
焦る必要はないと諭すでしょうけど・・・。
時々夫の優しさが痛いです・・・。
従姉妹にも施術の後で
「かよちゃん、本当にあなた、赤ちゃん欲しいと思ってる?
愛しくて仕方がないと思ってる?」と聞かれました。
「思ってるけど・・・。」
やぶからぼうになんだろう??って困惑している私に
「赤ちゃんを産むっていうのは命を削るってことなの。
自分の命を削られてでも赤ちゃんを産みたいっていう気持ち、あるの?」
って聞かれて
「あるよ・・・。」と答えたものの、自分の気持ちが確固として
ゆるぎないものではないと気がついた。
確固としていれば
「私は薬に弱いからな~。できれば不妊治療は避けたい。」
とか思わないだろう・・・。
私にはまだまだ強い意志がないと思い知りました。
新婚の延長線上の生活にどこか満足しているところがあるのかも
しれません。
*************************************************************
ということを書いていました。
最初の妊娠で流産するかもしれないと宣告された時、
自分の寿命が短くなってもいいからこの子の命を奪わないでください!と
ひたすら祈り続けた日々。
そのときは自分の命が削られてもいいと思ったのだけど、
不意に受けた質問にたじろぐあたり、この頃はまだ
根性すわってなかったんですね。
術後は全身麻酔の影響で半年くらいものすごく不調で、これ以上の
負荷をかける自信がなかったのです。
まあ、それでもその後、最終的には結局新宿のクリニックに行ったり、
不妊治療のために病院の門をくぐるようになったわけです。
私の気持ちは「本当に子供が欲しい」、だからこそ何とかこの状況を打破して
「妊娠して子供を産みたい」というはっきりした強い意思を持つように
なっていました。
結果、体外受精はしないことになったし、不妊治療にトライしても私の体は
受けつけなかったわけですが、「行動を起こした」ことが次へのステップへと
つながったのだと思います。
実際のところ、体に薬を入れなかったことは正解だったと思います。
表現が難しいですけど、執着としての願望はなくなり、
もし自分に出来なくても「子供が欲しい」という気持ち・・・・。
子供が欲しい、というところから母親になりたいという願望まで
引き上げられたというか。
子供を授かるということが養子縁組という形でもよいと考えられるように
なってきていました。
この気持ちが自分の中核にどーんと根付いたことで、
私の考え方はずいぶんとポジティブになったと思います。
その気持ちが心身ともにいい状態へと導いた気がします。
意思の力はまわりも自分も変えていくのだと、うっすら感じ始めたころでした。
次へのステップへはまた次回の記事で。
結局30代、そして出産の時まで整体にはお世話になりっぱなしです。
実は私の従姉妹は野口整体の整体師です。
昔から(九州の実家にいる頃は)、なにかあるとよく診てもらいました。
もう成人してましたが、背中が痛くて診てもらった時、
「あなた、自分を抑え込みすぎ。自分の本当にやりたいことが
出来てないでしょ?」と言われて図星だったから
「なんでわかるの?」ってびっくりして尋ねました。
「わかるよ。結局心の問題が体に影響するのだし、そういう些細な
ことも体というのは反応して知らせてくれる。それを
見つけ出して根本から解決できるよう助けるのが
私たちの仕事だから。体と心は一つなの。」
というような内容の返事を受けました。
まあ、もちろん食習慣とか事故など明らかに外的な要因の病気は
例外ですけどね。
その後、私は親が反対するから出来ない、と思ってずっと諦めていたことを
3つ成し遂げることができました。
意思の力って大きいです。
流産後、帰省した時にも従姉妹に体の状態がどうなっているのか診てもらいました。
右側の骨盤が開いているとのこと。
あと、首の頚椎もまだ少しずれてると言われました。
子宮の状態が整うまであと少しかかるかな、とのことでした。
********************************************************
2006年11月の記録より
私は不妊治療をしないと決めていました。敏感体質の
私にとって薬は内臓に大きなダメージを与える存在です。
回復するまでも時間がかかるし、それまでの体調不良はかなりつらいものです。
それで大きなリスクを負ってまで急いだ妊娠を望んではいなかったのです・・・。
夫は私に面と向かって「赤ちゃんが早く欲しい」ということは
絶対にありません。ただあることがきっかけで彼が本当に
子供を早く欲しいと思っていることに気づいて、
「薬の影響が・・・」なんて甘えたことを言ってる場合じゃないなって
考え直すようになりました。
もちろん夫は私がこんな風に考えていることを知ったら
焦る必要はないと諭すでしょうけど・・・。
時々夫の優しさが痛いです・・・。
従姉妹にも施術の後で
「かよちゃん、本当にあなた、赤ちゃん欲しいと思ってる?
愛しくて仕方がないと思ってる?」と聞かれました。
「思ってるけど・・・。」
やぶからぼうになんだろう??って困惑している私に
「赤ちゃんを産むっていうのは命を削るってことなの。
自分の命を削られてでも赤ちゃんを産みたいっていう気持ち、あるの?」
って聞かれて
「あるよ・・・。」と答えたものの、自分の気持ちが確固として
ゆるぎないものではないと気がついた。
確固としていれば
「私は薬に弱いからな~。できれば不妊治療は避けたい。」
とか思わないだろう・・・。
私にはまだまだ強い意志がないと思い知りました。
新婚の延長線上の生活にどこか満足しているところがあるのかも
しれません。
*************************************************************
ということを書いていました。
最初の妊娠で流産するかもしれないと宣告された時、
自分の寿命が短くなってもいいからこの子の命を奪わないでください!と
ひたすら祈り続けた日々。
そのときは自分の命が削られてもいいと思ったのだけど、
不意に受けた質問にたじろぐあたり、この頃はまだ
根性すわってなかったんですね。
術後は全身麻酔の影響で半年くらいものすごく不調で、これ以上の
負荷をかける自信がなかったのです。
まあ、それでもその後、最終的には結局新宿のクリニックに行ったり、
不妊治療のために病院の門をくぐるようになったわけです。
私の気持ちは「本当に子供が欲しい」、だからこそ何とかこの状況を打破して
「妊娠して子供を産みたい」というはっきりした強い意思を持つように
なっていました。
結果、体外受精はしないことになったし、不妊治療にトライしても私の体は
受けつけなかったわけですが、「行動を起こした」ことが次へのステップへと
つながったのだと思います。
実際のところ、体に薬を入れなかったことは正解だったと思います。
表現が難しいですけど、執着としての願望はなくなり、
もし自分に出来なくても「子供が欲しい」という気持ち・・・・。
子供が欲しい、というところから母親になりたいという願望まで
引き上げられたというか。
子供を授かるということが養子縁組という形でもよいと考えられるように
なってきていました。
この気持ちが自分の中核にどーんと根付いたことで、
私の考え方はずいぶんとポジティブになったと思います。
その気持ちが心身ともにいい状態へと導いた気がします。
意思の力はまわりも自分も変えていくのだと、うっすら感じ始めたころでした。
次へのステップへはまた次回の記事で。