私はずっと親の為に生きてきた
私が物心つく前から喧嘩ばかり
酷いときは母親が包丁を振り回し父に罵声して父も殴る
私達兄弟は居場所がなくて朝の5時から外の物置き小屋に避難して
その姿を見ていた叔父に助けられ夫婦喧嘩を納めて貰ったことが何度もある。
母親はいつも自分が中卒で有る事
貧乏だった事
夫は私の事を理解しない子育てを手伝わない
だから私は可哀想
だからあんた達はいつか大人になったら
可哀想なお母さんに家を建ててね
そして毎月温泉旅行に連れて行ってね
そして老後を面倒見るのが子供のやる事だと
毎日毎日繰り返し呪いのように繰り返し私達に言った
母親は大事にするべきだ
親の言うことは絶対だ
そう言って毎日ヒステリックに怒り
子供は言う事聞かないと言っては殴り
子供が怪我しても私は知らんと言っては放って置かれた。
私は何度もこの親が本当は血が繋がっていないのではと本気で思っていた。
本当に血が繋がっていたらこんな親ではなかったのでは
むしろ孤児の方がこんな親と関わらず過ごせたのではないか
ずっとこの問に答えは出なかった
ただただ子供時代は
毎日ヒステリックな喧嘩と
飛び散る物と
強欲な欲と
子供の支配と
吐き気がしそうな毎日でしたが
近所に住んでいた叔父夫婦に避難して
優しくしてもらって
なんとか生き延びたようなものだ
だから私は叔父夫婦の存在でなんとか人間として最低限の所で踏みとどまり生きて来たのかもしれない。
叔父夫婦には大変お世話になったので
数年認知症にもなり入退院を繰り返していたので
そこでは看護師としての知識と精神科の経験がとても役に立った
そして最後までお世話出来たのでとても良い経験となった。
叔父が私をとても可愛がってくれたので
亡くなった今はとても寂しくて毎日泣いた
でも私は泣ける事が嬉しかった
きっと実親が亡くなってもこんなになけないから
親子関係で血縁関係だけでは愛情をきちんと伝えることは私は難しい事を知っている。
親子といえども相性もあり
価値観も人格もまるで違うから
しかし私は知っている
本当に私を愛情を持って育てた人
本当に私を心から心配してくれる存在が
私を愛情で満たしてくれた事を。
叔父とはとても気が合った
叔父も偏屈な方ではあったが
何故かとても気が合った
きっと共通するものがあったのだろうと思う
だから
叔父の最後には私が出来る事をしてあげれて本当に良かった
親の為だけに生きる事に違和感を覚え
一人孤独感が強かった私を
助けてくれた
私はもう親の為だけには生きない
自分の人生は人生で生きる
強く覚悟した
いや生きてみせると叔父に誓った