私は成り行きで看護学生になった

母親は自分の娘が憧れの看護師になれると有頂天になりまるで自分がなったかのように親戚に自慢して良かったねと言われて喜んでいた。

その姿をみてとても滑稽だと思った。

そして私はしまったと思った。

思わず母親の願望を叶えてしまったら

ますます母親から逃れられないのではと

しかしもう私にはここに行くしかない

母親には私が精神科看護師を目指している事を悟られないように気を配った。

何故か母親は精神科が嫌いだった

なぜかは分からないが

母親は知的障害者の人や精神的に病んでいる人を見下す傾向があった。

私はあんたの方がよっぽど異常者でおかしいやつだと思っていた。

しかし今考えるとちょっと違うのかもしれない

母親の中で自分を精神的に異常だと感じるときにあったから無意識に拒否反応が出ていたのかもしれない。

どちらにしても母親は私を外科か救急とかテレビで観るようなザ看護師にさせたかったらしい

だから私は過酷な看護学生時代から心理学の勉強をしながらなんとか夢である精神科看護師になる為に進み始めた。


私の思惑は成功し

地元近くの県外も不合格の為

仕方ないと言っては旅費をくれて関東の学費の安い看護学校を受験した

私はもともと看護師になりたかった訳ではないので

看護師になりたい熱意もまるでなく

目が死んだ状態で受験していた

しかし、看護師の事をよくよく調べると

どうやら心理学を学ぶ事や精神科で働く選択肢も有るようだと知り

俄然やる気になり

ギリギリセーフで学費が安い学校に入学が決まった。

私はやっと家から離れる事が出来た事で有頂天になった。

しかし

私は知らなかった看護師になる前に過酷な看護学生生活が待っていることを
私はもともと看護師にはなる予定ではなかった

昔から特殊な家庭環境と人間不信から

カウンセラーか臨床心理士になろうと思っていた

でも学業をおろそかにして

お小遣いも貰えない家庭環境だったので

小学生から新聞配達をしていた

高校からは毎週土日にゴルフ場で皿洗いのバイトをしていた

そこで大人とのやり取りや働く楽しさを知ったが

学業をかなり疎かにしていたので

私が目指す心理学部のある国立大学には当然入れなかった

浪人してアルバイトしながら目指すもまた失敗

浪人中は1日10時間以上勉強していたのに入れなかったショックで私は自分を完全に見失う

さらにお金がないことも拍車が掛かり

私は浪人は1年間しか出来ない事が家族との決まりになっていた

私はもう1年浪人して大学を目指すには到底無理だと思った

そして次に自分が出来る事を探していた時に

母親がやっぱり看護師になった方がいいんじゃないかたと言い出した

母親は何故か看護師を崇拝しておりとにかく高額給料とずっと働けるからと

自分は料理の仕事しか知らないくせに

私にひたすら看護師の素晴らしさを説き伏せた

まるでこれがチャンスかというくらいに

またその時は大学受験失敗の絶望感から私も心が折れていたので

もーどうでもいいやと思い

投げやりでまだ試験が出来そうな学費が安い学校をひたすら受験した

地元の学校に受かってしまったら家から出られないと思ったので地元を外しわざと県外の難しい所を受けて落ちた

私はどうせ行くなら家から遠い関東にしようと決意して母親の思惑に乗る形に私も便乗した
私はずっと親の為に生きてきた

私が物心つく前から喧嘩ばかり

酷いときは母親が包丁を振り回し父に罵声して父も殴る

私達兄弟は居場所がなくて朝の5時から外の物置き小屋に避難して

その姿を見ていた叔父に助けられ夫婦喧嘩を納めて貰ったことが何度もある。

母親はいつも自分が中卒で有る事

貧乏だった事

夫は私の事を理解しない子育てを手伝わない

だから私は可哀想

だからあんた達はいつか大人になったら

可哀想なお母さんに家を建ててね

そして毎月温泉旅行に連れて行ってね

そして老後を面倒見るのが子供のやる事だと

毎日毎日繰り返し呪いのように繰り返し私達に言った

母親は大事にするべきだ

親の言うことは絶対だ

そう言って毎日ヒステリックに怒り

子供は言う事聞かないと言っては殴り

子供が怪我しても私は知らんと言っては放って置かれた。

私は何度もこの親が本当は血が繋がっていないのではと本気で思っていた。

本当に血が繋がっていたらこんな親ではなかったのでは

むしろ孤児の方がこんな親と関わらず過ごせたのではないか

ずっとこの問に答えは出なかった

ただただ子供時代は

毎日ヒステリックな喧嘩と

飛び散る物と

強欲な欲と

子供の支配と

吐き気がしそうな毎日でしたが

近所に住んでいた叔父夫婦に避難して

優しくしてもらって

なんとか生き延びたようなものだ

だから私は叔父夫婦の存在でなんとか人間として最低限の所で踏みとどまり生きて来たのかもしれない。

叔父夫婦には大変お世話になったので

数年認知症にもなり入退院を繰り返していたので

そこでは看護師としての知識と精神科の経験がとても役に立った

そして最後までお世話出来たのでとても良い経験となった。

叔父が私をとても可愛がってくれたので

亡くなった今はとても寂しくて毎日泣いた

でも私は泣ける事が嬉しかった

きっと実親が亡くなってもこんなになけないから

親子関係で血縁関係だけでは愛情をきちんと伝えることは私は難しい事を知っている。

親子といえども相性もあり

価値観も人格もまるで違うから

しかし私は知っている

本当に私を愛情を持って育てた人

本当に私を心から心配してくれる存在が

私を愛情で満たしてくれた事を。

叔父とはとても気が合った

叔父も偏屈な方ではあったが

何故かとても気が合った

きっと共通するものがあったのだろうと思う

だから

叔父の最後には私が出来る事をしてあげれて本当に良かった

親の為だけに生きる事に違和感を覚え

一人孤独感が強かった私を

助けてくれた

私はもう親の為だけには生きない

自分の人生は人生で生きる

強く覚悟した

いや生きてみせると叔父に誓った
昨日毒母から玉ねぎ貰った話

続きで

毒母から電話が来たけど無視しました(笑)

そしたら留守番メッセージが入ってたので

なんだろと思いスピーカーにして聞いたら

「別にあんたの家に用事はなかったわ!!」

ブチッで切れてました(笑)

これを家族皆で同時に聞いていたので皆で大爆笑(笑)

じゃあなんで家に来たの?(笑)

売られた喧嘩はすぐに買う母親なので変わらないなーって笑えました。

もーさー…

娘が来て欲しくない事を全面にアピールして来て拒否られて全力の言い返しの留守番電話のメッセージがそれって

小学生

いや

2歳児のレベル(笑)

はー受けた(笑)

やっぱり精神的に幼稚だから話合わないし違和感凄すぎる。

そして食べ物を与えて承認欲求を満たそうとする(笑)

さらに家族は仲良しじゃなくちゃいけない説に強烈に取り憑かれて嫌がる娘の家にもガツガツ来る(笑)

なんでそんなに家族は皆で仲良くいなきゃと思うなら何で家族の一員である娘を毒吐きに使って娘を自分の思うようにしようとして私がどれだけ犠牲になったか

考えて欲しいわー

でもきっと無理だろうな。

聞かないから(笑)


はぁー凄すぎる(笑)

これも漫画にいつか書こうかな