執着ってなんやろ、って思ってた。
まあ、執着やから、なんか握りしめてるんやろなぁ、みたいなイメージ。
「この執着を手放すといいよ」っていうのが、8月の私のテーマやってん。
「こうなりたい、こうなりたい」って握って、思いすぎてるのが、執着なんかなって思った。
あの人にも早く元気になってほしい、とか。
私はこうなりたい、なんでこうなれへんのやろ、こうなりたい、って思うのが執着。
じゃあ、それって。
まだそうなってへんから、思ってるんやろうね。
で、執着を手放すってどういうことやろ、って思ったんよ。
そしたら。
もう、私、そうなってるわ。そうなってる。
もう、そうなんやって思った時点で、執着じゃなくなる。
そう思ってん。
だから、「あの人にも元気になってほしいなぁ」っていうのは、また違って。
もう、元気。元気やね。
もう元気元気な状態、って思えれば、もう全然軽くなって、スーッとこう、抜けていく。
握りしめて握りしめて、マイナスの感情の方に持っていくのが、執着なんかもしれん、って思った。
「愛の執着」って言うやん。
まとわりつくように、「愛して、愛してよ」って。
でも、その状態でええねん、って言えたら、それはもう執着じゃないなぁと思ってた。
そうこうしてると。
物事には、相反する両方があるやん。
違う言い方で、「執着はええで」って言われたんですね。
執着イコール、want。欲しい。そうなってほしい。
っていう、上に向上する心。その気持ちのもんと、執着は大切やで。
って、言われたんですね。
「執着を手放すって大切やと思うねん」って、私が師匠に言うたら。
「何言うてんの?執着も大切やで」って、一言。
もう、ハッとしましたね。
執着を手放すっていうことで、もうその状態やって思えればいい、っていうことで、自分の中で結論になっとったのに。
「執着も大切やで」って言われて、ハッとしたんです。
昔、姪っ子とゲームセンター行った時のこと、思い出してん。
対戦型のゲームで、姪っ子が「負けたくない!」って、すごい叫んで、ほんまに一位になっててん。
それも、まあ一応want。そうなりたい。握りしめてるんやけど。
誰が誰をどうこうしたいんじゃなくて、もうそうなりたいと思って、うおって進むのは、それは執着と言わず、成長っていうこともあるんやなと思った。
だから。
執着がすべて悪い、っていうわけではないんやな。
時には、執着も大切。
自分が「こうなりたいな」って思ってることは、執着なのか、願望なのか、want なのか、握りしめた負の感情なのか。
めっちゃあるわ。
同じ言葉でも、自分がどこの方角から見るかによっても変わるし、どこに進もうと思ってるか、それと自分の今の心理状態によって、全然変わるなと思った。
執着っていうけど、握りしめてる負のものが多いのか。
それとも、子どもたちがのびのび大人になるときの、成長のエネルギーなのか。
色々あるなと思いました。
執着を手放すということで、私は一件落着していましたが。
実は、願望を実現するっていう、want、want、want も大切なんやな、と。
要するに、「執着」も「手放す」も、その言葉があるっていうこと自体が、やっぱり必要な感情なんやなって思います。
それぞれ経験してみたら、「あ、こっちじゃない」「あ、こっちや」ってわかるんやな、っていうのも、また思いました。
日々、うおーとか、なんでやとか、ハッピーとか、やったーとか、いろんな感情があるけど、それ全部、ほんまに経験するのは大切やと思います。
今年、私、ほんますっごいいろんな感情があって、全部経験するんやなって思います。
これだけの話やねんけど。
私の家の両隣りの家の人って、それぞれに、家族間の感情をぶわっと爆発させてコミュニケーション取ってはるんです。
近所に聞こえてます、正直。
自分の感情に、素直に従ってる。
それはそれで、私はまた、すごい素晴らしいと思います。
だから、みんな何が悪いっていうよりも、それぞれの感情を味わって、一つ一つ自分の中で溶かして、心を軽くする方に進んでんのかなって思いました。
執着ってなんやろ、って思ったんですけど。
「手放す」っていうこと自体を思ってる時、執着は悪いことやと思いすぎてたんやなぁ、と。
ほんまは、両方あんねん、ものごと。
物事には、裏と表。プラスとマイナス。相反するものがあって、すべてが成り立ってんのやなぁ。
執着という言葉から、私は、そう思いました。
なんか、そんなこと思った、9月の始まりです。
皆さんは、執着とか、ふと思う頭で考えたこと、ありますか?
そういうことをふと思った時、ノートに書いとくと、また違った時に答えが来たりします。
そのことはまた、今度お話ししたいと思います。
今日はこの辺で。ありがとう。
