皆さま こんにちは 音葉です^^

 

いよいよ今月は明日で終わり!年が明けてからのこの時間の流れの速さたるやただただ驚くばかりです。

 

 

昨日、旅の開きが3月末からに決定したとのお伝えがあり、よほどイレギュラーな事がなければ私達もこの場にあと2カ月ほど滞在できることになりました^^(我が家なのに既に滞在という感覚(笑)

 

とはいっても『GO!』と言われればいつでもGO!なのは以前と同じ。(そもそも神様は英語使いませんが(笑)いつ何時も馳せ参じるという心地よい緊張感を持って、ここよりの時間を大切に過ごしていけたらと思います^^

 

 

 

神人一体になると一体どうなるのか??

さて、今日はいよいよ神人一体(かみひといったい)の最終回です。もう神人一体はお腹いっぱいだーよ!という方もいらっしゃるかもですが(汗)とても大事な伝え事です。どうかもう一巻お付き合い下さい^^今日も先に神言葉を読んで頂ければと思います。
 

 

 

【神言葉 後編抜粋】


神人一体なるは 光そのものぞ
我 人 照らし 祓い
溶かしゆきて 幸 導きたる者よ

 

神人一体 望まば
(なることは)難しきにあらず
真素直に 神求めし心 要(かなめ)なり

 

光(朝の光)受けゆき
(魂の)曇り取りゆかば
見えぬもの 見えゆくぞ
聴こえぬもの 聴こえゆくぞ
心 動くぞ
感 極まるは 神の世界よぞ

 

肉身持ちつ 光の人なるが(光の人になるのが)
神人一体の姿よぞ
神 祈り 合いたるものぞ

 

(神人一体のミタマに)
光降ろし(ひおろし)なるを 伝えゆけよ
光降ろさば(降ろせば) 更に光強まりて
(その魂)大いなる光の柱となれり

 

光強き人人 増やしゆけよ
世人照らすは(神人)一体の御役よぞ
生きゆく(術 姿)が 光そのものなり


(屁)理屈 戯言いらぬぞ
残るは 眞素直 ただそれのみなり

 

(これだけのことを言ったが、なにより大事で
 最後に残るのは 真素直ただそれのみなり)

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神人一体とは光の人ということ

神人一体は光の人。この光という言葉、多分神言葉の中で一番多く登場してくる言葉だと思います。この”光”や”闇”についてはまた詳しく書かせていただくとして、今日はまず神様が「神人一体=光の人=聖者」のようなものを私達に求めてはいないということをお伝えしたいと思います。

 

 

光の人はどこまでも光を求めて生きるような人のこと。常に自分自身や魂を輝かそうと努力を続ける人のことを指しています。この”聖者じゃなくていい”という感覚、我と慢心を祓う為にも実はとても大切なんです。ひとつ私の例を上げさせてもらいますね。

 

 

自分じゃない自分を演じるはゆるみの正反対

この神様の言葉が聴こえ始めた時、私は神に仕える巫女さんでも聖職でもなくただのいち主婦、そしてピアノ弾きでありました。

 

『音葉と名乗れ』ということで、情報開示にあたり友人にプロフィール写真は撮ってもらいましたが(友人の素晴らしい腕のおかげでかなり魔法がかかっております^^;)普段は綺麗な和服を纏っている訳でもなく、子育て真っ最中で日々こどもと格闘、部屋も乱れがち。。時に怒ったり落ち込んだり感情の起伏も多々な訳です。

 

 

ですが、神様に仕えるにあたり「もっとしっかり自分を律しなくてはいけないのではないか?」と思い、『これよりはゆるみの世だぞ』とおっしゃる神様の言葉にひたすら逆行。ひたすら自分に厳しく、おかしな奮闘を始めた時がありました(笑)
 

 

これに対し、神様がまたまたぴしゃり。『こらこら。(←毎回ながら言ってません(笑)われはわれのままでよろし。人臭くてよろし。喜怒哀楽あってこそ人なり。聖者になろうとするなかれよ』と伝えてきました。

 

 

また、声が聴こえたりすると自分が神にでもなったかのように振舞ったり、自分は人と違うと勘違いをして傲慢になったり、よもや人を裁いたりと本来神様が望む道と違う方向に行ってしまう方々も多いらしく、その一切を神様はひどく嫌っていらっしゃいます。

 

 

神様はどこまでも我と慢心を嫌われるので『声が聴こえるからと言って偉い訳でもすごい訳でもなんでもない』という事を、どこまで謙虚に持ち続けられるかが私の課題だったりもします^^とにかく志は持つも慢心はせず、謙虚にありのままの自分を愛することが何より大切なのだと思います。

 

 

 

 

神人一体は未来永劫なのか??

実はこの神人一体という状態は未来永劫ではなく常に揺らいでいる状態にあります。例えば、以前神人一体だった人も時間が経って会えば違っていたりその逆もあったり。私自身、神様の声を聴かせて戴きながらもまだまだ半人前。常にゆらゆら揺らいでおります^^(笑)

 

なので、一体だからすごいとか良いとかそういうことではなく、それよりもこの”成ったら成りっぱなしじゃない”という仕組みのおかげで、人が日々向上し続けていく事ができるというところが大切なポイントなんです。
 

 

もし「わーい!神人一体になれた~!」と自分でわかったとします。よほど精神が鍛練されている方なら別ですが、もし私だったら、どんなに氣を付けたとしても我と慢心が生まれ、先の神様が嫌う話のようにちょっと偉そうになったりあぐらをかいたりよもや人を裁いたり。そんな姿がまざまざと浮かんできます^^;(汗)

 

 

人は一旦ゴールを切ってしまうと、どこに向かって何を志していいのかわからなくなることが多々あります。”神”という果てのない目標や目指す場所があるからこそ、波を越えながら人生を積み重ねていくことができる。そして、その波を越えゆくという醍醐味を味わわせて戴いているのだと思います^^そんな神様の巧妙な演出も、人間の気質を見抜いての事と思わずにはいられません。

 

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生かされを知り、眞素直になること

”生かされを知る事”と”眞素直になること”これはまさに読んで字のごとくなのですが、シンプルながら実は実践が難しい深さがあり神言葉にも度々登場する言葉たちです。

 

まず朝の光を受ける事が神人一体になる基本とわかっていても、それを素直に信じて日々実践できなければ実現は難しいものです。「はいはい」と頭でわかったようでも、行動が伴なわない所に神様は結果を生み出しません。

 

 

”素直に受け取り素直に実践する。そしてそれを業にならず楽しんでする” 言葉にすれば簡単なことのようですが、今までの様々な知識が邪魔をしたり、よもや楽な方向に傾いてしまうのが人間なるもの。

 


神さまはどこまでも子どものように素直な人が好きです。とにかく大好きです(笑)『これだけのことを言ったが、なにより大事で最後に残るのは”真素直”ただそれのみ』と手紙の追伸のように思わず最後につけてしまうほど、とにかく大好きなのです(笑)


友人に教えてもらったのですが、素直は”ス(主:神様)に直くなる”という意味もあるらしいです。神言葉も自分事として素直に受けとれるかで日々の変化が違ってくるらしく。なので様々な知識は一旦脇に置き、まずは素直に受け取ろう!と私も心掛けていけたらと思っています^^

 

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神人一体になったらどうなる??

神人一体、光の人になれば、今まで見えなかったものが見通せる神の眼が開き、聴こえぬものを受け取れる神の耳となり、心は豊かに常に動き感動や感激が多い人生になっていく。自分事ではない人のしあわせを祈り、自らは生きゆくだけで人や一切のモノゴトを照らす光そのものとなる。

 

 

うわぁなんと素敵なのでしょう。神人一体を目指して生きるだけで人のしあわせに繋がるなんてものすごいしあわせですよね^^そう、しあわせは他から自分へ流れるように出来ているそうです(ここもまた後日書きます)

 

 

神人一体の人に許される光降ろし(ひおろし)もまったく同じ原理で、自分以外を祈り施したことが更に大きな光となって自分に返ってくるという、何とも素敵なみ術(わざ)なんです。

 

 

朝、眉間にある第三の眼に光を受ける事。そして生かされと眞素直や、神言葉の心持を心掛けること。ぜひ、少しづつでいいので実践してみてください。光降ろしの具体的なやり方はもう少し先のタイミングでお伝えします。(準備が出来た心や身体の状態がベストだからとのことです)

 

 

神人一体は誰にでも開かれた道。ぜひ楽しみにゆるみながら過ごしてみてくださいね^^

この後はいよいよに、このウイルスについて神様が伝えてきている事を書いていけたらと思います。

 

 

では今日も明日も、皆様にとって素敵な1日でありますよう
 

 

いつも読んで頂き ありがとうございます^^

 


音葉 *otoha*



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*神様について*
つながる神様は自分が大切に思う神様でよいと思うのです。「何々神をあがめないと」とか「あの宗教が正しい、間違っている」なんていう対立の時代ももう終わり。万物一切に神あり。日本には八百万の神と呼ばれる神々もいますが本当は元ひとつ。”神様”という言葉に抵抗のある人は、宇宙や太陽、自然などこの世の一切を作った”絶対的な何か”(something great)という概念も素敵だと思います^^