『夢』を実現するのは何だろう。

『運』ということをいう人もいる。

『やる気』ということをいう人もいる。

では『運』というのは何だろう。

どこかからやって来て、勝手に『夢』を実現して、
それで何も言わずに去って行く、
『運』が『夢』を持っているたくさんの人々の中から、
気に入った人を選んで、その人の夢だけ実現してくれる。

だから『運』に見放された人は、どんなに頑張っても『夢』が叶わない。
そういう迷信がたくさん世の中にはあふれている。

では『やる気』というのはなんだろう?

『やる気』だけあっても失敗するやつは失敗する?

確かにそうかもしれないが、何か違わないだろうか?

『やる気』というのは、一度失敗しただけで消え失せてしまうものなのだろうか?
二度失敗しただけで消え失せてしまうものなのだろうか?
三度失敗しただけで消え失せてしまうものなのだろうか?

何度失敗しても、あきらめないことを『やる気』がある、
というのではなかったろうか?

では『運』

これは『運』が人を選ぶだけなのだろうか?

いやいや、そうではない。

世の中には『運』が溢れているのだ。

人がそのたくさんある『運』の中から、
自分の目的や夢に合った『運』を選んで掴み取るのである。

『運』は掴むものだということをよく知っている人が、
自分の目的に合った『運』を掴むのである。

自分が『運』を選ぶ目を持っていないと、
まわりからしょうもない余り物の『運』を掴まされてしまったり、
貧乏くじを引いてしまっても、それでいいやと諦めてしまうのだ。

例えば、神奈川県から東京に行く為に、東京行きの電車に乗らずに、
大阪行きの電車に乗って、同じ運賃を払い戻しもせず、
また東京行きの電車に乗り換えることもしないことを、
『運』が無い、とか、『やる気』がない、と言って諦めるだけでなく、
他の東京行きの電車を探している人まで、
騙して道連れにして大阪行きの電車に乗せようとして、
『運』がない、とか、『やる気』がない、と言って喜んでいるのだ。

『夢』を叶えたければ、その『夢』に向かっている『運』を、
こちらが探して捕まえるのである。

幸運の神様は前から来た時にその前髪を掴まないと、
あっという間に過ぎ去ってしまうから、一度過ぎ去ったらそれっきりだ…

という言い伝えもあるけれど、幸運の神様の背中が見えるなら、
必死になって追い掛けて、その身体にしがみついてやればいいではないか。

前髪を掴んだ人よりも大変かもしれないけれども、
イスラエルと呼ばれる様になったヤコブも、
天使と朝まで戦った時に、腿の関節を外されて身動き出来ない身体で、
天使の足に朝までしがみついて、

「私を祝福して下さい」

と叫び続けたおかげで、朝になって天国へ帰らなければならなくなった天使が、
渋々ヤコブを祝福した結果、彼はイスラエル民族の祖になったのだ。

こういうことを『やる気』がある。
『運』を掴む、というのだ。