昨日はセレフェスの打ち上げで六本木で飲んだ。
私が外出するのを察した娘は出発の少し前から「抱っこ抱っこ」になりぎゅっとしてほしくて抱っこの状態で「ぎゅーぎゅー」と何度も言った。
2017年11月に出産し、2018年10月に復職した。
子供が1歳のお誕生日を迎える前の復職は、私の中で相当な葛藤があった。だけど保育園の内定を取る前には止む無しだった。
復職前の慣らし保育中、泣き叫ぶ娘を預けて帰宅する道中、私は毎日泣いてた。
「何でこんなに嫌がることしなくちゃいけないんだろう。」何度も自分を責めた。
お迎えに行くと涙と汗でずぶ濡れぼろぼろになってる娘を見て、預け先を出た瞬間また私は泣いてた。
今思えばこの頃からどんどん自分の感覚とずれていった。
心はいつも重くて、子供と一緒にいる幸せな時間ですら罪悪感を感じることが多くなった。
私が働くことで生活が安定する。お金は大事。子供のため。とか自分に言い聞かせてた。
復職後、ワーキングマザーとして負担の少ない部署で負担の少ない業務の担当になった。上司も同僚も手厚くサポートしてくれた。
子供から離れた別の世界は最初とても良い気分転換になった。
でも、ワーキングマザーとしてのポジションにありがたいと思いつつも物足りなさを感じるようになった。
自分を無価値に感じる時間が増えた。
それでも社会にしがみついていたい自分がいた。
飲み会は子供のお迎えの関係で最初の30分したいられなくても会費全額払って出席した。子供がいても付き合いが良い自分でいたかった。独身の頃と変わらないって思われたかった。
飲み会を切り上げて延長保育の子供をお迎えに行く時はいつも罪悪感感じてた。
2019年3月頃から「罪悪感」「無価値観」で自分がなくなりそうになってることに気付いた。
「もう頑張るのやめよ」って思った。
全部手放した。
それからぱったりと飲み会に参加しなくなった。
飲み会に参加しようかどうか判断に迷うことがなくなって楽になった。子供への罪悪感が薄まった。
2019年9月、すごい久しぶりに飲み会に参加した。セレフェススタッフの懇親会だ。産後初めてお酒も飲んだ。
同じ頃、「1」の概念を船長に与えてもらった。自分に矢印向けて「1」で存在する。ただそれだけでいい。
誰にも遠慮はいらない。私がただ「1」でいればいいだけ。
それまでは子供のため、夫のため、会社のため、とか言って自分を無視して必死になり過ぎてた。でも上手くいかなくて無価値観を感じること多かった。仕事のためにやり過ぎると子供に罪悪感を感じることも多かった。
でも自分が「1」でいればいいってわかってからめちゃくちゃ楽になった。
この概念がなかったら自分からずれたままだった。
飲み会前に子供が寂しそうだったらキャンセルしてた。
キャンセルしなかったとしても飲み会中子供のことばかり考えて楽しめなかった。
昨日、セレフェスの打ち上げがあってAM2時に帰宅した。
家に入ると、玄関に置いてあるベビーカーで子供は寝てた。ベビーカー前の廊下に夫が倒れてた(寝てた)。
子供は私がいない中、寝るのを嫌がって大暴れして、ベビーカーでお出かけするってぐずってそのまま力尽きたとのこと。
夫は何度もベッドに移動させようと試みたものの失敗に終わり、夫も廊下で力尽きた。
部屋は電気がついたままで荒れ放題だった。
以前の私だったらめちゃくちゃ罪悪感感じたと思う。もう飲む会行くのやめよって思ったと思う。
でも昨日は違った。私は「1」でいればそれだけでいいからだ。それだけで調和するからだ。
私は自分が「1」でいるために飲み会に参加した。飲み会中も他のことは考えずその空間を存分に楽しんだ。それでいい。
帰宅後すぐに着替えて夫を起こし、ベビーカーの子供を抱っこしてベッドへおろした。子供は泣いて目を覚ました。「かぁか」だよって子供に言った。子供は嬉しそうに「かぁか、かぁか」って言ってそのまま寝た。
朝、子供が私を呼ぶ声で起きた。とても幸せな朝だった。一足先に起きてリビングにいた夫に「昨日はありがとう。」ってお礼した。
これでいい。
これだけでいい。
罪悪感を感じるから自分に嘘ついて本来の自分とずれて他人を責めてた自分はもういない。自分とずれて無価値観を感じてた自分ももういない。
また現れるかもしれないけど、その時はそれに気付いてまた戻ればいい。
「1」でいる。あたたかくてほっとする私だけの場所。
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