久しぶりにブログ書きました。止めてはいません💦
つたない文章ですが、ふと目にした方に、私達のスピリチュアルな生活から、何かきっかけとなったり、あかるい気持ちになっていただけたらと思い、続けていきたいと思います。遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします!
今年は忌中の年明けとなりました。
実は昨年末、同居していた義父が亡くなりました。
今回は義父とのことを書きたいと思います。
脳梗塞になって3年半、話好きな義父でしたが徐々に言葉が出なくなり、自宅介護とリハビリ、入院を繰り返して、最後は肺炎で亡くなりました。
コロナ禍での入院の不自由さ、自宅介護の双方の疲弊、家族や親族、みんなそれぞれ色々な想いがあったと思います。
しかし長男である夫は、介護生活に突入してから意志疎通が難しかった父親と、亡くなってからようやく話ができたようです。
病気を発症してからしばらく一緒に飲めなかったお酒も祭壇の前で二人で飲んでいました。
死の直後の家族は悲しむ時間がないほど、次々と決めなければいけないこと、手続き、連絡、挨拶対応があります。
生前から義父とそのような話し合いをしていたわけではありません。今まで家の大事な手続き関係は義父が一人で管理してきたので義母も跡を継ぐ夫もわからないことの方が多くて…
どうしようとなった時…………
そうだ!
「義父さん(本人)に聞いてみようよ!」
そんなわけで、まずは目の前の事から…
三途の川の船賃から菩提寺へのお布施まで…迷ったら義父に尋ねていました。
脳梗塞発症前は、民生委員まで務め、顔も広く多くの方に慕っていただき地域のために働いてきた義父。通常ならこのような旅立ちの時は広くみんなで盛大に見送ってあげたいのですが、コロナ禍ということで、葬儀社から親族中心の新しい葬儀の形式の説明をうけ、家族としては少しもやもやする残念な気持ちにはなりました。
位牌は少し良いものをと夫が選んだら、「これはぜぇーな(いいな)」と照れながら喜んでいたようです。
法要の引き出物、料理の手配、細かいところはこちらで決めますが、迷ったら、お義父さ~ん!という感じでした。
新しい葬儀や法要の形式というものに戸惑いながらも、義父が常に見てくれている、一緒に考えてくれていると思うと心強かったです。
生前、義父が食べてみたかったラーメンがあったらしく、四十九日の法要納骨前に食べさせてあげたいと夫が言っていたのですが、(そのラーメンは珍しくお店の前に自販機で売っていて24時間買えるのです。)しかし…法要当日の朝ぎりぎりになって夫がそれを買いに行き、わたわたと自分で麺だけ茹でて祭壇の前に出したら、
義父「……………ネギは?!」
おいおい、ラーメンにネギも入ってないのか?!と(笑)
また、夫は人前で話すのは多少慣れていますし、そんなに苦手意識もないはずなのですが、いざ自分の父の事となると込み上げてくる想いが強くて頭が真っ白になりそうだと言い、通夜葬式から四十九日法要の時まで紙に書いたものを見て喪主の挨拶をしていました。
そんな様子も含め、義父は終始、「キヨシは見えてわかってるはずなのに・・・(苦笑)」という感じだったようです。
あとは小さい孫達が祭壇の前で賑やかにしていたり、うちのおしゃべり4歳娘もじいちゃんに線香をあげる度にいつも何かしら報告していたので、義父のやさしい笑顔が私達にも見えるようでした。旅立ちまで少しさびしさをまぎらわせたのではないかと思います。
以上、夫にはここで書きつくせない父との死後のエピソードがたくさんあると思いますが、私が聞いていた範囲で書きました。
夫は見えない世界のものが見えます。
一方、私もですが、自分は何も見えない感じないと思っていると、故人とつながるのは難しいです。でも、死の直後は確実に故人が側にいます。家族を見ています。
こちらもぜひ読んでみてください。私の実家で共に暮らしていた祖父と祖母の亡くなった時の話です。亡くなる前も亡くなった後も人それぞれの歩みがあります。
身内を亡くした悲しみはひととおりではありませんが、決して故人が消えていなくなるわけでありません。死後も故人を身近に感じていただけたらと思います。
読んでいただき、ありがとうございました!
