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Am I still ill ?

徒然に感じたことなんかを書いていこうと思います

昔、高校生のようなものの頃、工場で実習というものがセット
されていて、地方の高校のようなものから上京して川崎あたりの
工場で実習をさせてもらった。
いきなり都会に出てきて、ひとりでそういった環境に放り込まれる
訳だけどとても記憶に残るいい体験だった。まあそれだけ若い頃
というのは記憶に残るものがある訳で、その会社の方に最後は
呑みにも連れて行っていただいた。高校のようなものなので、
それも違法ではなかったのかな。

ともかくその工場実習の頃に、トイレで大をしながら落書きを
したような気がする。いわく「音楽を聞きながら、なおかつ仕事に
就くことはできない」というような内容だった。
何を言いたいかというと芸術と労働は相容れないという
発想だった。若気のいたりというものだ。
毎日、勤労している工場の人にそういう風にメッセージを余計な
お世話に書いたのだ。

それから30年近くが過ぎて、私はサラリーマンとして労働
しているし、音楽も冬は大きめのヘッドホンをかけて聞いている。
で、労働での疲れを、やるせなさを慰めてくれるのが音楽なのだ。
だからむしろ労働している今の自分ほど音楽に頼っている状態だ。

そんなことをフリッパーズ・ギターのこの曲を聞きながら思った。
実際は、ライブ版の方のこの曲なんだけどYouTubeにはないので。

http://youtu.be/ZHqke8sm-T4
よく思うのだけど、いつかは石油資源や原子力資源も枯渇して、
昔のように歩いて移動するしかなくなる日が来ると思っている。
まあそれまでにはまだ数百年くらいはあって、死ぬまでにはそうは
ならないかも知れないけど。
太陽光のようなエネルギー源でも有効に活用できない限り、そう
なることは自明の理だと思う。何十億年かけて作られた石油資源に
代表される資源を盛大に使いきろうとしている時代なのだと思う、
現代は。
だからそうした資源が枯渇した世代から今の人たちをみると
コツコツと地球が蓄えてきたエネルギーを盛大に使いきった世代と
うつるだろうと思う。

いつかは、多分、情報さえも行き来することが少なくなり、物流は
とても縮小して、人の移動も減って、どうなるのかわからないが、
そういう物資的な制約のうえに成り立つ生活になっていくのだろう。

まあ生きること自体が、乱暴な言い方をすると無駄なわけで、
いつかは誰しも死ぬわけだから、その結果をもって無駄とする
考え方にたつと、生きることも無駄にも思えるわけで、だから人間の
していることは一瞬の儚いまたたきに過ぎなく、それをもって良し
とするしかないと思う。

というわけでうまくつながらないけれど、また電力行政なのかな?
に関してパブリックコメントを募集しているようです。1月6日まで。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620213015&Mode=0
いろいろな意味で経済を最優先する文化から卒業しかかっている
のかと思っていたが、アベノミクスでそれが引き戻されている印象が
ある。
ひょっとすると最後のあがきなのかも知れないし、他に道をみつける
ことができない国民なのかも知れない。

経済的な豊かさをかなりの程度、得て、それで経済的なもの、物質的
なものの追求はある程度もういいやという風になりつつあったと思う。
前のブログと矛盾するが、車なんかに興味がない世代が増えている
というのも物質的な豊かさより精神的な豊かさを優先させている証
かも知れない。

かつてのような24時間戦えるサラリーマンへの憧れや誘導は効果を
なさなくなって、みな、パテシエとか、なにかもっといろいろな多様性の
ある職業を選ぶ、サラリーの多寡だけで計れないものに価値を置く、
そういう風になってきていると思う。

その印象が個人的なものに過ぎなくてもいい。モノだけに重きを置く
文化というのは卒業したいところだ。