大地震・大津波そして原発事故という未曽有の大災害の

その後の現実を直視するという福島への旅の目的でした。

そしてその第1日目、第2日めには、その余りの厳しさを

現地で体感することになりました。

 

15年後の今日、復興という名のもとにすべての出来事が次々に上書きされて

圏外に住む者にとっては、災害前の日常が取り戻されつつある、というのが大方の認識でしょう。

 

が、その地に立って見ると、人々の心の傷、社会の中の見えない分断、

覆い隠されてしまった真実、など復興にはまだまだ程遠い現状を痛感させられます。

 

そういう切なさを抱えることになった浪江町での短い滞在の後、

富士宮への帰途を目指す旅の第3日目は

図らずも目線を足元から地平のかなたに向けるチャンスが与えられ、

私にとっては、未来へ向けての示唆にとんだ機会となりました。

 

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南相馬市にある《縄文の丘公園》は5800年前ー2800年に

存在した縄文時代の集落の遺跡公園です。

この、森、海、川に恵まれた高台で日常を営んだ縄文の人々が残した

生活の足跡・・・貝塚。

 

 

 



それは食べ物の残りのためのゴミ捨て場ではなくて

綺麗に重ねられた貝殻、動物の骨や爪、装飾品や土器、祭祀のための道具、

そして人骨などが丁寧に葬られた場所。

3000年もの長い時が遺した堆積物が語る縄文人たちの生活は、

自然との共生というより、宇宙の循環のなかで営まれていた、

というほうがより実態に近いのでは、と私は感じました。

 

前日に気仙沼から浪江町に戻る往路で見た、南相馬市の津波の被害を受け

更地となった海岸沿いに延々と続くソーラーパネルの平原や

浪江町の同じく家屋の影も形もなくなった地域に、除染作業で生まれた

膨大な数のフレコンバッグの置き場と思しき無機質に続く白い壁。

 

行き止まり、袋小路、遮断、という言葉がよぎります。。。

 

日常生活の突然のリセットと分断を強いられたこの土地と人々に

人間の体内と同じように命が必要とする、

呼吸し循環する環境との交信が再び取り戻されることを願ってやみません。

 

 

旧相馬郡小高町にて、 日本三大磨崖仏(まがいぶつ) の一つと言われる

南相馬市の大悲山石仏を訪ねました。




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縄文の丘公園でも感じましたが、歴史の資料、というより

この土地では遺跡が古い記憶として生活の中で大切にされている、と感じました。

 

人がどこから来て、どこへ行くのか。

記憶の延長線上に私たちは生きている。

 

祭りや信仰などが、イベントやセレモニーというよりは

巡る季節や人の営み、というものに根差している感じ。

 

薬師堂の石段前にそびえる天然記念物の大杉。

樹齢千年、と言われる大杉の生命力あふれるオーラに

圧倒されました。

心が洗われました、感動!

 

 

 

南相馬市の《おれたちの伝承館》

アーティストたちがさまざまな形・手法で原発事故をテーマとして直視し

それぞれの作品に、言葉にならない、言葉以上の思いを込めています。



 言葉にならないから、アートの力を。

 

私はこのところ、よくそのことを考えます。

作品の良しあしではなくて、評価でもなくて、人の思いの

言葉にならないものを共有する術(すべ)。

 

受け取る側はそれぞれの想像力で、他人の領域を侵すことなく

心行くまで想いを馳せ、

うけとったものを私物化することもない。

 


原発事故とその経過、その未来に対する意見は様々にあると思うけれど

この不寛容な時代に、そしてAIに支配されつつあるこの世の中に

受け手に想像力と思考の余白を与えてくれるアートは絶対に必要だし希望であると考えます。

 

浪江町の《希望の牧場よしざわ》

希望の牧場主、吉澤さんは2015年に富士宮で開催された《富士山ピース&アートフェスティバル》に来て講演をしてくださいました。

 

政府によるすべての牛の殺処分の命令に抗い、

被ばくの症状で当時白い斑点が出始めた牛を飼い続け、今に至っています。

講演の時の「自分は牛飼いだから最後の一頭まで生かしつづける」という吉澤さんの言葉は忘れられません。

 

そもそも、放射能汚染の被害を受けた地域で、

中・大型の動物の症状を観察し続けることが、人間への影響を詳しく知るうえで

非常に大切で有意義である、とは専門家が言い続けていることなのです・・・。

 

吉澤さんは作業がお忙しい日で、生憎お会いすることができませんでしたが

緑豊かな牧場で、まぶしいほどの日の光のもと放し飼いにされている

牛たちを遠目で確認。

そののどかな風景に少し胸をなでおろし、一路富士宮を目指しました。

 

有意義な旅のお仲間に入れてくださったY野夫妻、

長いドライブを一手引き受けてくださったM氏

本当にありがとうございました。

 

 

帰路、月は満月となっていました。