夕べ、妙ちくりんな夢を見た。
誰かと卓球するがいっこうにラリーが続かず、「あ~あ」と思い、場面が変わって、たくさんの馬が糞尿混じりの水流に流されて行くのを眺め、またまた場面が変わって、今度はある人気俳優と2人連れで、奇妙な乗り物に乗ってドライブする夢。
まず、なぜ相手がその俳優なのかがわからない。嫌いじゃないけど、別に私はその人のファンでもなんでもなかったので。
私と俳優が到着した場所は、どこの国かもわからない小さな町で、黄色っぽい土壁でできた素朴な造りの古い建物が並ぶ通りを2人して歩いた。建物の壁には無数の虫が集まり、奇妙な動き方をしていて、それがとても気持ち悪く、まるで映画「ハムナプトラ」のちゃっちい版みたいな内容だった。
あまりに奇妙な夢なので、「夢占い」のサイトに行って判定してもらったら、あんなに変な話なのに吉夢だという。どこをどう取って「吉」と判断されたのかはわからないが、キーワードとなる言葉が良い兆候として受け容れられたようだ。今回の私の夢は、今まで停滞していたことがようやく前進しだすことを暗示しているのだそうだ。
ま、夢効果かどうかわからないが、確かに今日は気分的に楽な1日だった。
体調の悪さを理由に、ここのところ引きこもり気味だったので、溜まっていた雑用を片づけるため外へ。体が動くと気持ちも前向きになって心の中に良い循環が生まれることを実感した。
そうはいっても、歩き回って疲れきってしまっても困るので、行動範囲は広げず、必須事項のみに絞って動いた。
帰宅途中、夕飯の買い物を済ませ、その後近くの書店に寄った。ピンとくるものがないか探していたら、おすすめ本の棚によしもとばななさんのエッセイ『バナタイム』があったので買ってみた。他の作家さんのも含めエッセイばかりを数冊。ちょっと疲れたので、休憩がてら駅近くにあるカフェでお茶しながら読んだ。
私はまずは作家そのものに興味を持ち、それから「あの人はどういう作品を書く人なんだろう」と思って作品を読むパターンが圧倒的に多い。その人の事が知りたくなって、知り合うための糸口をつかむために読む感じ。だからかなぁ。人からまず作品をすすめられて読んでも、作者そのものに興味がもてなかったら、それっきりになってしまうのは。今になってようやく、自分の傾向に気がついた。
よしもとさんのことは、デビューしたての頃からずっと気になっていて、初期の頃の作品はよく読んでいたのだけど、しばらくの間遠ざかっていた。
本書は、「GINZA」という女性誌で発表された文章をまとめたもので、よしもとさんによると、「結婚にはじまり妊娠に終わる連載」だそうだ。過去に放たれた言葉であるにもかかわらず、まさに、今の私に必要なことばかりを集めていただいたかのようなエッセイであった。
久しぶりに彼女目線の言葉を読んだことで、ざわつきがちだった心がなんだかストンといい具合に落ち着いた気がした。
よしもとさんとは、普段の生活の時間帯、特に夕方からの過ごし方が凄く私と似ていて、仕事を中断して、ふらっと夕飯の食材買いに商店街を歩く話とか、人との別れについての考え方とか、「兆し」を逃さないこととか。あぁ、そうだな、と思える言葉がいっぱい詰まった本だと思った。
何かの目標に向かって突き進んでいる時って、自分が思っている方向からズレちゃってるなぁ、と思ってもなかなか軌道修正しにくかったりするものだが、よしもとさんは、ただ流されっぱなしになるのではなく、目指している場所は本当に自分が向かいたい先なのかどうか見極めながらいった方がよい、というようなことを書いておられ、その通りだなぁ、と強く思った。つまり、自分に嘘をつかない生き方をしていこう、ということだが。これって、できそうでいて、なかなか難しいことだと思う。
そういうのを意志の力で止めることは可能か? と聞かれたら不可能ではない、と私は答える。でも人生に普通に降り注がれるエネルギーはきっと著しく損ねられ、体につけがまわってくるか、いつも無理をして疲れ果ててしまうだろう。
自分の気持ちを抑えこんだ方が、生き方としては楽と思えることが人生には少なからずあって、私もついついやってしまいがちな失敗なのだが、でも、よしもとさんが言われるように、その誘惑に負けてしまうことで背負い込むリスクの大きさを考えると、やはり、流れに負けないで自分の気持ちを大事にした方がいい気がした。
何かを成し遂げるために「気合い」は必要だが、ここのところの私は向かうべき方向性がズレていたな、ということにあらためて気づかされた。最近不調続きなのは、そのせいじゃなかったかな、とか。
たまたま手にした本だったが、凄い本だ。(たまたまじゃなかったかもしれない、とじつは思っているが)
よしもとさんのお言葉、前進するためのとっかかりとして、ありがたく頂戴することにしよう。
今日の一冊
- よしもと ばなな
- バナタイム