自分がどっちを向いて行けば良いのかわからなくなるとつい地図をかき集めてしまう。

へーこんな道あるんだ
この道あの人が歩いてる道よね
こっちの地図の方が見やすい気がする

いつの間にか地図コレクターになってることもしばしば

SNSでふと目にとまった言葉

「冒険にはコンパスが大事」だと

コンパスはどんな時も必ず真北を示す。
だから方向を間違えず進んでいける。

どんな時も変わらない自分の真北は
想いや信念、良心、哲学なんだろう。

迷いそうになったらコンパスを取り出し

自分の真北を確認したい。







自分が雑に扱われたと感じ嫌だった。

必要とされていないと感じ辛かった。

そんなことを伝えた時

「私なんてもっと酷い扱い受けてきたよ」
「俺なんて比べもんにならんぐらい辛い思いしてきたで」

その程度は我慢しろと言いたかったのか
まだマシな方だと励ますつもりだったのか
よくわからない、いやわかりたくもないけれど

言わなきゃ良かったと思った。







「それはしんどかったよね」

その一言だけで良かった。

それを望むのは甘えてるのかもしれないけれど

私はそう言える人でいたい。



介護の苦情相談の電話は利用者の家族さんからの電話が大半です。

デイサービスや訪問介護等の事業所に対する憤りは、もっと親御さんを大切に扱って欲しいという言葉から始まります。



話を聞いているとそのうち介護する家族さん自身の身の上話になることも少なくありません。




「親の介護で仕事を辞めました」


「きょうだいはみんな無関心で私1人で親の介護しています」


「私も障害があり自分のことだけで必死なんです」

相談の入り口は事業所への不満ですが、本当の主訴はどうも違うところにありそうです。



「わたし…頑張ってますよね」

不意に出てきた言葉に返す言葉が選べず

「頑張りすぎてますよ。もう十分です」

そんな言葉しか返せませんでした






支援が必要なのは利用者だけじゃありません。 


利用者を支える人達を支援する仕組みがないと共倒

れになる気がします。



介護も障害も制度は整備されていますが、制度からこぼれ落ちている部分に目を向けていく必要性を感じます。










わからないから不安になる

不安ならば自分で学ぶしかない

人のフィルターを通った物だけを盲信せず

自分で見て感じ判断する

自分が信じられないじゃなく

信じられる自分になる

自分をみくびらない

自分で自分に言う年末年始でした。










「自分が感じたことはあけ渡さなくて良い」

心理の講座で先生が発した言葉にドキッとした。

相手に言われたことに対して

自分の感情を譲らなくても良い。


自分と相手の気持ちを分離する。
自分も相手も責めない。

どちらが強いとかないはずなのに

自分の気持ちを譲ってしまう時がある。

我慢するのが辛いから

感情をなかったことにした時期があった。


感じないことで自分を守っていたつもりだったけど


本当は感じていないんじゃなく


感じていることを無視していただけ。


そのうち騙せない自分が自分を攻撃し始めた。

「感情をコントロールしない時間があった方が良い。自分を抑制し過ぎない。」


先生の言葉にあの頃の感情が溶け始める。

我慢しなくて良かったんだよ。
無理って言って良かったんだよ。
辛いって言って良かったんだよ。

セラピストがそう伝えることで

クライアントの過去に救済を入れる。


やっぱり人は人によって救われるんだな。