坂本真一 「孤高の人」より




諦めと調整を混同すると最悪の場合死に至るなと最近思う。






栗城史多という"登山家"がいた。


少し前に亡くなったのだが、ちょっと物議を醸した人。


ネットで調べると色々と情報が出てくる。


その中でも良く出てくるワードが「諦めない」という言葉。


この人の死後に出版された「 デスゾーン」という書籍には、「向き不向きではなく前向き」という言葉が紹介されている。(厳密にはこの方の知りあいの言葉のようだが、共感しているという意味合いでの引用)


あとは「夢」という言葉もよく出てくる


なんとなく雰囲気が伝わっただろうか。


この人のことは一言では語れないのでここまでとする。申し訳無い。困ったちゃんではあるが、悪い所ばかりではないなと個人的には思ってる。




言いたいことはこの雰囲気のこと。


なんかどっかの社長とかが社内スローガンとかで掲げて社員がモヤッとする感じ。




この手の、「諦めない」という言葉は、薬でテンションあげるようなもので危険だと思う。





「諦めない」が絡む一番ヤバいケースは


1)やたらでかい無理がある目標を立てる

2)人前で宣言する

3 )称賛を浴びていい気持ちになるが

あとに引けなくなる

4)無理がある目標なので失敗し続ける

5)でも自分は「諦めない」と宣言する

6)称賛を浴びる 以下ループ



ここで掲げた目標が命に関わるものだといずれ死に至る。登山はその例だ。



まず、思うことは


・何事も最初は失敗するものだから、「目標の立て方」だって失敗する


・それに気づいたときに目標を調整するのは、諦めることとは違う



この点に気づいていれば「諦め」に縛られて命を落とすようなおかしな話にはならないように思う。




あとは

人に宣言しなければ取り組めない目標には懐疑的になる必要がある。


分析してみたら、自分の本当の願望より承認欲求が勝っていたりする。


宣言は薬のようなもので、何度も頼ってはいけないものだ。(健康的にダイエットをするとかはなんか可愛らしいが)



(栗城さんの登山も、資金援助のために宣言をせざるを得ないところもあるのだろうが、いっぱいいっぱいでごっちゃになってきたのかな?と)



自分の心では無いことをいつの間にか自分の心だと思い込むことが往々にしてある。



余談だが、世界最強の登山家と言われた山野井泰史さんという人がいる。栗城さんと対照的に語られることが多いが、凄いとか以前に面白い程素朴でクレイジーな人だ。

(この人のことを書いた、沢木耕太郎の「凍」は面白いよ。最近は、「アルパインクライマー」という漫画も出てたり。ほぼ日のインタビューも素晴らしい)



この人がピオレドール生涯功労賞という栄誉あるを受賞した際の会見で、「若いクライマーへの応接メッセージはありますか?」と記者に言われたときのこと


「登山は安全ではないから人に頑張れとは言いたくないなあ、あえて言うならゴミは持ち帰りましょうとかかな」


それでも何か一言ありませんか?と聞かれ

考えこんだ上で、


「応援…するものかな?…応援しなくて良いんだと思います。…クライマーは、突き進むんです。」


と答えていた。


応援されなくてもついつい突き進んでしまうもの。そのエッセンスが自身の目標に含まれているかは重要なチェックポイントだと思う。





話は戻って。



じゃあなんでも諦めていいのかというとそうではない。



「あとからレビューができるところ」までは、やり切る必要はあると思う。



掲げた目標に対してトライしてみて、

・ここまではできて、これ以上は無理だった

・では何故無理だったのか

・じゃあどうすれば出来そうか

・(そもそもの目的を再確認した上で)その目標は適切か?段階の刻み方間違ってないか?



これらがざっくりでも把握できるまでは「諦めず」やり切ることは誰にでもできるはずだ。





無理だった理由が「途中で飽きた」→何故飽きた?→そもそもそんなに好きなことじゃなかった


とかでもいいと思う。

好きではないことが一つ知れたことが進歩で、そのデータを踏まえて途中で飽きない好きなことを探すのもいいだろう。






結論

・一度決めたことは諦めない

・無理という言葉は使うな etc…


これら聞こえは良いが気にせず諦めよう

ただレビューできる位までは諦めずやりきろう

(やってみたら意外とつまんなかったので飽きたとかでも良し)



坂本真一 孤高の人より