チャンスは平等に与えられる
いきなりなんだ?
この手のカロリー高めの話にはいつもモヤモヤする
とはいえモヤモヤを酒飲みながら考えるのが好きだ
さて
チャンスは平等に与えられるのか?
この質問
チャンスをどう捉えるかが大事に思える。
身体能力や容姿、資産のある無しをチャンスと捉えるなら、平等な訳がない。
そんなこと言ってもしょうがない。
えなりズムと呼びたい。
相性もあるし(例えば、本人のやりたくないことで無駄に才能があってもしょうがない)
トンカツを作る天才がイスラム圏に生まれたりもするのだろう。
しかし平等であると思ってないと、せっかく与えられているものを見逃すよという点で、平等であると考えた方が得である。
状況に価値はない
向き合い方にのみ価値がある
どう向き合うか?
精一杯向き合えたか?
これらをチャンスと捉えるのなら平等である。
いいこといった感。
とはいえそんなので数多の妬み嫉みズが黙るかというとそうではない。
だから今日も、「持ってる奴ら」のカロリーの高い言葉の歪みについて考えるのだろう。
結局えなりズム的思考が全てに感じる。
そんなこといったってしょうがない
どうにもならないことはどうにでもなっていいことだ
生まれたからには生きてやる