・あの花が咲いたのは
そこに種が落ちたからで
進撃の巨人ばりに人生進撃している知人をみると、気にせんでいいと解っちゃいるけど何だか焦る。
その人は頑張ったと言っているし実際そうなのだろう。
じゃあ自分も真似して頑張ってそうなるだろうか。
なるのであれば私の焦りの原因は怠けなのだろう。
仕事終わって毎日何か勉強してるとかでもないし。
とはいえ、そんな風に勉強しようとした日が私にもありました。
3日坊主でした。3日なら良いほうです。
思うのだけど、三日坊主にならない人は本当に才能だとおもう。
例えば
多少しんどくても続けられる程、自分の芯と直結した動機を見つける才能
自己分析だ価値観だと言っても中々わからないものです。
または勉強大好き人間。
資格コレクター的な。これもまた羨ましい。資格の勉強とか絶対ゲームのように捉えられん。だるい。
あとは地頭が良すぎて、勉強が比較的苦痛じゃない人。
頑張ったとは言ってるけど本当か?
実は激辛余裕な人が蒙古タンメン北極を食べてるのを、普通の人からみると頑張ってるように見えるだけで。
まあちょっと根性の悪いようなことを並べた気がするけど、冷静に考えてもそんなところだと
・あの花が咲いたのはそこに種が落ちたからで
あいつが野球が上手いのは運動神経のいい遺伝子をもらい、野球好きな親の家に生まれ魅力を教わりかつ自分の性分にあい、野球を続ける環境が身の回りにあっただけのこと。
僻みでもなくこれは本当にそう思う。
なるべくしてなっているだけ。
「頑張っている人を否定する人が嫌い」と言う人がいた。
「どうせ無理」は悪魔の言葉、的なことを言ってた人もいた。
これもわからんでもないのだが、筋が違うような気がするのです。
無理だと言われようとやめろと言われようと、やってしまう人はやってしまうのです。
やってしまうのはすごいことでもなんでもなく、その人の性質上ついついやってしまうだけのこと。
うろ覚えだけど
タモリが「夢って言葉が嫌い」と言っていた
その時ゲストのU-zhaanが、「ただやってたらこうなっただけ」と言っていた気がする。
その人の「性癖」と世の中のニーズが合うと、「すごい人」が出来上がる
その性癖ゆえに生みだしたものが、たまたま世間時代のニーズとマッチする
→人気が出る
→行列ができる
→行列ができる人はすごいんだとみんなが思い込む
→すごい人はきっとすごいことをしてるはずだと勘違いする人が現れ、インタビューとかしちゃう
→された側も気分が良いので、そうじゃないのにそれっぽく話す。インタビュー側も無意識にそう誘導する。
「きっと秘訣があるはずだ」と。そんなものないのに。
お金持ってる人もすごい人と思われがちだが、ただお金の流れができやすいジャンルの性癖を持っていただけなのだ。
そして、
努力を否定する人間、人のやることを無理だと否定する人間とかが気になるのであれば、そこまで強い性癖でなかったということだ。それだけだ。
仮に「否定する人間」が
・宇宙飛行士になりたいなんておかしい
または
・ムチで叩かれて喜ぶなんておかしい
と言ったとする。
これは同じ意味だ。
宇宙ってなんかロマンティック!的な風潮が今の時代はあるのかしらんけど、宇宙飛行士になりたいという願望はプラスの意味に捉えられがちだ。
文集にかけば子供の頃は「いい夢だね」と言われそうなやつだ。(逆に「お金もちになってSMクラブに通い詰めたいです」と書いて「いい夢だね」と言われる学校は流石に心配だ)
宇宙だよ。
空気もない、とても暮らしやすいとは言えない環境に飛び込みたいとか狂気ではないだろうか。おらこんな村いやだのレベルではない。
それが、ムチで打たれて気持ちいいと言ってる人と何が違うというのだろう。
そんなことを言う人を笑う人や否定する人がいても不思議ではないし、むしろ当たり前で正常な反応ではないだろうか。
だから何か自分が情熱を注いでいることを人に否定されて嫌な気持ちになるというのは、性癖、変態性不足なだけなのだ。
否定する人は、
「ムチっていうのは競馬とか拷問とかで使うもので、それが気持ちいいというのはおかしいんじゃないか?」
と言っているだけなのだ。
でも気持ちいいと思ってしまった人は、どうにもならないのだ。
だから、否定されたときに、「そんなやつに負けるな」的発想はおかしい。
正しくは
ですよねーわかります
でも、何故かやめられないんですよ
おかしいですよね
でも否定されるのも興奮するんですよ。
もっと言ってください。
である。
勝つも負けるもない。
ただやっているだけ、やめられないだけ。
そして他人の努力を否定するのが好きなタイプも、そういう性癖だからそうなってるだけ。
そんなタイプも行くとこまでいけば、一言発するだけで相手の生きる希望をへし折り、樹海へと向かわせることが出来るようになるかもしれない。
羊たちの沈黙でレクター博士が言葉だけでうるさい囚人を自死へ追い込んだみたいな話があったがそれだ。
歩く藁人形の異名で、やっつけたい奴がいる人たちから引っ張りだこになるだろう。
それもまた努力ではなく、ただそういうやつがそうなっただけ。
ちなみに私は最近、「魚の皮をカリカリに焼く」という行為にやや取り憑かれている。
次はどんな魚の皮をカリカリにしてやろうかと考えてしまい、全く仕事が手につかない。
ただカリカリの皮が好きな人が周りに多く、ニーズがあるようだ。
「魚の皮をカリカリに焼きたいなんて無理だよ」と否定してくる人もどうやらいないようだ。
逆に会ってみたい。きっと生まれてからアルコールランプ以外の熱源を見たことが無い人なのかもしれない。
しかし申し訳ないが、やめられないのだ。カリカリさせたくてしょうがないのだ。
