ぷすぷす | Clock knock

Clock knock

いつでも変わらない時間と場所

お久しぶりです!ではない挨拶ができることが嬉しい、Clock knockです。
ひとつずつでも前に進めたらと苦し紛れに投げてみる一球がこの記事です。いつもそうなんですけれど!

昨日「失い続ける日々」みたいなことを書いたような記憶があるのですけれど、思えば思うほどそんな気がしてしまいます。
好きなことってなんぞ、やりたいことってなんぞ?
甘切った私の声が「このまま朽ちてしまい え」と囁きます。 
それだけは嫌だと思えるのは心のどの部分なのでしょうか。
悩んでいるのでしょうか、傷ついているのでしょうか。
自分の心に関係するそれらの問いのどれかひとつにも答えることが出来ないのです。
「このときあの主人公は」何を思って何をした?どこに目を向ければ自分のことを理解してあげられるのでしょう。
分かっていたはずのこと、見えていたはずのものが見えなくなることはとてもとても不安になるものですね。
一秒を自分の足で立って自分の頭で考えることすら難しくて難しくて。
難解で厄介で困ってしまいます。

ですけれどですけれど、私の言う「見えていたはずのもの」というのは重要だけれどそこにあるのは当たり前の空気のようなもので、それが見えなくたって息継ぎはちゃんとしているのです。
問題は見えなくなったときに起こるのではなく、無くなってしまったときに大事件になるだけのこと、ゆったりと構えていても大丈夫なようです。

新年早々悩み?に押しつぶされちゃってますけれど、お正月の食べ物はほんとうに美味しいですよね!
家族で仲良く初詣に行ったその帰りにはじめてひつまぶしなるものを食べたんです。贅沢ですよね贅沢ですよね。
その贅沢の美味しさといったらもう。
お出汁をかけてお茶漬けにしてもうなぎの味と食感が素晴らしい主役を演じていて。脇役の漬物、ネギ、最後に飲む出汁まで、まさに満員御礼必至!みたいな素敵な味わいだったので満腹感と満足感で眠ってしまいそうなほどでした。
突然の食レポにびっくりでした?
あんまり美味しかったものですからつい。てへ。
鰻に山椒をかけて食べるのっていかにも日本人って感じですよね。
日本食の素晴らしさをひしひしと感じるお正月でした。

それではぷすぷすと動作不良の煙をあげる私の心と、お正月を彩る日本食の刺激とともにClock knockがお送りいたしました。