読めない漢字があった。見たことのある熟語だったが、どこで見たのかも憶えていなかった。母に聞き、母は答えた。
「知らなかった」
「あんたが知らないことなんてたくさんあるよ」
自分の心の中に見たことのない色を見つけて戸惑う僕に、世界なんてものはあまりに壮大で複雑だった。それでも焦りはしなかった。出逢いの中でしか人は真実を見つけることは出来ないし、そんなものに気付くことすら出来ないのだと世界の半分も知らない僕にも分かっていたからだ。ヒントを探し続けなければならない。なんのために?
努力、というものが理解出来なかった。努力と名前で呼ばれるからには形があるはずだ。思考を統一し、指先まで感覚を研ぎ澄ませ、達成の一点に力を注ぐ。妥協を許さず計画を立て実行し、振り返る。そう呼ばれる形があると思っていた。しかしそんなものは無いのだった。努力という言葉は他者による評価という概念が介在しなければ成立しない。その時を振り返る自分もまた他者だから努力という言葉は存在する。実ることがなかった努力は努力と呼ばれない。それはあるいは浪費だったと自嘲し、無駄だったと蔑まれ、最初から無かったかのように振る舞われる。自分が自分と向き合う時に必要なものは努力ではない。必要なものは必要なものとしてしか見えてこないのだ。そうでないのならそうあるべきなのだと僕はいくつかの光を煙たがりながら思った。